アヒルの親子


「どうだったの、この間のイベント」

 ゴールデンウィークがあけ、大学には本来の気だるさが満ちていた。食堂にあれだけごった返していたうるさい人たちは、夏の足音を怖がるみたいに学校からいなくなり始めている。春の桜に隠れて学校から消えた人にも驚いたけれど、この時期が一番大学に人がいない時期なのだ。これがテスト期間が近づくにつれて少しずつ人が戻ってくるというのだから、学びとはいったいなんのなのだろうかと思ってしまう。

「まあ……普通だったよ」

 サークル仲間のミヤザキに尋ねられると、冷たいものがお腹に落ちるような気がした。自分の思ったとおりに本が売れなかった。なんて格好悪いから言いたくなかった。なのに上手くそれを誤魔化せるような演技力もないから、今みたいに私は目線を泳がせてしまうのだ。

「そっか。まあ今度飲みに行ったら色々話聞くよ」

 私の様子を見て、なにかしらの濁りを読みとった彼はそんな風に気を遣ってみせる。彼氏と付き合っていた頃からミヤザキとは定期的にご飯に行っている。私は彼を恋愛対象としてみることは難しいと感じているけれど、ウマが大学にいる人たちの中ではずば抜けて合うものだから、ずるずると名前のない関係を続けている。これが心地良いと感じているのは私だけなのだろうかとたまに不安になるけれど、こうやって同じ講義の後にお昼に誘ってくれるということは、まあ嫌な思いはしていないのだろう。

「……ミヤさんさ、男女が付き合うことの意味ってなんだと思う?」

「はあ、藪から棒にどしたの」

「彼氏に言われたの。付き合っている意味が分からないから別れようって」

「なるほど、で、別れたの?」

「うん。だってそんなこと言われてもどうしようもなくない?」

「まあ、なにを言っても無理そうな流れだよな」

 丸い眼鏡の位置を直して、彼は「ん~」と考え込んだ。時計をちらりと見やり、昼休みの残り時間を確認しながら。

「セリノは意味があるって考えてるの?」

「そんなこと考えたことない」

 ミヤザキに言い放った私は、次の講義でどの本を読もうかと考えていた。キンドルに入った本で今の気分に合うものはどれだろうか、なんて失礼だ。

「じゃあ、意味を求めない人と巡り会えるといいね」

「意味を見いだせるようにしなくていいの?」

「だって無理に意味を付け足したって、そのうち背伸びが辛くなるよ」

「背伸び……?」

「無理することないよってこと」

 食堂のサーバーから汲んだ水を飲んで、大きくミヤザキはため息をついた。細くて筋肉のない腕で空になった食器たちを持ち上げる。私もそれに続いてトレーを掴み、後を追っていく。

「じゃあ、客観的に見て意味があると思う? 恋愛に」

「恋愛に客観視を持ち込むことなんて不可能だよ。恋愛感情を誰かに抱ける人はもちろん、恋愛感情というものを実感できない人はなおさらだ」

「じゃあ、ミヤさんはどう思うの?」

「主観的に?」

「独善的に」

 そうだなー、ごちそうさまでした。食堂のおばさまに笑顔を振りまいて、彼は次の教室へと向かう。私の途中までは同じ道を通るからアヒルの親子のようだった。

「てか、ミヤさんって誰かと付き合ったことあるの?」

「あるよ。高校生の頃だけど」

「どんな感じだった?」

「どうって、不気味だったよ」

 さらりと言ってのけ、彼と私はお互いの別れ道で立ち止まった。

「セリノ、今日三限で終わりだよね?」

「え? うん」

「じゃあ終わったら部室で待ってて、レポート出しに行くから遅れると思うけど、三限終わったら僕も行くから。帰りながら独善的な意見を言ってみる。ちょっと考えたいんだ」

 そう言ったら彼は人混みの中にぐんぐん進んでいく。その華奢な後ろ姿は、誰かとぶつかっただけで砕け散ってしまうんじゃないかと思うくらいに儚く映った。


 ミヤザキと私は、サークルのはみ出しものというにふさわしい人間だった。お互い週に一度、活動の集まりには出席しているだけの存在で、飲み会や合宿にはほとんど参加したことがない日陰者だ。もっとも、彼は最初からそういう位置で、新歓の飲み会で先輩と口論を演じてからずっと一匹狼で過ごしているプロフェッショナルだ。私はといえば、一年生の夏の終わりまでで二人の先輩と付き合い、酷い別れ方をしてから誰もが腫れ物に触るかのような接し方をしてきて、イベント事に参加しなくなっていった。

 最初の学園祭の展示を作るとき、私とミヤザキはカフェの内装を制作することになり、そこで初めて会話をしたのは良く覚えている。私と向き合うなり、彼はこんなことを言ったのだ。

「どうせなら九〇年代ロックで埋め尽くそう」

 自分の趣味を振りかざし、精一杯職権乱用していく彼の姿に私は笑みを禁じ得なかった。彼に言われるがまま、サークルが運営する学祭の喫茶店に飾るパネルを作り続けた。洋楽ならオアシス、レディへ、マイブラ、ニルヴァーナ。邦楽はブランキー、ミッシェル、スーパーカー、椎名林檎、ナンバガなんかの写真を大きく印刷してトレスした。先輩たちから隠れ、こそこそ私の部屋でパネルを二人で作ったあの日々は、世界への密かな抵抗を企てているみたいで楽しかった。

 ただでさえ音楽鑑賞研究会なんてなぞのサークルなのに、そこのカフェに入ってみたら世代もジャンルも極端に狭いパネルが部屋を覆い尽くしているのだから、来た人々からすれば謎はさらに深まるばかりだっただろう。

 部員たちから怪訝な目で見られながらも、私達二人の馬鹿さ極まりないパネル群は学祭前日に搬入され、まったくそれとは関係のないソニー・クラークなどがBGMに流れたりするカオスな空間が形成されたのだ。

 私達にはそれ以降、サークルでまともな役職が与えられることもないままで。いるかいないかも分からない存在に成り下がっているのだ。


 キンドルで柄谷行人を読んで、心地の良い睡眠欲に身を委ねているとそんな懐かしいことを思い出してしまった。久しぶりに部室に行くことになったからだろう。いつものサークル会議は部室ではなく教室を借りてやるから、本当に久しぶりに思える。

 昔付き合った先輩たちはもう引退しているけれど、未だに部員たちから向けられる視線にはその頃と同じ気の毒なものを見る色が含まれている。そこまでセンセーショナルな事件だったのだろうか、単に私が泥酔して彼氏以外の人間を家に招いてしまっただけじゃないか。彼らになんの関係があるんだろうか。

 分からない、分からないことが多すぎる。

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