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『ボッブゥゥゥ!』
紺野さんがオナラをしたのだ。
自らのお尻から放たれた爆音に紺野さんが凍りつく。
可愛らしい紺野さんのオナラは全然、可愛いらしくなかった。すっごい音がした。びっくりしたけど、明らかに紺野さんのお尻のあたりから音が聞こえてきた。
ちょうど横顔を見ていたから間違いなかった。というか、店内には僕と紺野さんしかいないので間違えるはずがなかった。この店のマスターは暇さえあれば、店の奥に引っ込んで、ネットゲームに勤しんでいるダメな人だからだ。
唖然としてじーっと見ていると、紺野さんの横顔がみるみる赤くなった。きっと恥ずかしいのだろう。できれば聞かなかったことにしてあげたい。しかし、かなり厳しい。すごい音だったし。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
先ほどまでと同じ静寂が帰ってきた。しかしその静寂には今までと違う、妙な圧力があった。
どうしよう。この空気。
僕がぼんやりとそんなことを思っている間にも、紺野さんの顔はみるみると赤くなっていき・・・。
そして恥ずかしさが限界を超えてしまったらしい紺野さんは、驚くべき起死回生の一手に打って出た。
「ボッブゥゥゥ。」
「!?」
なにを思ったのか、唐突に紺野さんは先ほどの音を唇を震わせて再現しだしたのだ。
少し遅れて理解が追いつく。紺野さんは『さっきの音は口から空気が出た音だよ。』と暗にアピールしているのだ。
「ボッブゥゥゥ。」
『なんで、いきなりそんな音出したの?』という疑問を力技でねじ伏せようとするかのように連続で唇を震わせる紺野さん。
このときにはもう、僕と紺野さんの間にあった純愛めいた雰囲気は欠片もなかった。紺野さんのオナラによって全て吹き飛ばされてしまっていた。
「ボッブゥゥゥ。」
「ボッブゥゥゥ。」
唇を震わせるごとに恥ずかしさで真っ赤になっていく紺野さん。紺野さんは頑張っていた。できればこのアピールに乗ってあげたい。しかし、それも無理だ。だって匂いも届いてきたのだ。
紺野さんのオナラは臭いもすごかった。ここまでくさいのは今までちょっと嗅いだことない。
紺野さんは唇を震わせるのをやめて、スンスンと鼻を動かした。おそらく臭いをチェックしているのだろう。
臭ってみて、オナラをしてしまった事実を隠すのは厳しいと感じたのか、紺野さんの顔は耳まで真っ赤になり、恥ずかしさのあまり身体が小刻みにプルプルと震え出した。
紺野さんは恥ずかしがり屋だが、僕のコミュ力も決して高くない。僕のコミュ力が高かったなら、とっくの昔に紺野さんに話しかけている。
『大丈夫だよ。オナラなんて誰でもするよ。』
『オナラを表現する英語のスラングは少なくとも261通りあるらしいし、それくらい一般的なことなんだよ。』
そう伝えてあげたいけど、僕には無理だ。
店内は静かで、僕と紺野さんしかいなくて、僕たちは一言も言葉を発していなかったけど、無言のコミュニケーションがそこにはあった。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
紺野さんからの圧力を感じる。いたたまれない。
どうしよう。このまま、店を出てしまおうか。
そう思って思いとどまる。
このまま何もせず、僕がいなくなったら、きっと紺野さんは今日の出来事を思い出すたびに、恥ずかしくなり憤死してしまうことだろう。思春期の女の子の心は硝子のように繊細だと聞く。紺野さんは見るからに繊細そうだった。
僕は紺野さんを毎日この喫茶店で見かけるけど、今日の出来事をきっかけに足が遠のく可能性もある。そうなったら今は夏休みだ。紺野さんはクラスメイトだけど、夏休みが明けるまで、フォローできるタイミングはないかもしれない。
なんとしても、この場でフォローをしてあげるべきだ。
・・・勇気を出さなければならない。
だって好きな女の子が困っているんだもの。ここで勇気を出さずに、いつ勇気を出すんだ。今こそ。そう、今こそ話しかけるんだ。男を見せるんだ。
僕は決心し立ち上がる。
そして産まれたばかりの小鹿のようにプルプルと震えている紺野さんの席に向けて、ついに一歩を踏み出した。
そのときのことである。
「いやー、水野くん。レイトレーシングってすごいよ。超綺麗だよ。もうさ、映り込みが半端じゃなく精度高くてさ。ねえ、ちょっとこっち来てプレイしてみない?」
不意にマスターが奥の部屋から出てきたのだ。そしてゲームに熱中してたらしいマスターに今のこの空気を読めるはずもなく、
「・・・あれ?なんかここ、すっごく臭くない?水野くん、うんこ漏らした?」
そんな決定的な一言を放ってしまったのだった。
「う・・・うんこ。」
マスターの言葉を復唱するかように紺野さんが呟き、みるみる縮こまっていく。
マスターのあまりの一言に、一歩踏み出した体勢のまま凍りつく僕。
その間に紺野さんはフラフラとした足取りで僕の目の前を通り過ぎ、マスターのもとに近寄ると、
「お・・・お会計、お願いします。」
と小さな声で呟き、清算を終えると、トボトボと店から出て行くのであった。
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