彼女は夢で星を見る

ろくなみの

第1話

 誰も見つけたことがない星を見つけたら、自分の名前がつけられる。少女は部屋に用意された本でそのことを知った。

同じ毎日の繰り返しに退屈していた少女は、望遠鏡を置いてくれないかと注文の紙に書き、ドアの下にある食事がいつも通される十センチ程度の隙間に滑らせた。

 後日、目が覚めたとき部屋に小さな天体望遠鏡が用意された。ずっと起きていたらいつまで経っても注文したものは届かないのは知っていたから、おとなしく夜は眠ることにしていた。

天体望遠鏡の使い方は本で覚えていた。少女は本で読んだ内容はすべて覚えていた。

真っ白な部屋でただ一人。大量の本とドアとベッドに窓が少女の世界のすべてだった。

 夜になり、小さな窓から星を眺めることができた。望遠鏡のレンズを覗き込み、夜空の世界に圧倒される。

 図鑑で見た夜空が、目の前にある。その感覚に少女は酔いしれた。

 いけない。最初の目的を忘れていた。

 少女は慌てて望遠鏡をぐりぐり動かしながら夜空の星を探していく。どれもこれも図鑑で見た星ばかりだ。私が住んでいるこの地球周辺の星なんてほとんど見つけられているに決まっている。頭のいい少女にそんなことはわかりきっていた。少女は何度か大人の話を聞いている。そこからわかっていたのは、自分には人並外れた知能と、他の人にはない力があるかもしれないということ。そしてそれは世界のために使わなければならないこと。そのためには少女は一人でここに十二年、過ごすことになっていた。

その時間は果てしなく、永遠のように長い。夢を見ることくらい許してほしい。そう思いながら祈るような気持ちで少女は星を探し続けた。

 次の日も、少女は探す。その次の日も、そのまた次の日も。そんな日が十日ほど過ぎたある日のこと。その日も少女は星を探していた。

「あ! あれは!」

 普段だれかと口を聞くこともない少女が、どれくらいぶりかわからないほど久しぶりに声を発した。あまりの驚きに何度もレンズを凝視する。

 見たことがない星。白い雪のようなものが積もった、幻想的な星。小さなその星は、どの図鑑にも載っていなかった。

 少女は自分の名前を星に付けることなんてとうに忘れていた。自分の力で未知の星を見つけた喜びに酔いしれ、うっとりとそれを眺め続けた。

 来る日も来る日も少女は星を見る。読書も、時には食事を疎かにするほど少女をその星は虜にしてしまったのだ。

 あの星には誰かいるのだろうか。いたらどんな人なのだろう。少女は今までずるい大人ばかりにあっていたから、かわいい自分と年の近い女の子だったらいいなと思った。

 あの星がどのあたりの距離にあるのか、頭のいい少女にはなんとなくわかっていた。今のこの国の科学力では、生きているうちにたどり着くのは難しいほど、果てしなく遠い。

 こんなにはなれているのなら、行くのなんて夢の話だ。そう結論が出てしまった少女はなんだか切ない気持ちになり、ベッドに入って眠ることした。

 少女の思った通り、その星にたどり着くのは夢の話だった。

目を開けると上空にはまるで黒い絵の具で塗りつぶしたかのような真っ黒な空と、金平糖のように光を放つ星が目に入る。

 窓越しではない。本物の夜空、いや宇宙だ。その広大さに少女は見惚れる。ああ、ずっとこれを見たかった。生きていてよかったと初めて思った。

 宇宙の広大さを十分に堪能した後、少女は辺りを探索しようと思った。地面は白い。少女のいた部屋によく似ていた。白い地面に触れてみる。さらさらとした白い砂が少女の手のひらに触れた。これが、地面か。

 頭のいい少女はここが夢の中だということはすぐにわかった。だからといって悲観はしない。夢の中で念願の外に出られたのだ、堪能しないなんて勿体ないにもほどがある。砂をすくい、手のひらで擦り合わせる。すくった砂を指で突っつく。その感触に少女は虜にされ、寝転がり、砂の感触を頬で、全身で堪能した。

