屈腱炎

 シェル=タマゴカケゴハンが引退した原因は、左前屈腱炎である。

 競馬が好きな人なら、屈腱炎を知っているだろう、エビとも言われ、多くの名馬を引退に追いやった、骨折よりもタチが悪いとまで言われている、競走馬生命を脅かす故障だ。


 獣医ではないので、詳しくはないが……。

 馬の脚部にはほとんど筋肉がなく、靭帯や腱で動かされている。馬の足が華奢なのも、肉がないからなんだろうな。

 人間で言えば、やはり指みたいなものだろうか? 指を鍛えても太くならない、腱で動いているからだ。

 操り人形を思い浮かべればいいかもしれない。天井から吊るされた糸で、まるで生きたように動くけれど、その腕にも足にも動力はない。で、糸がぷつっと切れてしまえば、もう動かせない。

 腱はタンパク質でできた糸のようなもので、それが傷んで炎症を起こせば馬はまともに走れなくなる。損傷が激しければ引退するしかない。

 ぶっちりいかなくても元どおりには再生できない。別の脆く太い組織になって、その部分を補うのだ。

 操り人形の例えでいえば、切れた糸を玉結びして、また使うようなものか? 元の綺麗な糸ではない。

 屈腱炎をエビ、エビ腹と呼ぶのは、故障した部分がまるでエビの腹のように、ぷっくり丸まって見えるからだ。で、決して元通りにはならず、屈腱炎を患った馬はその名残があるものだ。

 ……で、残念ながら、シェルにもその痕が残っている。


 治っているので、問題はない。

 ただ、かつての強度はないから、無理はできない。

 ぽこぽこと乗るだけの乗馬で、再び病むことはない……はずなのだが、なぜか、シェルは低い60センチ程度の障害を飛び越えるだけで、時々、左前を痛がる。だから、障害馬にはなれないだろう。

 痛がって右に寄れ、何度も練習しているうちに飛ぶのを拒否し出し、それでも乗っていたら、やがて、屈腱の部分がぽこんと腫れて、跛行するようになり……1ヶ月ほど休ませるはめになった。


 シェルに乗る時は、運動用の肢巻をしていた。

 肢巻は巻き方が難しく、均等に巻かないとかえって馬の脚部を痛めてしまう。圧を均等にするため、肢巻パッドを入れて巻くのが一般的だ。

 ところが、競走馬関係の仕事をしている人が、腱が痛いなら直巻きしたほうがいい、と言って、巻き方を伝授してくれた。

 パッドは入れず、フリース素材の肢巻で、球節までしっかりと巻く。

 競走馬の場合は、もっと伸縮性のある素材の肢巻を、レース一回切りで巻いたりもするらしい。サポート効果が期待できる。


 半信半疑だったのだが……。

 なんと、その巻き方に変えてから、シェルはずいぶんと楽になったらしく、ひどくならないよう恐る恐る運動していたけれど、普通の運動ができるようになった。

 以来、たくさん買ってあったパッドはお蔵入り、肢巻はそのまま巻くようになった。極端な伸縮素材は避けて、フリースを使っている。

 ちなみに、厩舎用はニット素材の伸縮性のあるものを、厚めのパッドを使用して使っている。


 時々、私の肢巻の巻き方を見て、パッドを入れないのはよくないよ、とアドバイスをくれる人がいる。

 そうですかぁ、ととぼけて無視している。

 肢巻の圧を均等にするため、また、エラスティック素材の肢巻で皮膚や毛を摩擦で痛めないため、肢巻パッドは必要だ。

 だが、フリース素材は直巻きしても相当下手くそな巻き方をしない限り問題はないし、目的によっては直に巻いてしっかりホールドしたほうがいい場合もある。

 申し訳ないことだけれど、シェルを知らない人のアドバイスよりも、シェルが身をもって教えてくれたことを優先する。


 私は、運動の時、ほぼ毎回、フリース素材の肢巻を直に巻いている。

 蹄鉄で足をぶつけて怪我をしないように……もあるけれど、一番の目的は、屈腱への負担を軽くするためだ。

 100%故障を防げるものではないし、足にごたごた巻かれるのは、シェルもそんなに好きではない。でも、痛めている時は、かなり楽なことは事実だ。痛くない時も予防になる。

 以来、屈腱を痛めて長期休ませる事態には、陥っていない。





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