なんといって
「それでさ、相手はどうしたと思う? ペニバン舐めろってんだから笑ってたんだけど、確かにチンコじゃないんならモザイクかける必要もないから、私の顔を邪魔せずに撮影できるんだって説明されたのよ。なるほど頭がいい変態だなって思わない?」
「ミッコ、ほんと声デカいから、ボリューム下げて、ほんと声デカいから」
突き刺さるカフェにいる他の客の視線を気にしながら、私は前屈みにコーヒーを啜った。終末、新宿のカフェに人が少ないわけもなく、私達のボックス席はあっという間に注目の的となった。
「分かったって。でも感心したんだよ、普通薄く加工するとか、それくらいが関の山なんだろうに。どうにかして抜け道を、って考えているうちに思いついたんだろうと思うとおかしくてさ」
「分かった。撮影の面白かった話は家でしようよ。今はよそ行きの話題で我慢して、あんたを誘った私が間違ってたから」
ミッコは赤い縁の眼鏡を悪戯っぽく直した。すらっと長い手足に細いボディ、混血ではないとは信じられないくらい高い鼻と、そう高くもないシャンプーで洗われた、喉から出るほど綺麗な黒髪のストレートを有した彼女は、黙っていればどこに連れて行ったって恥ずかしくない人間だ。問題は口だ、というか頭だ。こんな人に私の受験勉強の面倒が見られていたのかと思うと、頭痛がしてくるから困る。
「じゃあさ、アカネの次回作の話を教えてよ。密かに楽しみにしてるんだけど、なかなか書いてくれないじゃん。最後に書いたのって、今年最初だったけ?」
緩やかなブラウスにブルージーンズで足を組んだ彼女は、にっこり笑って私に問いかけた。地味に私のヒットポイントを削ってくるものだから、やっぱり個人撮影AVの話を続けてもらえないかと思ってしまった。
「ええぇ……うんと、ちょっと詰まってるからまだかかりそうかな……」
「お、珍しくスランプ? 前は壊れたコピー機みたいな勢いで原稿作ってたのに」
「たまにはそういう感じにもなるよ」
「原因は?」
悪気もなくヅカヅカ踏み入れてくる彼女の問いに、私は少し気圧されながらも心地よさを感じていた。私がなにか愚痴りたいとき、彼女はそこにピンポイントで問いをぶつけ、自然と吐き出させてくれるのだ。
「よくは分からないけれど……たぶん、信じられなくなってきたんだと思う。私にとって面白い小説って、他の人にとってはそうじゃないんじゃないかって思ったっていうか……まいったな、今度大阪まで遠征に行くのに……」
さっきまでの威勢はどうしたと、自分でも思うような小声になった。口の開き方がまるで変わってしまっている。
「そりゃ……そうでしょうよ……」
なに当たり前のことを、と言いたげな目で彼女は私を見て貫いた。
「ちょっと抽象的に言ってない? 言えるのなら、もう少し具体的に言ってごらん。なにが嫌だなって思ったの? もちろん無理に言わなくてもいいけど」
この人の目を見ていると、決して私のことを馬鹿にしたりしないんだろうなと安心していられる。この手込めにされている状況に、たまにイラッとすることはあるけれど、たいていが一人で彼女のことを考えているときだけだ。こうして向かいあっていれば、ミッコのことを嫌いになる要素なんてどこにもないんだって実感させられる。
私はいつものようにはいているベージュのショートパンツの上で、堅く握られている自分の拳を見ていた。どうしてこうも、彼女と私は違うのだろう、背の高さも胸の大きさも、似合う靴やネイルの上手さ、化粧品の選び方も全部、彼女に誇れるものなんてなにもない。
私は彼女の下位互換だ。
「売れないんだよね、私の小説」
目まで細くなった。私は少し息を吐いた。
「売れないって、一冊も?」
「そこまでじゃないけど……一〇冊も売れないかな……」
売れたことなんてない、が正しい表現だった。
「ミッコの動画ってどれくらい売れるの? こんなこと聞いていいのかは分からないけど」
「ものにはよるけど、数千単位で売れるよ。隠しても仕方がないから言っておくけど」
数千ダウンロード、しかも彼女の動画は一本千数百円はする価格のはずだ。私の小説なんて、高くても一冊数百円の域を出ない。一人で書いて、筆力もないから分厚い本も作れない。
「それじゃ私のやってることなんて、ミッコに比べればほんと、遊びみたいなものだね」
そりゃ分かってはいたけれど、遊びのようなものだって。でも、なんだろう、どうして悔しいのだろう。ミッコに対してではなく、自分の情けなさにここまで腹が立ってしまうのはなぜなんだ。
「……私は好きなんだけどね、アカネの書いた小説」
「……ありがとう」
彼女はミルクティーを啜って、私にほほえみかけてくる。こんなことを彼女に愚痴ったって仕方がなかったということに、いまさらながら気がついて私は話題を変えようと思っていた。
「ただ、同人小説はもともと売れないものだからさ、そこはどこかで妥協しないといけないことだと思うよ。アカネに言うのは申し訳ないんだけど」
彼女は頭を掻いてそう言った。
「コンテンツの売り上げって、やっぱり人の欲望をどれだけ煽れるかってところにかかっていると思うの。だから私がやっていることなんて欲望にダイレクトに訴えかけているから売れるんだよ。むしろ小説って知的で、だからこその価値があるんだと思う……」
それでも私の周りにはいくらでも売れる人がいっぱいいて、彼ら彼女たちに対抗するためにはどうしたらいいんだろうかと考えてしまうんだ。なんて言いだしそうだったけれど、私はこらえた。これ以上彼女に気を遣わせるのもどうだろうかと思ったのだ。
「……って言ってもしんどいもんはしんどいよな! 私はペニバンしゃぶってりゃいいけど、あんたは必死に机に向かってんだから、報われるのはあんたじゃないといけないよね!」
「だから、声がデカいって……」
周りからの視線はいたかったけれど、彼女が大声を張り上げてくれたおかげで自然と私も大きな声を出せるようになった。敵わないなと思ったし、また救われてしまったとなぜだか心が痛かった。
「ほーれ、おいで」
彼女の両手に抱きしめられて、私はそっと目を閉じた。1Kの部屋の中、私達二人は身体をくっつけあって温もりを感じていた。そこには性的な匂いはなくて、服の上からただ身体を触り合うだけの行為が繰り返された。お互いの輪郭を確かめているような、ただ肌の弾力を確かめているだけの手つき。
「私、もう小説書くの止めたいって最近思ってるの」
彼女の胸の中で言ってみた。言ってみただけで、深い意味はなかった。
「アカネ、私は読んでいたいよ。あんたの小説」
そう、こう言ってもらえる気がしたから言ったんだ。私は卑怯だった。甘えていた。彼女の優しさにかこつけて、弱い自分を、自分では認められない自分を代わりに認めてもらおうという魂胆だったんだ。本当は私が私自身でなんとかしないといけない問題なのに。卑怯者だった。どこまでも救いようはなかった。
夜のカーテンが降りて、仮初めの承認を私は貪った。こんな私はなんといってしかるべきだろう。少なくとも人間のあるべき姿ではないのは明らかだった。
「私もたまに思うよ、自分の身体を売って法外な収入を得て、こんなのやってなんになるんだって」
私は彼女が零したその弱音に、なんと言ってあげられただろう。手で頭は撫でてあげたけれど、それ以上のなにが、私にできたというのだろうか。
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