 するとザッザッと、何かが近づいてくる音がする。静かに、けれども頼りないその足音は次第に大きくなる。誰なんだろう。そう思いながらも初めての地面の感触のほうが少女には重要だった。

 仰向けになると、それは少女の顔を除きこんだ。

 絵本で見た雪女のようにとてもとても長く、白い髪が印象的な女の子だった。眩しいほどのその白い髪と同じくらい、その女の子の肌は白い。その眩しさにまた少女は目を奪われる。「素敵」

 思わずそう呟いた。

「ス、テ、キ?」

 たどたどしい口調で女の子は音を発する。小鳥のさえずりを思わせるそのやさしい声に、少女は素敵な人に出会ったと思った。

 少女が見つけたその星には、少女と同じように一人ぼっちの女の子がいた。

「こんにちは」

「コ、ンニチ、ハ」

 女の子は言葉をそう反復する。

「あなたは、誰?」

「ア、アナタ?」

 少女はこの子が言葉を理解していないことを察する。ああ、そうか。この子はずっとこの星に一人でいたんだ。何も知っているはずがない。

 それでも、自分と年の同じくらいの容姿の女の子に出会えたことは、少女の胸を高鳴らせた。

「私がいろいろ教えてあげるね」

 少女は地面に文字を書いた。まずは日本語を教えようと思ったのだ。地面の文字を指さしながら、少女はその文字を口に出す。女の子はそれを同じようにまねをする。しばらくすると、女の子はすべてのひらがなを理解することができた。

 少女は思った。この子は私なんかより、遥かに頭がいい。たぶん、他の誰よりも。

 少女は地面に絵を描く。昔読んだ国語の教科書を、そのまま写しているのだ。今まで読んできた本は、全て頭の中に入っていた。

 それを続けるうちに、女の子は簡単な文章を理解できるようになった。

「わたし、は、ケイコ、です」

「ねえ、それは教科書の女の子の名前よ? あなたの名前は?」

「……」

 馬鹿な質問だと思った。

「ごめん、わかんないよね」

「なんで、わからないのが、わかったの?」

「目は口ほどに物を言うのよ」

「なにそれ」

「ことわざ、また教えるね」

女の子はここにずっと一人でいたのだ。名前を付ける人どころか、名前の概念すらなかったのに。名前なんてあるはずがない。

 少女はそこで思い出す。自分が初めて見つけた星には、自分の名前をつけていいことを。けれども少女は悩んだ。自分があの大人たちに呼ばれていた言葉が『サンプル』であることを。サンプルという単語を少女は辞書で理解していた。標本。見本。例。

 少女はその言葉を嫌悪していた。自分を形作る言葉がそんなものであっていいはずがない。だから、別の名前をつけることにした。

「あなたは、イブ」

この星の唯一の人間。どうして生まれたのか、お父さんやお母さんはどこなのか。そんなことはわからない。けれども、この子は確かに存在している。ならば、名前が必要だ。

「私は、アダム」

 それは一つの願望だった。自分も最初の人類で、何かに続くことをしたいという。大人が自分で何を企んでいるのか、詳しくはわかっていない。現実世界で少女が『サンプル』であるならば、夢の中でくらい、アダムでありたかった。男の名前なのが少し気がかりではあるけれど、星の女の子にはイブという名前がぴったりだと思ったのだ。

「イブ、アダム?」

 イブは納得したように、こくりと頷く。頬を緩ませ、嬉しそうに目を細めた。

 何かを愛おしく思ったのは初めてだった。

 イブに基礎的な国語を教え終わると、次第に眠くなってきた。

「アダム、眠いの?」

 そのころにはイブの文章にぎこちなさはほとんどなくなった。

「うん」

 そう答えると同時に意識が遠のく。目が覚めると少女は見覚えのある白い天井が見えた。ああ、夢から覚めてしまった。少女はたまらなく切なくなった。

 いつも通りドアの下の隙間から通されるペースト状の食べ物を舌で犬のように舐めて食べる。辞書で『おいしい、美味い』という概念はあったが、同じものを食べ続けている少女には無縁の話だった。

