第五十四話 エピローグ(後編)

 四月。

 

 倉敷美観地区は桜並木に彩られていた。

 緩やかに流れる倉敷川。銀色に輝く水面には、家族連れを乗せた高瀬舟が優雅に運行している。

 

 そんな観光地の片隅にある老舗土産屋の店頭にて。

 白髪の店主、蒼月真幌はぼんやりと外の景色を眺めていた。


 春の午前の柔和な日差しが、店内にも差し込んでいる。

 ソメイヨシノの花びらがひらひらと風に舞う。

 老夫婦を乗せた人力車が、目の前をゆっくりと走り抜ける。

 

 「ハァ」

 

 春だというのに。真幌は最近、ため息ばかり付いている。

 ここの所、どうも仕事に身が入らない。

 昼の通常業務も夜の冥土の土産屋もである。


 我ながら、客商売の店主がこんなことではいけない。

 真幌は自分に活を入れようと、ぴしゃりと自らの頬を叩いた。

 

 そんな店主の藍染着流し姿の背中を見ながら。店内奥のカウンター席を陣取る義姉の中邑忍は、黒猫に向かって小声で話し掛けている。


 春だというのにブラックレザーのジャケットにパンツにロングブーツ。

 相変わらず、忍者のように全身黒ずくめだ。

 

「ねえ、マホ。アンタどう思う? 真幌ったら、最近ずっとあんな調子なんだけど」


 倉敷硝子の一輪挿しの横にちょこんと座っている黒猫マホは「にゃあお」と返事をした。さあね、と顔に書いてある。

 

「あの子が店を辞めてから、ずっとああなのよ」

「ふしゃ、ふんしゃあ」


 さてどうだか、と言いたいのだろうか。


「ていうかアンタが昼間っから登場って珍しいよね?」

「にゃにゃにゃおにゃあー」


 オマエモナーと言いたげな表情だ。


「最近の真幌ったら。なんか、抜け殻のようっつーか。ミイラ取りがミイラになったっつーか。あの子が居なくなって、きっと寂しいのよね」


「にゃおうん」


「それにしても、あの子って。うじうじ泣き虫で手が掛かる、かといって時々ぷっつん暴走する。めんどくさーい二代目メイドちゃんだったよねえ?」


「んにゃ、んにゃ」


 うなずく黒猫。

 このふたり、仲が良いのか悪いのかさっぱり分からない。


「ていうか真幌も、そろそろ新しい恋人でも作って。第二の人生のスタートを歩むべきなのよ。だって美咲が死んで、もう五年になんのよ? いい加減、初代メイドの死んじゃった奥さんのことは吹っ切ってさ。健気にずっと待ってても、死者は冥土からは甦らないんだから」


 亡き妹の名前を口にする忍。


「その方がきっと、死んだ美咲も喜ぶ筈。残された旦那が幸せになる方が、安心してあの世で成仏できる筈なのにね」


 忍がしみじみと語る。妹夫婦のことを、幼い頃からずっと傍で見続けていた実の姉だからこそ言える台詞だ。


「にゃあああおおおおにゃあー」


 人の事とやかく言う前に、オマエがさっさと恋人作れよなー。

 黒猫は猫語で突っ込みを返した。


「世話好きの生真面目な男やもめと、ちょっとめんどくさい純情お嬢ちゃん。けっこうお似合いだと思ったんだけどな。あの子、見た目も可愛かったし、案外料理上手だし。きっと真幌の方だって、まんざらでもなかった筈よ」


「にゃにゃおにゃんにゃに?」


「何を根拠にって? そりゃあ女の勘に決まってんじゃん。ていうかアンタもそうなんでしょ?」


「ふにゃ?」


「フッフッフッ。黒猫、密かにアンタがあの子に気があったってのは、おねえさんお見通しなのよ」


「ふにゃにゃ!」


 黒猫が全力で首を横に振る。


「隠しても無駄よ。そんなの見てりゃ分かるわよ。男の子って、気になる子にほどちょっかい出してイジワルしたがるもんだしね。まさに小学生の、やんちゃ坊主そのものじゃん?」


「ふにゃにゃにゃー!」


 照れながら全力で否定する黒猫。


「黒猫、まったくアンタってさ。何百年も生きてる死神だか、あやかしだか、座敷わらしだか何だか知んないけど。そういうとこって、見た目通りのおこちゃまよね。クックックッ」


