姉を亡くした二十代前半の女性がその事実を受け止め、やがて乾杯するまでのお話。
とてもよかったです。面白かったとか大好きとかいろいろ形容のしようはあるはずなのですが、その中でも一番曖昧かつ受け取りようによっては若干上からっぽくも見える「よかった」なんて言葉をわざわざ使ってしまうのは、本当にそのひとことが何よりしっくりくるから。なぜでしょう。でも、本当によかったんです。読んでいる最中に感じたいくつもの「よい」と、そして読後の「読めてよかった」という心地よい疲れ。これが本当に疲れているんだからびっくりします。たった6,000文字弱を読むのに尋常でない量のエネルギーを消費して、つまりはそれほどまでに深く物語に引き込まれたのだと、その実感というか皮膚感覚が確かにあります。実質正座して読んでたような感じ。精神的正座。
語り口の柔らかな味わい深さだけでも十分強いのですけれど、それ以上に内容が凄まじいです。静かにでも確実に積み重ねられるディティールの生み出す力。一人称体のですます調、すなわち主人公の主観に沿った独白の形であるからこそ生じる自然な引力。悲劇的な喪失の物語として始まったにもかかわらず、彼女の道行きはまるで冒険の旅路のようで、形のない苦難の海をかき分けるようにしてたどり着いた終着点の、その信じられないくらいの気持ちの良さ! どうにもならない寂しさの中に、ピンと一本まっすぐ橋をかけたような終幕。あっやっぱだめですとても説明できそうにありません、とにかくものすごくよかったんです。なんだったらこの胸を今すぐこの場で掻っ捌いて直接ここに掲載したいくらい。もう言葉にできないので直接見て的な。
最高でした。キャッチコピーにもなっている部分が好きです。面白かったです。
人はみんな何かしらのポーズをとって日々を過ごしています。
大なり小なり、誰かにとって見られたい自分に近づけるように振る舞い方を決めたり、あるいは自分自身に課した基準を満たすように所作を決めたりしているのだと思います。
このお話は姉が死んでしまったことを実感できない"私"が姉を摸倣することによって、姉の、あるいは自身の感情を探す物語だと思いました。
作中で姉はビールを飲む理由として「見得と意地を張りたいから」と語ります。
"私"も真似をして「見得と意地」を張るためにビールを飲んだところで不思議な現象に遭うのですが、感情を吐露する場面が幻想的で素敵でした。
亡き人を思い、その人がなにを思っていたかを考えて、自分の中で規定したその人の模倣する。
その模倣された偶像はその亡き人が選んできたポーズの結果であり、これからも生きていく上でとっていかなければいけないポーズを選ぶ基準にもなり得るのではないかと思いました。残された人の中に偶像として生きる、みたいな。
郷愁と切なさが詰まったとても良い作品ですので、是非読んでみてください。