 その日も一日、本を読んで過ごす。昼と夜に朝と全く同じ食べ物を舌で舐めとる。これをしなければ生きていけないことは本能でわかっていた。

 窓の外ではたまに鳥が飛んだり、雲が流れたり、雨が降ったりくらいしか目にすることができない。今までは退屈だなと思っていた少女だったが、今では違う。イブに今日はどんなことを教えてあげようかということを考えていた。

 夜、日が沈み、窓の外には小さな宇宙が広がる。それをまた望遠鏡で眺める。イブのいる星は今日も変わらず、白い。この望遠鏡の倍率ではイブを視認することはできない。でも、今イブが何をしているのか、想像するだけで胸が高鳴った。

 夜、ベッドに入り眠りにつく。今日も同じようにイブの星に行けることを祈った。

 目が覚める。目の前には昨日の夢と同じく、宇宙が広がっていた。

「アダム、おはよう」

 イブがそう話しかけてきた。挨拶の概念は覚えているようだ。少女は安堵のため息を漏らす。

「はー。よかった」

「それは、どういう意味なの?」

「それ?」

「はーって、今息を吐いた」

 イブは疑問を抱くようになった。

「えっとね。あなた。その、イブが挨拶してくれて、安心したの」

「なんで?」

「昨日のこと、忘れちゃってたんじゃないかって」

「どうして?」

「これは、私の夢だから」

「夢? なんで? イブ、起きてる。これ、現実じゃない?」

 ああ、そうか。少女は失言だと思った。ここが少女の夢の世界だとしても、夢の世界の住人のイブは、実際に星にはいなくとも確かに一つの存在なのだ。

「なんでもないよ。忘れて」

「忘れて? それは難しい。忘れるって自然なものだから」

 イブの理解力はあまりにも高く、少女を圧倒させた。

 今日は算数を教えた。数の概念がこの星で重要なのかどうかはわからないけれど、イブに教えるのが楽しかった。自分の頭がいいことはわかっていたけれど、それが誰かの役に立ったことは今まで一度もなかったから。

 算数の足し算と引き算は数分足らずでマスターした。数時間後には図形の概念、運動学の域にまでイブは興味を持っていた。

一週間がいつの間にか経っていた。

 イブは頭がいいだけではなかった。異常なまでの知識欲から、少女に知恵を求めた。特に興味を持っていたのは、星の話や天文学だった。イブの世界には星しかないから、当然か。

「この星にも、重力があるからイブたちは立ってるのね。すごい。すごいわアダム」

 すごい。その感覚が味わえることが羨ましかった。イブは新しいことを知るたびに目を輝かせた。それは夜空に光る星の何倍も眩しく思える。少女はイブの純粋さや初々しさが愛しかった。

