僕はただ、おならを表現する261通りの表現について君に話したい。
ふつう人
1
8月1日。高校二年生の夏休み。
家から出ると外は雲ひとつない青空だった。インドアな僕は外に出るだけで溶けそうになる。しかし、めげてはいけない。一冊の本を自転車の籠に放り込み、ジリジリとした日差しに負けず、いつものように喫茶店『ベーグル』を目指す。
ベーグルは家から10分くらい歩いたところにある商店街の端にある。店内は古ぼけていて薄暗く、いつ行っても客が少ない。
もともとはゲーム好きのマスターとおしゃべりするために足を運んでいたんだけど、最近ではそれはおまけみたいなものだ。
僕はダラダラと汗をかきつつベーグルにたどり着く。店先に自転車を止めつつ、ドアについている小さな窓から中の様子を窺う。
店内には、今日も読書をしている
紺野さんの読書の邪魔にならないように静かにドアを開いて店内に入る。席に着く前に店の奥に引っ込んでいたマスターにアイスティーを注文した。
「ごめん、水野くん。今いいところだから。用があったら呼んで。」
マスターは僕にアイスティーを手渡すと、また店の奥に引っ込んでいった。
店の奥にはハイスペックPCとデュアルディスプレイが用意された素晴らしいゲーム部屋がある。きっと、昨日からオープンベータが始まった、人気のFPSゲームに夢中なんだろう。
マスターは店の経営よりもネットゲームを優先するダメな人なのだ。
アイスティーを持って席に移動するときに、紺野さんと目が合った。
紺野さんはほんのりと頰を赤らめて、軽く会釈をしてくれた。僕が会釈を返すと少し微笑んで、再び視線を本に戻した。
僕はガラガラの店内の、紺野さんとはだいぶ離れた席に腰掛けた。持ってきた本を開き、アイスティーを飲むふりをしながら、読書をしている紺野さんの横顔をチラチラと盗み見る。これが最近の僕のいちばん好きな時間の過ごし方なのだ。
僕は紺野さんに恋をしている。
紺野さんはクラスメイトの女の子で、地味で、あまり目立たない子だ。恥ずかしがり屋なのか、友達は少ないみたいで、僕も話したことがない。
最近、紺野さんは僕が常連のこの喫茶店でよく本を読んでいる。僕が紺野さんのことを意識するようになったのは、たぶん、本を読んでいる紺野さんの横顔がすごく魅力的に見えたからだと思う。
紺野さんは本を読んでいるとき、ころころと表情が変わった。楽しそうだったり、悲しそうだったり、嬉しそうだったり、泣きそうだったり、すごく可愛いらしいのだ。
最近の僕は紺野さんの読書している姿を見るために、この喫茶店に来るようになっていた。ちょっとストーカーっぽいけど、思春期の淡い恋心ということで大目に見て欲しい。
今日こそ話しかけてみようといつも思っているのだが、なかなか勇気が出ない。最近は紺野さんが読んでいる本のタイトルを盗み見て、自分でも読んでみているので話題はあるはずなのに。ああ、紺野さんとおしゃべりしてみたい。
今日こそ。今日こそ話しかけよう。
そう思って腰を上げる。
ああ、でも。もし僕が話しかけることで、紺野さんがこの店に来ることをためらうようになったらどうしよう?
そう思って座り直す。
そんなことを何度か繰り返し、そして今日も結局、僕はいつものように何をすることもなく、ただ紺野さんの可愛いらしい横顔をチラチラと窺うのみであった。
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