「え?昨日のあの異臭って彼女のオナラの臭いだったの?・・・やっべ。」


「そうですよ。だから、もし紺野さんが来たら、マスターはそのことには触れないでくださいよ?」


「・・・うーん。まあ、それがいいのかもしれないね。いろいろと。」


 8月18日。やはりと言うべきか、今日は喫茶店『ベーグル』に紺野さんの姿はなかった。というか、昨日にあんなことがあったんだから、二度と顔を出さないだろう、と、僕は思っている。


 昨日、すごいオナラをしてしまったことは、恥ずかしがり屋の紺野さんにとって、とても辛い記憶になっているだろうし、できることなら一刻も早く忘れたい出来事になっているだろう。


 そんな辛い思い出の地になってしまった、このベーグルに、紺野さんがもう一度来るなんて、まあ、あるわけがない。


 つまり僕の幸せな時間も、淡い恋心も、一緒くたになって終わりを迎えてしまったわけだ。


 それは僕にとって、すごく悲しいことだ。


 でもそれよりも僕としては、紺野さんの傷つきっぷりの方が心配だったりする。


「僕があのとき、オナラなんて気にしないから、恥ずかしがらなくていいよって、言えれば良かったんだけど。」


 僕の呟きにマスターは、うーん、と唸りながら答える。


「まあ水野くんが気にしないとしても、彼女はやっぱり気にすると思うよ?例えば汗臭いのだって、普通は嗅がれたくないものだし。相手に良く思われたいって思いが根底にあるんだろうしさ。気にしてないとしても、臭いものは臭いし、マイナス要素でしょ?」


「それはまあ・・・そうですけど。」


「それに相手が・・・同じクラスの男の子、だもんねえ。これは結構キツイものがあるよ、実際。・・・うーん。今頃彼女、家で悶死してるかもね。かわいそうに。」


「トドメを刺したのはマスターですけどね。」


「あっはっはっは。マジでごめん!」


 飄々と謝るマスターに僕は軽い殺意を覚えつつも、責めるわけにはいかず、はぁ、と長いため息をつく。


 マスターが少し真面目な表情になり、ドアの方を見ながら言った。


「今日は彼女、やっぱり来ない気なのかなあ?」


「今日は、というより、もう二度と来ないと思いますけど。」


「うーん、それはどうかな?僕が彼女だったら、来るけど・・・まあ五分五分かな?水野くんは、彼女が来なくても、毎日ここに通うつもりなの?」


「そのつもりですよ?もし万が一紺野さんが来たときに、全然気にしてないよって伝えたいですし。」


「ふーん、なるほどねえ。・・・じゃあ水野くん。今日は久しぶりに僕とゲームやろうよ。実は僕、水野くん用にPCを一台調達したんだよね。」


「ええ、本当ですか?・・・というか、なんでマスターってそんなにお金を持ってるんですか?この喫茶店ってほとんど儲かってないですよね?」


「この喫茶店は完全に趣味だからね。本業は別にあるんだよ。」


「へー。」


「で、やるの?やらないの?」


「もちろん、やりますよ。紺野さんがいないんだから、ここにいたって圧倒的にヒマなだけですからね。」


「よっし、決まり。じゃあレイトレーシングバリバリのFPSとオナラが臭い女の子がヒロインのギャルゲー、どっちやる?」


「え!?そんなのあるんですか!?」


「いやないよ?あるわけないでしょ。そんなヒロイン魅力ゼロじゃん。」


「・・・。」


 そしてこの日の僕は、マスターとゲームをして時間を潰しながら、紺野さんの来店を日が暮れるまで待ち続けるのであった。

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