「そうだよ。すごいねイブは」

 少女はイブの頭を撫でる。白い髪はこの星の砂のようにサラサラで、少女の手によくなじんだ。

「何がすごいの?」

「あなたは私が教えたこと以上のことを理解するからよ。それはとてもすごいことなの」

「なんで?」

「普通の人は、あなたの何倍も時間がかかるのよ?」

「普通の人って? アダムは普通の人なの?」

 その問いかけに少女はどう答えたらいいか頭をひねる。

「わからない」

「なんで?」

「わからないものはわからないの。私も頭がいいらしいけれど、あなたに比べたら私なんて、全然普通よ」

「そうなの? アダムはすごいよ。私にいろいろ教えてくれる」

 誰かに褒められたのは初めてのことだった。それがたまらなくうれしくて、イブの頭をくしゃくしゃになるまで撫でた。

「アダム、くしゃくしゃになっちゃうよ」

「してんのよ」

「なんで?」

「うれしいから」

「うれしいとくしゃくしゃにするものなの?」

「そうよ」

「わかった!」

 イブはお返しとばかり、少女の頭をくしゃくしゃに撫でまわす。お互いの頭を撫でながら、砂の上で転がり回る。初めて少女は、友達ができたような気がした。

「ねえ、アダムはなんでイブにいろいろおしえてくれるの?」

「なんで? うーん。なんでだろうね。あなたに何かしてあげたかったの。私もずっと一人で、誰にも何もしてあげられなかったから」

「そうなんだ。イブも一人でいたとき、ずっと星を見てた。どこかの星に、イブと同じような人がいないかなって。そしたら、アダムがいたの。砂の上で寝転がって、遊んでた。ねえ、アダム。アダムが住んでいたのはどんなところなの? 教えてよ」

 イブは知識の次は少女自身に興味を持っていた。大人たちの何かの研究対象としての興味ではない。親愛としての興味は初めてだった。

「真っ白な部屋で、ずっといるの。ごはんはドアの下から出される変なクリームみたいなやつを舐めさせられるの。ほしい物があるときは、紙に書く。紙がなくなったら食事と一緒に出されるの。それで、本を読んで、たまに小さな窓から空を見上げて、終わるの。それだけ」

「イブよりやれることが多い。うらやましいな」

「でもね、そんなところにずっといたら、自分がなんでここにいるのか、わからなくなってくるの」

「イブもわかんないよ。イブとアダム以外の『人』は、なんで生きているのか、知っているの?」

 イブの質問は時々、少女の想像のはるか先を行くときがあり、その度少女の頭を悩ませた。

「わかんないよ」

「アダムにもわからないことがあるんだ」

「あるよ。いっぱい。わかっているのは、私は変な大人たちに、世界を救うために十二歳まで閉じ込められているってこと」

「え? おかしいよアダム。アダムは今、ここにいる。その白い部屋の外にいるよ?」

「うん。不思議だよね。夜眠るとね、いつの間にかここにいるの」

「不思議。おかしい。なんでなんで?」

 イブはじれったそうに地面を手のひらでパンパンと叩く。

「わかんないの。私は、星を見つけたの。望遠鏡で、この星を。そしたら、ここに行きたいと思ったら、ここにいたの」

 自分でも何を言っているのかわからない。けれどもこうとしか説明のしようがなかった。

「そうなんだ! イブね、わかったよ。アダムは頭がいいから、不思議な力もあるの。だから、寝たらね、きっと好きなところに行けるんじゃないのかな」

 そんな非科学的なことを言われても、と少女は一蹴しようかとも思ったが、否定できなかった。なぜなら、少女は自分が大人に期待されている不思議な力の正体がわかっていないのだ。ならば、イブの説明も完全には否定できない。

「うん、そうかもしれないね。イブ。まさか私がイブにいろいろ教えられるなんて」

「そうだアダム! 次来た時にイブがアダムにいろいろ教えられるように準備しておくね」

「え? イブが私に何を教えてくれるの?」

 するとイブは頬を膨らませ、ジトっと少女をにらんだ。

「イブだって、言葉は何も知らなかったけれど、ここで知ったこともあるんだよ」

 そうなんだ。と言うころには意識が遠のいていた。

 目が覚めると、白衣を着た男たちが少女を取り囲み、濁った瞳で見下ろしていた。

「サンプルが目覚めました」

 若い男が髭を蓄えた男にそう報告する。

「うむ。おはよう。調子はどうだい?」

 無機質なその声に応えるのは癪だが、拒否すれば怪しい注射を打たれることは知っていたため、おとなしくうなずいた。

「そうか。もうすぐ君は十二歳になる。そうなればここを出られる」

「本当に?」

 それは願ったりかなったりだった。この部屋の外にある世界が、遂にみられる。青い海、緑色の山。道路を走る車。何でもいい。世界に触れられるということを知るとたまらなくうれしくなった。

