ポリバケツに入れられた女【なずみのホラー便 第14弾】

なずみ智子

ポリバケツに入れられた女

 もうすぐ不惑の年齢となるその女は、”憎まれっ子世に憚る”を体現したかのような女であった。

 性悪さと自己中心性は筋金入りであり、幼い頃から自分が気に入らない者に”唾を吐きかける行為”を幾度となく繰り返し、その両手ですら数えることができないほどの者たちの心に、癒えることのない傷を刻み付けることが”一種の娯楽”であるかのごとき女であった。


 

 しかし、ある日の”優雅な買い物帰り”のことであった。

 目の前が突如、真っ暗になったかと思うと、女は何者かに拉致されてしまったのだ。


 拉致後、ハッと目を覚ました女の頭上に広がっていたのは満天の星空であった。

 周りの状況は分からないが、どこかの山の中へと拉致されてしまったようだ。

 しかも、それだけではない。

 女の両手首と両足首には、荷造り用のビニール紐がこれでもかというほどにグルグルと巻かれていた。

 そのうえ、女は今、自分の身が業務用のポリバケツの中へと入れられてしまっていることも即座に理解した。

 割と小柄で華奢な体格の女であるが、本来、人間を入れるものではない容器の中に、足を折り曲げさせられ、尻と両足裏を下としてギュウギュウに押し込められていた。

 幸いにもこのポリバケツはどうやら新品ではあるらしく、染みついたゴミの臭いではなく、真新しいプラスチックの匂いが”夜の山に漂う独特の匂い”とともに、女の鼻腔を否が応でもツーンと刺激してきた。



 脱出しようと、女は必死でもがいた。

 しかし、中でこれほど暴れているというのに、ポリバケツは何かの力がかかっているのか、横倒しになるような兆しすら見せない。


 だが……

 女の頭上より――”ただ星ばかりが燦然と輝き、人の姿など見えない夜空”より声が響いてきたのだ。 


「……女よ」


 その声の主は女のようでもあり、男のようでもあった。まだ若いようでもあり、年を重ねたような声でもあった。


「女、私はお前に問う。お前は”天網恢恢疎にして漏らさず”という言葉を知っているか?」

「は? そんなもの知るワケないでしょ! いいから、ここから出しなさいよ!! 私を誰だと思っているの!!!」


 得体の知れない相手に拉致監禁されてしまったというのに、そのうえ最悪の場合、殺害されてしまう可能性だってあるのに、女はポリバケツの中から金切声で喚いた。


「やはり、知らぬか。だが、お前がこの人生でどれだけの者を故意に傷つけてきたかは天は全て見ておるぞ」

「ちょ……何、ワケ分かんないこと言ってんのよ!!! この私をこんな目に遭わせて、ただで済むはずないわよ! 私の夫や義父(ちち)……ううん、この界隈での”私たちの一族”の権力を知らないとは言わせないわよ!」

「お前の義理の家族がどれほどの権力を持っていようが、そんなことは天には何の関係もないことだ」


 

 女は口と世渡りが非常にうまく、その容貌も決してまずいものではなかったため、表立った罰を受けることもなく、世間で言う”玉の輿”に見事乗り、複数の子供にも順調に恵まれ、現在は”優雅な奥様暮らし”の真っ最中であった。

 そのうえ、議員などを多数輩出し、この界隈の一番の”地主でもある”義実家一族の持つ権力は、女の性悪さと高慢さにさらに拍車をかける最悪の役割を果たしていた。


「女よ。お前は、幼い頃から自身が気に入らない者たちに”唾を吐きかける行為”を幾度となく繰り返してきた。周りを好き放題に巻き込みながらな。お前に心身共に傷つけられた大勢の者たちの顔や名前を覚えているか? その者たちの傷の痛みや傷の深さを、”一瞬でも”想像したことがあるか?」