「ふしゃあ」


「だーから、全部分かってるんだって。例のクズオヤジを刑務所にぶち込んで、当分出てこれなくするよう魔力で小細工したこともね。あれも特別サービスだったんでしょ?」


「にゃあぉ」


「……随分と賑やかだなあ。なにやってんだろう、ふたりとも」


 店頭の真幌は怪訝そうに振り返り、店の奥の様子を遠目に伺った。

 そんな真幌の肩を、背後から誰かがぽんと叩く。


「はい?」


 振り返る真幌。お客さんだろうか。


「はい、いらっしゃいま……あ!」


 真幌は驚きの声を上げた。


「店長、お久しぶりです」


 それはリクルートスーツ姿の望美だった。


「望美さん……」


 店の奥から、なんだなんだと忍と黒猫が顔を出す。


「ん、どしたの? あーっ、望美じゃん! 久しぶり!」

「忍さんもお久しぶりです。それにマホくんも」

 

 ぺこりと頭を下げる望美。


「へー、決まってるじゃんスーツ姿。よく似合ってるわよ」

「あ、ありがとうございます」


「ごろにゃん♪」


 黒猫は猫なで声を上げながら、望美の胸元へ飛びかかろうとした。

 刹那、すかざず忍は黒猫の首根っこを捉まえた


「ふしゃあ!」


「あ、望美。アタシら、ちょっと買い出しに行って来るからさ。奥でゆっくり、真幌の入れたマンデリン・コーヒーでも飲んどきなよ」


「え、でも……」


「ふんにゃあ!」

「ほれ、いいからアンタも付いておいで」


 忍は大胆にもレザージャケットのファスナーを降ろした。豊満な胸があらわになる。彼女は自らの胸元に、ぽいっと黒猫を投げ込んだ。


「ふぎゃ!」


 胸で、むぎゅっと黒猫を挟み込みファスナーを上げる。黒猫が、ちょこんと顔だけを覗かせる。忍はブラックメタリックのメットを被り、店頭脇に停めてあるバイクにまたがった。


 スタータースイッチを押してフルスロットル。

 閑静な美観地区に排気音が炸裂する。


「じゃあね、ごゆっくり」


 気を利かせたのだろうか。忍は胸に挟んだ黒猫と共に、川沿いの桜並木を愛車KAWASAKI Ninja400で駆け抜けて行った。


 忍の遠ざかる背中を見届けると、真幌は望美をちらと見た。

 春の日差しの中、彼女の見慣れぬスーツ姿がひときわ眩しい。

 

 真幌はすこし頬を赤らめた。

 照れ隠しに気まずそうな表情を浮かべ、白髪を掻く。


 仕事とはいえ、彼女をずっと騙し真相を隠していた。自分にだって罪悪感はある。

 だから顔を面と向かって合わせるのは、少々気まずい真幌だった。


 真幌が口ごもりながら小声で言う。


「望美さん。もう、ここにはこないものかと……」


 言葉を遮るように望美が笑顔で言う。

 

「店長、お元気ですか?」

「ええ、まあ……ぼちぼちとは……」


「ご飯は、しっかり食べていますか?」


「それが、最近は仕事も忙しいし自炊もめんどくさくて、なかなか……それよりも望美さんの方は、顔色良さそうで」


「ふふっ、だってあたし、もう生霊じゃありませんからね」


「そうか、そうでしたよね」

「ですよー」


 ふたりは顔を見合わせてくすりと笑った。


「店長の方は、顔色けっこう悪いですよ。昼に夜に、働きすぎで疲れているんじゃないですか?」


「ええ、まあ……正直、スタッフを雇いたいところではあるんですけど。あまりにも夜の業務内容が特殊すぎるので『店員さん募集』と表に貼り出すわけには」


「ですよねえ。夜は死神との契約代理店だなんて。そりゃあバレたら、みんな逃げ出してしまいますよね」


 苦笑する真幌。

 彼は望美のリクルートスーツをちらと見ながら言った。


「望美さん、今日は面接の帰りですか?」

「いえ、帰りではありません」


 では、面接へ向かう前に立ち寄ってくれたのだろうか、と真幌は思った。

 

「店長。実はあたし、今日はお店に忘れ物を取りに来たんです」

「忘れ物、ですか?」


 はて。そんなものあっただろうかと、真幌は首をかしげた。


「はい、ちょっと店の奥を探させてもらってもいいですか?」

「ええ、どうぞ」


 勝手知ったる昔の職場。望美は暖簾を潜り、店の奥へと行った。

 しばらくして望美は店頭に戻ってきた。

 

「店長、見つかりました。これです!」

「そ、それは!?」


 それは茜色の和装メイド服だった。

 困惑の表情を浮かべる真幌。

 

「メイド服を記念に欲しいってことですか? でも、ごめんなさい。それは差し上げるわけには……」

「ええ、分かっていますって」


 ――奥さまとの思い出がいっぱい詰まった、大切な形見ですものね?