「ああ。君のその脳を解析して、きちんと使わせてもらえる。君の力が、世界を救うかもしれないんだ。わかってくれるね。君は普通の人間として生きることはできないかもしれないけれど、我々人類の救世主になるんだ。それはとても素晴らしいことじゃないか」

 ああ、そうか。外に出るって、そういうことか。そして、少女に拒否権がないことはわかっていた。

「ねえ、駄目?」

「何がだい?」

 それでも少女は言いたかった。イブにいろいろ教えているうちに、自分もたくさんのことを知りたいと思ったのだ。

「私の脳を解析する前に、外の世界を感じたいの。海とか、山とか、走る車だけでもいい」

「それは駄目だ。本で我慢しろ。ここまでの十年間を無駄に終わらせる気か。おい、打て」

「待っ」

 少女が拒否しようと腕を伸ばすが、男たちに口をふさがれ、少女の腕は乱暴にベッドに押し付けられる。ゴム手袋の感触が不快で、吐き気がした。この手袋、何かがついているのか? 少女の体を明らかにむしばむ何かが手袋から這い出ているようだった。

 そのままちくりとした感触が少女の腕に広がり、途端に意識が遠のいた。

 目が覚める。黒い夜空。イブの星だ。イブの長く、白い髪が少女の頬を撫で、目から零れ落ちた涙をぬぐうように動いた。

「アダム、おはよう。なんで目から水が出ているの?」

 少女は遅れて自分が泣いていたことを理解した。

「たまにはそういうときもあるの。知ってる? 人って、ほとんどが水でできているのよ? イブ」

「そうなんだ。知らなかった。さすがアダム」

 そう言ってアダムは笑う。少女が十二歳になると、脳は取り出され、解析され、よくわからないが世界を救う何かになるらしい。

 けれども、それはイブとの別れを意味していた。

「ねえ、イブ」

 そのことを伝えるのはあまりにも過酷だった。少女は傷つくのが怖かった。そして頭のいい少女は、その言葉を伝えたとき、イブがどんな顔をするかくらい、想像できた。

「イブは私に、何を教えてくれるの?」

 イブは待っていましたといわんばかりの笑みを浮かべた。

「アダムにね、イブの知っているすべてを教えるね。空の飛び方。何か作り方。その二つだけだけど」

 二つとも、少女の知らないことだった。初めてのことに少女は胸を高鳴らせる。夢の中だけでも、空が飛べたり、何でも作れるのなら、それだけで十分だった。

 空の飛び方は簡単だった。とべると信じて、体が浮いている状態を想像する。それだけで体はふわりと浮き上がる。初めての感覚に少女は叫びにも似た歓喜の声を上げる。

「すごい! すごい! イブ! 本当に飛べた! こんなこと、できないと思ってた!」

「できないことなんてないんだよ。アダム。アダムはなんでもできるんだよ。だからそんな悲しそうな顔はしないで」

 イブはそっと少女の頭を撫でる。あの乱暴な大人たちとは違う、やさしい感触。イブの手はまるで氷のように冷たい。でもその冷たさが、少女の悲しみをゆっくりと溶かしてくれる。悲しみの氷が溶けると、それは涙に変わった。空を飛ぶ少女の涙が、はるか下の星の砂を濡らす。