「ンなモン、知るわけないでしょ!!!」



 確かに女は、自身が”指揮官となり行ってきていた虐め”のターゲットの気持ちを想像したことなど、一瞬たりとしてなかった。

 そもそも一瞬でも他人の気持ちを想像できる者なら途中で虐めを止めるであろう。というか、最初から虐めなどするはずがない。


 ”天が見ていた”女の虐め遍歴の始まりは、幼稚園時代からだ。子供特有の残酷さから来る一時的なものなどではなく、小学校に入学してからもターゲットは時々変わりながらも続いた。

 中学校時代には女からの虐めに耐えかねて転校する者だけでなく、ついに、自殺者までをも出してしまった。

 自分と同じ年齢の者を「死」しか選択できない精神状態へとまで追い詰めたというのに、女は高校や大学に入っても何ら変わることはなかった。その目を獣のごとく光らせ、自分の嗜虐欲を満たす”玩具”を見つけては弄び、陰険さと残酷さを年とともに増していった。

 女にとって、虐めは”一種の娯楽”であった。

 腰掛け程度に働いた会社でも、そして子を守るべき立場である母親となってからも、女は”娯楽”を楽しむことに精を出した。

 今現在は、ママ友がもっぱら娯楽の対象だ。

 ターゲットになってしまった母親たちは、その虐めに自身の子供も絡んでくる(ある意味、人質に取られているようである)ということ、そして中途半端な田舎であるこの土地での女の義実家の権力に恐れをなし、表立って逆らう者などはおらず、それが女をますますのさばらせていった。



「”恨み骨髄に入る”ほどに、お前を深く恨んでいる者は多数いるであろうよ」

「……そんな奴らのことなんて、”今さら”知らないわよ! 転校していったのだって、退職していったのだって、家族そろって引っ越ししていったのだって、引きこもりになったのだって、死んだのだって、皆そいつらの勝手じゃない!!」

「!!! ……この後に及んでも、お前はまだそんな言葉を吐くのか……!!!」


 頭上からの声に憤怒がゴオッと入り混じったのを、女もさすがに感じざるを得なかった。

 窮屈で不自由すぎる体勢のため、痛み続けている女の背中が少しだけ震えた。


「女……”ここから先”は、お前自身が”積み重ねてきた行為そのもの”へと委ねよう」

「はぁ?!」

「お前が”天に向かって唾を吐き続けてきた”報いは分割で受けるのではなく、ただいまより一括で受けてもらうこととする」

「唾がどうこうとかいいから、早くここから出しなさいよ! 絶対にあんたに重い懲役科してやるからね!! 一族郎党追い詰めて逃げ場を失くしてやるからね!!!」


 夜空からの声の主が、女を監禁しているポリバケツやビニール紐をどうやって調達したかは謎であるも、この声の主は懲役など科せる相手でないことはよく考えたら分かるだろうに、女はなおも喚いた。喚き続けた。


 しかし、夜空は急にシンと静まり返った。

 静寂。

 嫌な静寂だ。

 不吉な静寂だ。


 思わずゴクリを唾を飲み込んでしまった女の頬に、ポタッと滴が落ちてきた。

 星しか瞬いていないはずであった夜空からの滴。

 まさか、雨? 

 不自由な体勢のまま、顔をさらに上へと上げた女の額や鼻、頬に滴がポタッポタッと次々と落ちてきた。


 自分の顔を濡らすこの滴が雨でないことを女が悟り始めた時、天からの滴は”まるで本物の雨のごとく”女がいるポリバケツへと降り注ぎ始めていた。



※※※



 翌日の昼頃、女は山菜取りに来た老人会のグループによって発見された。

 保護ではなく、発見された。死体となって。


 手首足首をそれぞれビニール紐で拘束された女が入れられていた業務用のポリバケツの中は、透明な液体でたっぷりと満たされていた。

 ポリバケツから溢れ出たらしいその液体は、地面をも広範囲にわたって濡らしていた。


 女の頭はポリバケツの中に沈んでいた。

 

 女の死因は、この死体の発見状況からの推察通り溺死であった。

 しかし、後ほどの鑑識結果で、常識では到底考えられない事実が判明した。

 ポリバケツの中をたっぷりと満たしていた液体は、なんと死んだ女自身の唾液であったのだ。




―――fin―――

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