律儀にも
「お疲れ様です」
聞き慣れない声だなと部室にいたみんなが顔をあげた。そんなに私の顔が珍しいのかと問いたくなるような表情も見えたけど、なんでもないとソファにそっと座った。そのまま電子書籍を読んでいようと思い鞄を開ける。
「セリノさん、夏の合宿って来るの?」
同学年の女性が不愉快な笑みを浮かべながらそう言った。私は目線をそちらに寄越すことなく、「うーん、まあ行かないかな」と答えた。予測できていたことだと言わんばかりに、彼女は手元のノートになにか書き込んでいく。ああ、彼女が合宿渉外だったけ、だから聞いてきたのか。なんだか悪い勘違いをしてしまったような気がするのだけれど、まあそこで申し訳なく思うほど、なにか関係が深いわけでもないのだからいいだろう。
「そういえばセリノさんって小説書いてなかったけ、最近どうなの?」
サークルの部室に一年生の頃からやたらと顔を出して、いまや御山の大将と化した男性が、合宿渉外よりも底意地の悪い声で私に尋ねた。
「うん、この間もイベント出てたよ」
一年生の頃、まだ私が飲み会にも参加していたときに言っていた話題のこと、まだ覚えているんだ。確かに自分のキャラクターを知ってもらおうと趣味で小説を書いているんだということはよく話していたけれど、それを未だに続けているとは思わなかったのだろう。侮られているなとつくづく思う。
「イベントってなに? コスプレとかするやつ?」
反射的に顔をあげたくなったけれど、必死にキンドルに目線を落とし続けた。キンドルアンリミテッドで落とした新書の文字を舐めていく。味はしないけれど、これを止めたくないと必死だった。
「いや、そういうイベントじゃないよ。結構真面目な感じ」
「へー」
つまらなさそうにぼやき、彼は他の学生と同じ部室にとりつけられた大型モニターの方を向く。一世代古い据え置きゲームが接続された画面では、シューティングゲームが興じられていた。
私は肩の力を抜いて読書にやっと集中した。こうも分かりやすく嫌味っぽいことを言われるとは思わなかった。きっと先輩たちがいなくなって、彼ら自身の見せ方というものが変わってきたせいだろう。サークルの体質が変わるのは仕方がないと思うけれど、意識的かどうかはともかく、自分たちが排他しようとしている人間の気持ちは考えたりしないのだろうか。考えてこれなら、もう諦めるしかないのだけれど。
「お疲れです」
「あ、ミヤさん」
今日は珍しいものがたくさん獲れる日だなと言いたげな他の部員は無視し、私は早々に立ち上がった。
「待たせてごめん、行こうか」
淡々と、他の部員に目もくれない彼は荷物もおろさないまま私に言った。
「うん」
すぐに鞄を持って立ち上がり、私は彼についていく。背後に刺さる視線に妙な優越感を感じながら、扉を軽やかにくぐった。
授業の終了時間からちょっと時間がずれているおかげで道はそれなりに空いていた。すぐ前や後ろに人がいないから、誰かに気を遣うこともないまま歩いていられた。
「で、考えてみたんだけど」
ミヤザキはさも当然のように昼の続きを話し始めた。マジックアワーに照らされている、病的な細さの彼は印象的な瞳で語っていく。
「どれだけ考えても、男女が一緒にいることの意味は見つからなかったよ」
「う、うん」
まずい、今そういうことを話すテンションじゃないな。けれど話を聞いておかなければならない空気だから、とりあえず頷いてしまう。
「まあ、子供を作るとかそういうことなら意味は生じるとは思うけれど、それ以外はやっぱり意味はないよね」
「じゃあ、ミヤさんは恋愛はしないの?」
とりあえず向こうに喋らせておこう。というわけで質問だ。こっちのテンションが上がってくることができたら、こちらも発言していこう。
「……」
ミヤザキは無言のまま立ち止まり、駅に向かう坂道で私達は見つめ合うことになった。ちょっと予想していないリアクションで、驚いた。
「しないかっていわれると、それも違うと思う」
「おぉ、そっか」
「意味はないと思うけれど、意味を求めるものではないとも思うよ」
「うん……そうだよね……」
なんか私、自分で話を振っておいて乗りが悪いやつみたいになってる。申し訳ない。
「……」
「……」
律儀にも二人分の三点リーダーが書かれたみたいな沈黙だった。初夏にもまだなっていない夕暮れを、半袖で身体を覆った男などが過ぎ去っていった。
「どう、思う?」
「どうって?」
「僕の意見」
「いいと……思うよ。間違ってないだろうし」
彼の意見は特に目新しい意見ということもなければ、想定外ということでもなかった。まあ強いて言うなれば。
「私の意見と同じかな。意味はないけどそこに欲求とかがあるんだから、じゃあ意味がどうのっていうのはナンセンスかなって……」
「そう、意味っていうとそれがすべてみたいに捉える価値観は、ちょっと良く分からないなって思ったんだ」
「分かるよ」
どちらともなく歩き出し、人混み溢れる駅へと向かう。会話というものは生ものだ。するべきタイミングにしなければ、変な食感や風味が香る。それで済めばまだマシだけれど、場合によってはお互いを壊したりするのが恐ろしいものだ。私のボルテージの上がらなさに気がついたのか、彼は別の話題を振ってくれたけれど、頭の隅に余計な考えを置いている私にそれらは気持ちよく響いたりはしなかった。
「あっ、そういえばミヤさんって合宿行くの? サークルの」
新宿行きの電車に乗る直前、私は彼にそう尋ねた。
「行くわけない。そっちは行くの?」
「行くわけないでしょ」
顔を見合わせて笑った私達は、帰宅ラッシュが始まる前の車内に余裕を持って並んだ。彼はリュックを前側に持ってきて、周りの人の迷惑にならぬようスペースを空けた。
「じゃあ夏は結構暇なの?」
多摩川の上で彼は私に尋ねた。こういうことを聞かれるのは珍しいなと、私は密かに驚いていた。あんまり彼が私のプライベートに関して質問をしてくることは少なかったからだ。同人活動は別にして。
「うん、まあバイトはするつもりだけど、そんなに多くは入らないかな。でもインターンとかも考えてるし、死ぬほど暇ではないかなってくらい?」
「そっか」
なにか言いたげに見えたけど、彼はそれ以上夏についての話を続けることはなかった。私達はそのまま、気怠そうに一日を続ける東京に身を委ね、人の流れるまま別れていった。はみ出しもの同士仲良くやっている私達こそ、いっしょにいる意味なんてあるのだろうかとふと思い、寂しくなった。
一人で晩ご飯の用意をして、一人でそれを食べて片付ける。お風呂の準備と片付けも、それから明日のことも考えて、だなんて生きるのは単純でもっても簡単にはいかない。
ベッドに横たわり本を読んでいても、机に向かって新刊用の原稿を書いていても、ふとどこか孤独を部屋に見いだしてしまったら、誰かに連絡をとりたくなってしまうのだから情けない。ミッコは今どうしているのだろうと考えてみた。久しぶりに彼女の部屋に遊びに行きたいだなんて思ってしまいそうで、私はなにかしら画面に目線を送り続け、背後に忍び寄った孤独を無視しようと努力した。
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