「ねえ、アダム、また水が出ているよ。それは悲しい時に出るの? うれしい時に出るの?」

「どっちもだよ」

 そう言って少女は空中に浮かぶイブを抱きしめる。腰は少女の半分くらい細く、今にも俺そうだった。

「ねえ、イブ。なんで私が悲しんでいるのがわかったの?」

「目は口ほどにものを言うってことわざ。アダムが教えてくれたんだよ」

 ああ、そうか。ことわざもたくさん教えたな。懐かしい。私の感情に興味を持ってくれているのは、あなただけだよ、と。心の中で呟いた。

「ねえ、アダム。イブとアダムは、友達なの?」

「ううん。ちがうよ」

 少女はイブを抱きしめる力を少しだけ強くした。

「私たちは、親友だよ」

「何か違うの?」

「うん違う。すごく大切な友達なの」

「そっか。よかった」

 イブも同じように少女を抱きしめる。弱々しく、冷たい。けれどもやさしかった。少女はイブにいろんなことを教えてあげて、イブを支えているつもりだった。けれども、それは間違いだった。

 イブの頭をそっと撫でる。この時間が永遠に続けばいい。そう思った。

 イブは次に物の作り方を教えてくれた。地上に降りた二人は、砂に手を当てる。

「それで、頭でそれを思い浮かべるの。作りたいものを」

「うん。わかった」

 少女はなにを作るか悩んだ。いざ自由になんでもとなると、難しい。そこで、この間読んだ本に書いてあったキャッチボールがしたいと思った。

 すると、砂は少女の手にわさわさと集まってくる。それは徐々に丸みを帯び、固くなっていく。赤い縫い目まで見えてきた。野球のボールだ。

「できた! イブ、できたよ!」

 イブは面白そうにくすくすと笑う。

「アダム、昔のイブみたいだね」

 そう言われ少女は顔を赤くして、そっぽを向いた。

「そんなこと言うなら、遊んであげない」

「嘘だよ、アダム。ねえ、それは何?」

「ボール。投げて遊ぶの」

「投げて?」

 少女はイブにボールを下から投げる。慌ててイブは両手でそれを受け取る。首をかしげ、どういう遊びか考えているようだった。

「これを、どうするの?」

「私に投げ返して」

 イブはよわよわしく少女にボールを投げ返す。

「いい感じ」

 少女はさっきよりも強くボールを投げる。イブはそれを片手でつかめた。

「とれたよ! アダム!」

「うん。それで、投げ返していく遊び」

 少女にとって、普通の遊びをしたのは初めてだった。物語の中だけで、遊びを知ってはいたけれど、本当にそれをするなんて、夢のまた夢だと思っていた。

 そうか。これは夢だから。こんなこともできるんだ。ボールを二人で何度も何度も投げ返す。時々コントロールがそれるときもあったが、お互いに笑いながらボールを取りに行った。その時、イブは血相を変えた。

「危ない!」

 ヒューっと音がしている。それが徐々に近づいてきて、少女は音の方向を見てみた。すると目の前には少女のベッドにある枕くらいの大きさの隕石だった。少女はぶつかると思い、目をつむる。するとバチッ! と電流のような音がした。目を開けると少女の周りを虹色の膜が覆っていた。

「なに、これ」

 少女は驚きのあまり開いた口が塞がらない。イブも不思議そうにその膜に近づく。すると膜は消えた。

「アダムの力の一つなのかもね」

 イブはそう言う。イブの柔軟な思考は少女を納得させるだけの説得力になった。

「私を守ってくれるのか。でも、大人たちからは守れない」

 イブは何でもなさそうに答える。

「大人たちはアダムを研究しているんでしょ? それなら、アダムの力を対策しているものとかがあるんじゃない?」

 大人たちがはめていた手袋を思い出す。もしかしたら、あれが少女への『対策』なのかもしれないと思った。

「対策されてるんじゃ、抵抗できなくて当然か」

 少女はそう吐き捨てるように言った。

「ねえアダム」

 イブの声は少し小さい。か細く、震えている。

「何? イブ」

「アダムが十二歳になって、研究が終わっても、イブたちは会えるよね?」

 少女は忘れていた。イブの頭がいいことを。そしてその問いかけの答えを、イブは出せていいることも。だから少女は答えなかった。

「ねえ、次は本で読んだかくれんぼをしない?」

 少女の眠気はいつもよりなかなかこなかった。だから夢から覚めるのは大分先だろうと思い、たくさんの遊びを体験した。

 かくれんぼ。鬼ごっこ。缶蹴り。サッカー。バドミントン。テニス。縄跳び。トランプ。オセロ。将棋。少女の知っている遊び全てを、やれるだけやろうと思った。

 頭のいい少女はわかっていた。大人たちが打ったあの薬。そしてしばらく来ない眠気。少女は現実世界で数日は眠り続ける。その目的は、少女に抵抗させないまま、十二歳を迎えさせること。

