交通事故みたいな作品です

本作のジャンルは詩・童話・その他となっていまして、これも思えば伏線だなとか思うんですが、オチがオチだけあって何を書いてもネタバレになりかねないので、関係があるようなないような話をしたいと思います。
定食屋に入ってお冷が出てきた時に、それは考えるまでもなく水だと考えますが、もしかするとそれは水素水であとで埒外な値段を請求されるかもしれないという妄想をしたことがある方がいるかどうかは分かりませんが、少なくとも僕は一瞬だけ頭を掠めることがあります。いやまあそれは紛うことなき詐欺なので、そんなことをしたら営業停止処分どころの騒ぎではないと思いますが。なにがいいたいかと言えば社会はある程度の前提のもとに成り立っているということです。定食屋に入ればお冷が出るし、お冷といえば水であり、その水が水素水であるかないかはわかりませんが、そのように出される水はタダであるという前提があります。もちろんこれは日本の話であり、ほかの国にいけば水でもお金を払わなければなりませんが、とりあえず日本で考えると行きがけに置かれたお冷でお金がとられることは少ないでしょう。さて、社会という営みがある程度の前提を基にしていることは日常のあらゆることだってそうで、その前提を常識と呼びます。自宅のドアが核シェルターでないのだって、常に防弾チョッキもガスマスクを装備していないことだって、常識で考えれば唐突に核が落とされたり、胴をマシンガンでハチの巣にされたり、街一体に毒ガスがばら撒かれるなどの危険にさらされることはないと思うからです。いやもちろんないことはないのは誰しもが分かっているのでしょうが、そこにかける手間や暇を考えれば備えてられないというのが正直なところだと思います。費用対効果のお話です。出される水が本当に水なのかを疑って判別用器具を持ち歩いたりはしませんね。さて本題ですが、創作においてはその常識というやつを裏切ることが面白さにつながる一要因であると思います。意外な結末というのは得てして常識に基づいた推測を裏切ることで成り立つものです。常識に基づいた推測を裏切られると人はうわあーやられたー的なある種のカタルシスを覚えます。それはいわば交通事故のようなものではないかと思います。意図してなかった方向から車が突っ込んできた、みたいな。もちろん創作は現実ではないので一定の理解を得るためにはやたらめったらに出鱈目なことをすればよいというわけではなく、その意外性を丹保する伏線は重要です。この作品の伏線はどこにあるのかといえば案外作中でなかったりするかもしれないと思います。ガワさえも伏線に成り得るということをこの作品で理解させられました。その意味でこの作品は交通事故みたいな作品だなあと思いました。最後になりましたが、この度はもとぷに企画ことテーマ「手紙」の自主企画に参加いただきありがとうございました!