 望美はそう口に出したい気持ちを抑えて、別の台詞を言った。


「分かっていますって店長。だから持って帰りたいって意味じゃないですよ?」

「と、いいますと?」


「店長、あたしの今の姿を見て、何かお気付きになりませんか?」


 誇らしげに胸を張る望美。つんつんと自分の胸元を指差す。


「リクルートスーツですよね? 素敵ですよ。とてもよく似合っています」


 望美はえへへと笑った。


「ありがとうございます。相変わらず口がお上手ですよね。お世辞でも嬉しいです」


 お世辞などではない。今日の彼女は本当にきらきらと眩しく輝いて見える。


 真幌の頬が火照る。密かに胸の奥もだ。

 異性に対してこんな気持ちになったのは、一体どれくらいぶりだろうか。


「つまり望美さんは、新しいお仕事を探されていらっしゃるんですよね?」


「はい。あたし見ての通りの就活中なんです。だから店長、あたし今日は――」


 望美は背の高い真幌の目を、まっすぐに見上げて言った。


「あたし、まほろば堂へ面接に来たんです」

「えっ!」


 仰天した顔をする真幌。


「店長、あたしをここで雇って頂けませんか?」


 そう言いながら望美は今朝、玄関先で呟いた台詞を回想した。

 

【「今日の面接、どうか採用されますように」「あたしの新しい門出、天国から見守っていてね。おとうさん、おかあさん」】


 そう、彼女の志望する職場とは、他でもない土産屋『まほろば堂』だったのだ。


「望美さん……本気ですか?」


「もちろんですよ。以前はバイトの見習いメイドでしたけど。一応は実務経験になりますよね? それにあたし、この仕事にやりがいを感じていたんです」


「やりがい、ですか?」


「ええ。だってここのお客様は、あたしの存在を……あたしがここに居ることを、ちゃんと認めてくれるじゃないですか?」


 精一杯の笑顔を作って望美が言葉を続ける。


「それがなにより嬉しかったんです。なんか生きてるなって実感が沸くんです。って、生霊だったあたしが言うのも変ですけどね」


「望美さん……」


「それに店長。あたしのおかあさんに『僕が責任を持って彼女の身元を引き受けますので、どうぞご安心してください』って仰ってくれたんですよね?」


「ええ、まあ……」


「男ならご自分の発言に、ちゃんと責任とってくださいよね。ねっ、マダムキラーの店長さん?」


 精一杯の背伸びをしながら、精一杯の茶目っ気を作り、にこやかに言う望美。


 だけど、すべては虚勢。内心はドキドキだ。断れたらどうしようかと、さっきから背中も掌も冷や汗でびっしょりなのである。

 

 真幌は顎に手をやり、眉をひそめてしばらく考え込んだ。


 沈黙が続く。

 上目使いで恐々と、店長の顔を覗き込む望美。

 

 ――やっぱ……いきなり、ご迷惑だよね……ちょっと図々しすぎた……かな……。

 

 目と目が合う。


 藍染着流し店長の、白髪の奥に垣間見える長いまつげに鳶色の瞳。

 望美の胸が、とくりとときめく。


 しばらくして真幌は、ようやく重い口を開いた。


「申し訳ございませんが、うちはごらんの通りの零細個人商店なんで……」


 面接不採用の典型的な断り口上だ。望美はがくりと肩を落とした。


「やっぱりそうですか……」


 項垂うなだれる彼女の姿を見て真幌は、ふっと頬を緩め言葉を続ける。


「ごらんの通りの零細個人商店なんで、そんなに良い月給は出せないんですけど。ちょうど、人手も欲しかったところでもありますし」


 望美の顔が、ぱっと花咲く。


「え、それじゃあ。いいんですか、店長? あたし、雇ってもらえるんですか」


 こくりと頷く真幌。


「あたし……ここにいても……いいんですね?」


 ぼっちで孤独だった自分が、ようやく見つけた心の居場所。


 もう、決して離しはしない。

 望美は手にした茜色のメイド服を、胸元でぎゅっと抱きしめた。


「店長……あたし……あ……たし……」


 何度も繰り返しつぶやく望美。瞳に涙が溢れている。

 桜色に染まる彼女の頬に、ほろりと一筋の雫が伝う。


 はらはらと桜舞い踊る倉敷美観地区の片隅で。

 店長の真幌はにっこりと笑い、望美の細い肩へ手を差し伸べた。


「おかえりなさい、望美さん」


(了)


☆あとがき


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


押し掛けメイドと、男やもめの店長。ふたりの淡い恋物語はここから始まります。気が向いたら続編書きますね。


【2018年 春 初稿:約14万文字 執筆期間:約2ヶ月】

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冥土の土産屋『まほろば堂』1 ~倉敷美観地区店へようこそ 祭人 @kurenaikou

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