 最初からそうしなかったのは、ある程度の知能の発達が必要だったから。だから、大人は少女に本を与えていた。

 少女に選択の余地はなかった。それが、生まれた意味だったから。

 数え切れないほどの遊びをすると、二人は疲れた夜空を見上げた。

「ねえ、アダム。太陽ってどんな感じなの? ここからは小さくてよくわからない」

「見えるの? イブ」

「うん。イブね、どんなに遠くの星でも見えるんだ。アダムの住んでいる星って、あの青いやつでしょ?」

 イブは指をさすが、少女にはわからない。イブの見えている世界と、少女の見えている世界は違う。

「うん。たぶん」

「遠いなあ。でも、いつか行きたいな」

「無理だよ。何年かかるか」

 イブは悲しそうにうつむいた。光の速さなら三日くらいで着くかもしれないけれど、とてもじゃないけど、少女が人としての形を保っている間に、たどり着くことはできない。

「ねえ、イブ」

「なに、アダム」

「あなたと親友になれて、うれしかった」

「ねえ、ばいばいは嫌だよ。もっと遊ぼうよ。二人で空を飛んで遊びたい。アダムの住む星で、海を見に行きたい。山も見たい。車も見たいし、飛行機にも乗りたい」

「あなた飛べるじゃない」

「それでも乗りたいの。ねえ、イブ。もう少しだけ、駄目なの?」

「うん。無理。私はしなきゃいけないことがあるから」

 死ぬほど嫌だけど。

「ねえ、アダム」

「なに」

「星にも寿命があるんだよね。この星の寿命って、いつかわかるの?」

「……わからない」

「寿命が来たら、流れ星になるんだよね。そうなったら、イブはどうなるの?」

「知らない」

「イブが死んだら、イブはどこに行くの?」

「天国だって」

「天国って?」

「さあ、行ったことないからわからない」

 イブは悲しそうに空を見上げる。

「ねえ、アダム」

「質問はもうやめて、もううんざり」

 答えるたびに辛くなる。お別れが近いことがわかるから。

「これが最後の質問だから。ねえ、良いでしょ」

「駄目」

「アダムは」

「駄目だって言ってるでしょ!」

「アダムは私といたくないの?」

 その言葉に、私は何も答えられなかった。

 いたいけど。いられない。でも、いたい。一緒にいたい。イブともっと遊んでいたい。だって、初めての親友だから。

 そう言いたかった。けれど、意識は遠のく。それは、イブとの別れを意味した。


 目が覚める。意識がまどろむ中、体がうまく動かない。微かに白い天井が見えた。

「イブ?」

 仰向けのまま、そう声をかける。誰も返事をしない。いつもの少女の部屋だった。

 イブともう会えない。さよならくらい、言えばよかった。枕に顔を押し付け、涙を流す。枕に涙の染みができる。ぐちょぐちょになって不快だ。それでも、涙は止まらなかった。

 涙を拭き、体を起こす。このまま終わりたくない。そう思い、いつも食事が通ってくるドアのところへ行く。ドアノブをガチャガチャと動かす。私はなんでもできる。だから、このドアを壊すことができるくらい。簡単なことだ。そう心で念じるが、努力は徒労に終わった。

 食事がいつものようにドアの隙間からやってくる。食べる気も起きず、少女はそれを壁に叩きつけた。どろりとペーストの食事が白い壁につく。まるで血しぶきがついたみたいだ。

