第3話

 俺はけたたましい電話の音で目が覚めた。


 見慣れた天井に違和感を覚えながらも、寝ぼけ眼で立ち上がって受話器を持ち上げる。


「謝って」


 こちらの名を告げる前に、電話の向こうで女が言った。


「明美か、どうかしたのか?」


「どうかしたのか、なんて、よく言えるわね」


 甲高い明美の声は、明らかに不機嫌だった。


「男に途中で逃げられた女だと思われるじゃない。まぁ、実際にそうなんだけどさ」


 明美の口調からは、不満と飽きれが感じ取れた。


 しかし、俺は寝不足のように頭が重く、明美の話が見えていなかった。


 俺は何気なくカレンダーを見つめて、唐突に目が覚めた。カレンダーには昨日の日付が赤丸で囲ってあり〝明美とデート〟と殴り書きされていた。俺は昨日、明美と高級レストランで食事をし、その後にラブホテルへ向かったのだ。行為を終えた俺たちは抱き合って眠りに落ちた……はずだった。それなのに、どうして俺は自宅に帰ってきているのだろう。


 俺は顔をしかめる。


「ホームシックかな」


「1人暮らしでもホームシックになるんだ?」


 俺は仕方なく、事実をありのままに話した。


 理由は分からないのだが、目が覚めたら自宅のベッドで寝ていた。それは自分でも話していて理解できない内容だった。こんな言い訳をするぐらいなら、何も言わない方がマシだろう。


「それって、前に話していた夢遊病のこと? あれって本当だったの?」


「さぁ、どうなんだろ?」


 俺は誤魔化すように笑ったが、それは明美の声色が怒りから心配へと変わったからだ。安心と胸騒ぎを同時に覚える。


 俺には、今日のように記憶が曖昧な日が度々あった。


 その違和感に気付いたのは3ヶ月前のことだ。俺が寝る前と起きた後では、小物の位置が微妙に異なっていたのだ。食器類の並び順や、テレビやエアコンのリモコンの位置、あとは買い置きしておいたカップ麺やお菓子類、缶ビールなどが、いつの間にか空になって捨てられていた。俺は1人暮らしで、勝手に出入りするような友達や同居人はいない。だから、それらを動かした記憶がないことを不気味に感じていたが、俺はそれを思い過ごしだろうと考えていた。


 しかし、それは甘い考えだった。


 大きな変化が訪れたのは1ヶ月前だった。俺が目覚めると、居間に新調したはずのガラステーブルがなくなっており、捨てたはずの木製テーブルが置かれていた。ガラステーブルはどうなったのだろうとゴミ捨て場へ行くと、そこには割られた状態のガラステーブルが捨てられていた。そして、粗大ゴミのシールはご丁寧に張り替えてあった。


「ちょっと、大丈夫?」


 俺は軽い目眩を覚えながらも、口調だけは明るく努める。


「心配かけてごめん。今から迎えに行くから待っててくれ」


 明美が了承したので、俺は受話器を置こうとした。電話機の置いてある机には、ペン立てとメモ帳が置かれている。俺はそこで、メモ帳に文章が書いてあることに気づいた。




 オレ ノ カラダ ハ ダレニモ ワタサナイ


 ハヤク デテイケ


 サモナイト オレ ハ オマエ ヲ――






        了

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