Le Ciel Bleu 〜君が私に教えてくれるいくつかのこと
わたなべ りえ
はじめに
元競走馬タマゴカケゴハン、改め、シェルとの付き合いも、この秋で十年目に突入する。
あの時、私は人間関係のダークサイドに囚われていて、とても暗く、辛い気分でいた。そして、天候も秋空で、暗雲が立ち込め、雨が強く降り、雷もなっていて、心落ち着かない不穏な空模様だった。
が、そんな中、突然、雲が割れて太陽が出て、暗雲の中に虹が浮かび、雨がキラキラと光り輝く、やがて、青空も広がった。
そんな日に、シェルは私の馬になったのだ。
馬はペットじゃない。
昔、よくそう言われた。
おそらく、今もそう言われている人がいるだろう。
そういいふくめる人たちにも、それなりの真意があるはずだろうが、私にはあまり理解できない。
経済動物で消耗品だ、一頭の馬に子供のように愛情を注いでしまえば、馬に乗ることに迷いを生じる、囚われてしまい、次に進めない……などが、その理由ではないか? と考えている。
実際、使えなくなった馬は屠場に行く運命であるし、その馬を追って、乗れもしない馬を養っていては、経済的に相当なゆとりがなければ、立ち行かない。
古いラケットを捨てるように、年老いた馬や故障馬、先のない馬を捨てて、次の新しくよくできた馬を手に入れてゆく、そういうスポーツなのだから、気持ちに一線が必要だ、と考えている人もいるだろう。
だが、私にとって、シェルはペット……ううん、この言い方は少し誤解が生じるな……コンパニオンアニマルだ。
他のスポーツに例えれば、ラケットではなく、ダブルスの相棒で、チームメイトで、スケートやダンスのパートナーだ。
助け合い、励まし合い、時に戦って、ぶつかって……信頼によって、共に苦楽を乗り越えてゆく……そんな仲間だ。
いや、むしろ、人生の伴侶だ。
パートナーとしての信頼が重要なスポーツになれば、より深い絆が必要になるように、シェルと私の絆は深い。
消耗して使えなくなったからといって、ぽいと捨てる、そう簡単ではない相手だ。
信頼していた人に裏切られ、心が闇に落ちていた時、私を救い上げてくれたのがシェルだ。
それは、ペットが人に癒しを与え、生きる希望になってくれるのと、全く同じもの。
スポーツの道具でも相棒ですらもない。
私の心の支えなのだ。
シェルは、私に生きがいを与えてくれた。
それは、競技でいい成績を収めること、その栄光よりもずっと私にとって大きなものだ。
私は、けしてシェルを裏切らない、裏切りたくはない。
その恩に報いたいと思っている。
私は、心に一線を引く乗馬に価値を見出せない。
ただ、道具として扱うことにして、割り切って馬とは付き合えない。
だが、乗れない馬に注ぎ続ける愛情とお金を維持できるのかもわからない。
だから、常にシェルが乗馬としてダメになることを恐れ、末長く元気でいてほしい、と願っている。
一頭の馬にできる限りの愛情を注ぐことが、乗馬というスポーツにマイナスになるはずがない、そう思っている。
これから書くのは、シェルにしてあげられることは全部したい……と思っても、そこまではゆとりがない私の、試行錯誤の話。
けして正しいことばかりではなく、間違いもあれば、他の環境ではあたまはならないこと、むしろ、虐待では? と思われることもあるかもしれない。
……が、何が正しいのかは、皆、シェルが教えてくれる。
シェルが、私に教えてくれたいくつかのことを、書き記しておこうと思う。
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