第31話 見送り
清々しい朝。青く透きとおった空に向かって、列車の汽笛がポッポーと突き抜けるように駅のホームに響き渡った。
駅のホームに並び立つメルとシャーロットの前には、背後の黒々とした機関車を背負うようにして立つ、旅行用鞄を持ったアーサーの姿がある。彼らの周囲は、始発の列車に乗るために集まった人々や、それを見送る人々の姿でごった返していた。時折、そんな人混みの間を縫うようにして、紺色の制服に身を包んだ車掌が声を張り上げ進んでいく。
「七時発、七時発、コレス・ヴェルト行き。間もなく発車します」
車掌が近づいてきたので、アーサーは少し前へ足を踏み出して道を譲ってやる。
メルの肩に乗っていたヴェスターが、三人にだけ聞こえる声量で言った。
「アーサー、エディによろしくな」
「わかった、じいちゃんにちゃんと伝えとくよ」
旅行用鞄が重いのか、持っている右腕をさすりながらアーサーが請け合う。
「これ、お昼ご飯にでも食べて」
そんなアーサーの空いた左腕に、シャーロットが小さな紙袋を押し込んだ。紙袋からはふんわりと香ばしい匂いが漂ってきている。
「お。ありがとう」
「来る途中、メルとパン屋に寄ってね。朝早く行ったからできたてほやほやよ」
まるで自分が作ったとでも言うように、得意げにシャーロットは言った。アーサーはそれにおかしそうに笑ったが、突然表情を引き締めた。それから真面目な口調で、メルとシャーロットに告げた。
「本当にありがとうな。二人とも。色々と世話になった。迷惑もかけたし」
「それもそうね……。あなたが来たおかげで、行方不明騒動が起きたようなものだし」
メルがそう言うと、シャーロットがぴしゃりと注意した。
「こらメル。そんなこと言わないの」
「……別にアーサーを責めようと思ったわけじゃ」
言葉を切って、メルはなんとも言えない表情でアーサーの方を見やった。
「ん?」
アーサーは首を傾げる。
本当に、アーサーには色々と迷惑をかけられたものだと、メルは思い返した。もう閉館時間だというのに、ソファに眠りこけてなかなか目を覚まさないアーサー。メルが仕事中にもかかわらず、子供のようにやたら目を輝かせて図書迷宮の存在について語ってきたアーサー。うっかり図書迷宮の封印を解いてしまい、本から文字が消える騒動と多数の行方不明者騒動を引き起こす原因を作ってしまったアーサー。さらには、大勢の人前でメルにその名を叫ばせたアーサー。最後の件に関しては、アーサーは何も悪くないのだが。
メルは小さくため息を零すと、アーサーへ言葉を紡いだ。
「本当に、あなたにはいろいろと迷惑をかけられた。思い返せば本当に色々。でも今思えば、あなたのおかげで図書迷宮の存在を知ることができた。図書迷宮の美しさを知れた。そして、ヴェスターにも出会えた。図書迷宮に迷い込んでしまった人達が聞いたら怒るかもしれないけれど、結果的には楽しかったわ。だからそうね。お別れの挨拶にはこれがいいわ」
メルは、珍しく微笑んだ。普段あまり自身の感情を顔に出さないメルの微笑みに、アーサーはハッとする。
「ありがとう、アーサー。あなたともお友達になれてよかった」
メルの言葉に、アーサーは目を見開いて……、ニッと白い歯を見せ、無邪気に笑った。
「ああ、俺も、メルと友達になれて嬉しい」
それから、アーサーはシャーロットとヴェスターの方にも目を向ける。
「もちろん、シャーロットとヴェスターもな。地元を離れて初めてできた、記念すべき俺の友達だ」
その時、ひときわ甲高い音で、また汽笛がポッポーと鳴り響いた。
「まもなく発車時刻です。お乗りになるお客様はお急ぎください」
どこかから、感心するほどよく通る車掌の声が聞こえてきた。
「そろそろ行かないとな……」
車掌の声の出所を探ろうとしたのか、長く伸びる機関車の車体を眺めてアーサーはぼやいた。それからまた顔をこちらに向けて、メルたちの前に拳をぐっと突きつけてきた。
「じゃあ最後に、約束だ。また会おうな」
もう随分と見慣れてしまった、あの人懐っこい笑顔で、アーサーは言った。
突き出されたアーサーの拳に、メルも自身の拳を突き出して、コツンと合わせた。その仕草を真似て、ヴェスターも小さな拳を突き出す。続いてシャーロットも。
また急かすように鳴り響いた汽笛に背中を押されるようにして、アーサーは車内へ乗り込む階段に足をかけた。乗り込み際、またメルたちの方を振り返る。
「じゃあ、元気でな」
そう言って、アーサーが軽く手を振った途端、機関車の車体がガタンと揺れ動き、ゆったりした速度でレールの上を滑り出した。
出入り口から身を乗り出した形で手を振るアーサーの体が、機関車の動きに合わせて、メルたちの前から横向きに移動してゆく。
メルは、遠ざかろうとするアーサーを追いかけて、思わず走り出していた。長く伸びたホームを精一杯駆けながら、驚いた顔をしているアーサーに向かって、メルは叫んだ。さっき拳を交わしただけでは、約束するには足りない気がして。
「アーサー、必ずまた会いましょう。図書館で待ってますから!」
やがて、機関車の速度は人の足ではもう追いつけないほどのものになり、メルは肩で息をしながら前後に動かしていた足を止めた。自分の言葉はちゃんとアーサーに届いただろうか。そう思って、もくもくと白い煙を引きながら遠ざかる機関車を見やる。すると、アーサーが危なっかしく車体の出入り口から身を乗り出しているのが見えた。メルの方に向かって、何事か叫んでいる。駅の喧騒と機関車の音で、声は聞こえなかったが、口の動きと彼の表情で何を言っているのかは何となくわかった。大丈夫、ちゃんとメルの声は、アーサーの耳に届いたようだ。
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