第32話 新たに紡ぐ物語

 アーサーを見送り、シャーロットと別れた後、メルは肩の上にヴェスターを乗せたまま、今日は仕事が休みなのでごく自然に家路に着いていた。

 ヴェスターは、こちらに出てきてからずっと王立図書館で寝泊まりしていたのだが、どうもメルが図書館とは逆の方向に進んでいることに気づいて声をあげた。


「メル、どこに向かってるの?」


 ヴェスターの問いに、メルは「家だけど」と不思議そうな顔をして答える。それから気がついたのか、「あ」と小さく声をあげて立ち止まった。


「ごめん。忘れてた。あなたを図書館まで送っていかないと」


「家!?家ってメルの家?」


 元来た道を戻ろうとするメルを制止するように、ヴェスターはメルの耳元で素っ頓狂に叫んだ。


「ちょっと、あまり大きな声を出さないで。魔力猫マギーシャでもない限り、猫は普通喋らないんだから」


「周りに人いないんだし、少々大丈夫だよ。ねえ、それよりも僕、メルの家に行ってみたいな。メルのおばあちゃんにも会ってみたい」


 興奮しているのか、ヴェスターは尻尾をブンブン振っている。それがいちいちメルの肩口に当たって、メルは顔をしかめた。


「わかったわかった。いいわ」


「本当!?」


「ええ。おばあちゃんにはあなたのこと話してるし、本人は口には出さないけど会いたがってるみたいだから」


「やったやった」


 メルがびっくりするほどの喜びようだ。

 こうして、メルはヴェスターを伴い帰宅することにした。

 朝の光を浴びながら、慣れ親しんだ家路をしばらく辿っていると、どこで覚えたのか鼻歌を唄っていたヴェスターが、不意に「ねえ、メル」と

話しかけてきた。


「なあに?」


「前に教えてくれたよね。メルのおばあちゃんは語り部だったって。語り部っていろんな物語を知っているんでしょう。僕の知らない話も知ってるかな」


「さあ、どうだろう」


 メルは祖母の顔を思い浮かべる。確かに、祖母はいろんな物語を知っている。どれくらい知っているのか聞いたこともあったが、本人も数えたことがないからわからないと言っていた。それほどたくさんの物語を知っているのだろう。それに、物語や長年の旅により培われた知識も豊富だ。だがさすがに、あれほど膨大な書物の知識を取り込んでいたヴェスターの知らないことまで知っているとは、なかなか考えられないことだった。


「知識の量では、あなたの方が上回ってると思うけど」


 少し考え事をしてからメルがそういうと、ヴェスターは「そうかな」とぼやいた。


「僕には知らないことが山ほどあるよ」


「どうして?」


 ヴェスターの思わぬ言葉に、メルは驚いて立ち止まった。


「あなたはいろんなことを知ってるじゃない」


「知っているだけだよ。それも表面的に。本質的に理解できてるわけじゃない」


 ヴェスターは、緑の眼をすいと細め、どこか遠くを眺める仕草をした。


「……生まれて初めて、僕は外の世界をこの目で見て思ったんだ。僕は、この世界のことを何も知らない。建造物も、人の纏う衣服も、機関車も、取り込んでいた書物を通して知ってはいたけれど、実際に使われたり動いたりしているのを見るのは初めてだった。それに、人が生活を営む限り、物語は無限に生まれる。僕が知っているのは古い物語ばかりだ。新たに生まれた物語は知らない」


 ヴェスターは、不意に瞳を煌めかせ、メルの方を向いた。


「だからさ、僕は知りたいんだ。本当の意味で。きっと僕の知らない物語は、メルのおばあちゃんが教えてくれる。僕の知りたいことは、メルやシャーロットが教えてくれる。そうやってたくさん勉強してから、メルがあの時言ったように、今度は僕が僕の持つ知識や物語を、みんなに届けたい」


「……それが、今あなたがやりたいこと?」


 アーサーが言っていた「今はこっちで色々とやりたいことがあるらしい」

という言葉を思い出して、メルは尋ねる。


「うん、そうだよ」


 ヴェスターは頷いた。


「知らないことを知るのは楽しいし、知っていることを教えるのも楽しい。こんな気持ちになるのは、ものすごく久しぶりだ。全部メルのおかげだよ」


「言い過ぎよ」


 メルがそっぽを向くと、ヴェスターは笑った。


「本当だよ。嘘じゃない。メルには感謝してるんだ。わがままな僕に付き合ってくれて、そして、僕を外の世界に連れ出してくれてありがとう」


「……」


 正面切ってありがとうと言われることに慣れていないメルは、無言で歩き出した。メルが照れていること気づいたヴェスターは、それ以上は特に何も言ってこなかった。


 そこからしばらく歩くと、メルの家が見えてきた。石造りの愛らしい家が並ぶ街角に、溶け込むようにしてその家はあった。二階建ての三角屋根の家で、一階部分の窓辺には愛らしい桃色の花々が植え込まれている。メルの部屋に面した二階部分の窓辺には、青色の小さな花。


「ここよ」


 メルが言うと、ヴェスターは「可愛らしい家だな」と呟いた。お世辞という概念があるのかどうかよくわからないヴェスターの放つ言葉は、いつもまっすぐで心地よい。


 メルは家の戸の前に立つと、ドアノブをガチャリと回した。「ただいま」と言って、家の中へ足を踏み入れる。家の奥から、「おかえり」と祖母の声が聞こえてきた。

 ヴェスターにとって、祖母が新しい友達になるといいな。そう思いながら、メルは居間へ続く廊下を歩いていく。


 ヴェスターは言っていた。『人が生活を営む限り、物語は無限に生まれる』と。メルもそう思う。そして、無限に生まれる物語の中から、何らかの形で人の心を打つものが後世に残っていく。生まれる物語のほとんどは、ごくごく些細なものばかり。でも、当人にとっては大切な思い出となっていく。ヴェスターのいる生活は、まだまだ始まったばかり。ヴェスターは、これからメルにどんな物語を紡いでくれるのだろう。


                                 <完>

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図書館司書メル・アボットと図書迷宮《ビブリオラビリンス》 藤咲メア @kiki33

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