第30話 ピクニック・続き
めいめい満たされたお腹を幸せそうに撫でて一服していると、アーサーがふと思い出したように口を開いた。
「そうそう。俺、明後日には王都を出て田舎に帰ろうと思ってるんだ」
急な発言に、メルとシャーロットは驚いて目を丸くした。
「帰るの?てっきりこのまま王都に居着くと思ってたわ」
「……私もこのまましばらくは帰らないのかと」
シャーロットとメルが立て続けに言うと、「まさか」とアーサーは首を横に振る。
「王都もそりゃあいいけど、俺には元の田舎暮らしが性に合ってるからな。もともと、王都には図書迷宮を探すために来てたんだ。その目的はもう終えたし、これ以上王都に留まる理由もない」
言いながら、アーサーは隣で丸くなっているヴェスターに視線を落とした。メルもそれにつられてヴェスターの方を見やった。
メルとシャーロットが、アーサーの発言に驚いたのも無理はない。アーサーはつい最近、ヴェスターを連れて故郷の田舎町に帰ったばかりなのだ。それからまたすぐに王都へ帰ってきたので、少なくともまだしばらくは王都にいるはずだろうと二人が思うのも当然である。
ちなみに、先日の帰郷の際にアーサーがヴェスターを連れて行ったのは、アーサーの祖父——エディ・ウォルホードと会わせるためである。メルは仕事の関係でそれに立ち会えなかったのだが、アーサーから話を聞いているのであらましは知っている。
ヴェスター——エルヴェスタム・デ・エスタンテは、また会いに来るという約束を破ったエディのことを、裏切られたと思い込み長年の間憎んでいた。だが、本当にエディは約束を破りたくて破ったのかどうかは、会って言葉を交わしてみなければわからないというメルの言葉に従い、アーサーの計らいで彼らを引き合わせた。結果、ヴェスターの長年のわだかまりは溶けた。メルの推測どおり、エディが約束を破ってしまったのは、彼がエルヴェスタム・デ・エスタンテと別れたあと、図書迷宮に再度封印が施されたためだった。そのせいで会うことが叶わなくなり、さらに図書迷宮の封印を解く方法は厳重に伏せられて、自身で解くこともできず、エディは友との約束を破ることになってしまった己をずっと悔いてきた。
数十年ぶりの再会を果たした彼らは、互いが置かれていた状況を語り合い、無事和解したのだ。最もその前に、お互いの姿を見てびっくりしたらしい。無理もない。エルヴェスタム・デ・エスタンテが知っていたかつての少年は年老いた老爺となり、エディの知っていた大きな黒い竜は、小さな黒猫になっていたのだから。ちなみにこの黒猫の姿は、メルとともに外へ出た時に、エルヴェスタム・デ・エスタンテが変身した姿である。もともと魔力が積み重なった存在のために、定まった姿を持たない彼は、本棚が整然と並ぶ図書館の中で巨大な竜の姿でいることに辟易して、猫の姿へその身を変えたのである。メルは、あの美しく力強い竜の姿も好きだったが、今の愛らしい猫の彼もなかなかに気に入っていた。
「ヴェスターはどうするの?」
お腹がいっぱいになったのか、いつの間にか寝息を立てている黒猫に視線を落とし、メルはアーサーに尋ねた。アーサーと王都には戻ってきたものの、ヴェスターは親友であるエディと暮らしたいのではないかと思ったからだ。
アーサーはすぐに答える。
「こいつは、王立図書館に住み着くつもりらしい。前そう言ってた」
アーサーは右手でヴェスターの頭をそっと撫でた。
「じいちゃんのいる俺の実家と王都って、列車を使えばそこまで離れてるわけじゃないし、その気になればいつでも会えるからって。今はこっちで色々とやりたいことがあるらしい」
「やりたいことって……?」
「さあ、そこまでは俺も」
「……」
その時、ヴェスターが丸まっていた体を伸ばし、ゴロンと寝返りを打った。起きたのかとも思ったが、むにゃむにゃと寝言らしきものを呟いていることからして、まだ眠っているようだ。一定の規則で上下に揺れる、お腹のふわふわした毛が、そよ風に撫でられて揺れている。今はそっとしておいた方が良さそうだ。
「とにかく」
シャーロットが声を上げる。
「明後日帰るなら、明日は私とメルで王都見物に連れて行ってあげる。まだ王都見て回ってないんでしょう?」
「ん?ああ、そうだな。ずっと図書館に篭りっぱなしだったし」
「じゃあ、決まりね。ついでにヴェスターも一緒に王都見物よ」
シャーロットは楽しそうに微笑む。それから不意に真剣な表情でメルを指差し、
「メル、面倒だとか言って、断るのは無しだからね」
と釘を差すように言った。メルは首をすくめる。
「さすがにそんなことしないわ」
「絶対よ」
「ということは、メルは普段遊びに誘われたときは断ってるのか?」
アーサーが首をかしげると、シャーロットが「メルったらね」とお得意のお喋りを始めた。
「せっかくの休日だし、今日はこの間買った本を早く読み進めたいから。って言ってしょっちゅう私の遊びを断るのよ」
「たまによ。毎回じゃないでしょう」
「でも割と頻度多いことよ」
「そんなことはないと……」
「いいえ。多いわ」
「そんなにプリプリしなくても」
抗議するメルと、それに反論するシャーロットの声、その間に楽しげなアーサーの笑い声が混じって、のどかな昼下がりの時間はゆっくりと流れていった。
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