 本を読む気も起きず、ただ空を見上げた。

 灰色の雲が空を覆っている。今日はイブの星を見るのは無理そうだった。

 三日間、星が見えることはなかった。

 その三日間、少女はぱったり夢を見なくなった。イブといた日常は、まるで幻だったんじゃないか。そう考えるとまた泣きそうになった。

 四日目の夜。その日の空は晴れていた。星はいつものように輝いている。望遠鏡を覗き込む。イブの星が見たかった。この望遠鏡じゃ、星の表面が見られる程度だけど、それでもよかった。

 望遠鏡に写る星は、どれも図鑑で見たものばかりだった。

 どこにもイブの星はない。何度も何度も確認する。どこにもない。望遠鏡が壊れてしまったのだろうか。

 いいや、そんなわけがない。こんな短期間で見える星が変わるなんて、ありえない。

 頭のいい少女は、イブの言葉を思い出した。

「星、寿命」

 少女は膝から崩れ落ちる。イブの星は、死んでしまった。流れ星になって、宇宙のチリになってしまったのだ。

 少女は抜け殻のように壁に持たれた。ベッドまで動く気力もない。無機質で冷たい、白い床に寝転がった。

 意識が途切れ、目が覚めると、男たちが床で寝る少女を見下ろしていた。

「誕生日、おめでとう。サンプル」

少女が言葉を発する前にゴム手袋をはめた五人ほどの男に、羽交い締めにされ、身動きはとれなくなった。

「離して! やめてよ! 私をそんな名前で呼ばないで! 私はアダム! イブの親友なの! あんたたちなんて、大嫌い!」

「おい、打て」

 またやられる。たぶん、これが最後だ。私はこの人達のために、体をささげなければならない。『世界を救う』ために。

 ああ、どうせなら死にたい。死んで、イブと一緒のところに行きたい。でも、死ぬことすらこの大人たちは許してくれないだろう。そういう人たちだ、この大人共は。

「助けてよ、イブ」

 届くことのないその言葉を、ため息のように漏らした。

 ヒューッと、間抜けな音がした。何の音だろうと思い、天井を見上げる。

 それは一瞬の出来事だった。

 天井は割れ、真っ白の砂が見えた。

 ズゴーン!! と、耳がちぎれそうなくらい大きな爆発音がした。

 何が起きたのかわからない。目を閉じたまま、ビリッと膜が貼られた音と共に、少女は倒れた。

 目が覚める。白い壁も、天井もどこにもなかった。

 見上げると青い絵の具で塗りつぶしたような、爽やかな空が広がっている。目の前には、直径二mくらいの球体の隕石があった。てっぺんから細い煙があがっていて、その形はりんごに似ていた。

隕石はひびを作り、ぼろぼろと破片がこぼれ落ちる。中から一人の女の子が出てきた。眩しいくらい白く、長い髪に、雪のように白い肌。

 イブだった。

 イブは目を開き、少女を見る。

「アダム、来たよ。とりあえず海ってどこにあるの? アダム、行きたがってたよね」

 少女はおかしくて笑いだす。

「アダム、なんで笑ってるの? ねえ、なんで?」

 そういえば、教えたなと少女は思った。目は口ほどにものを言う。少女の本心は、全て見抜かれていたようだ。

 ある日、地球に隕石が降ってきた。軍事研究所の敷地にそれは落下し、辺りを焼け野原にしたという。研究所の職員は全滅し、研究対象となった少女も、隕石によって跡形もなく消え去ったのではないかと推察された。

 そんなニュースが次の日に流れることを、少女も、イブも知らない。

 イブはおぼつかない足取りで少女に近づく。少女はそんな頼りないイブにキスをした。

「今の、なに?」

「キス。好きな人にするものだよ」

「そっか」

 イブも少女にキスをお返しした。二人は照れくさそうに笑い合った。

                                   

おしまい。

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