1年目春 金谷茶湖

 ぽとり、ぽとり。

 花の音か涙の音か。

 ぽとり、ぽとりとあまりにも静かに流れる涙が、まるで花が降ってくるかのような錯覚を覚えた。



*



 新しい季節。新しい学年。新しいクラス。

 中高大学と繋がっている私立校であっても、やはり新しい学年となると、『早い出席番号が雑用を押し付けられる』恒例行事に見舞われる。

 あ行でないにしろ金谷かねたにと言う苗字もやはり早い番号であり、比較的教師に名指しされやすい。加えて中等部からの進学組であるから指名率は上がる。今学期に入ってから4回目の放課後の雑用であった。

 これと言って希望する部活見学もなかったので問題はないが、いい加減何かしら決めてしまわないとこのまま教師に名指しされ続けるような気がしなくもない。1階ロビーの掲示板に貼られている色とりどりの部活勧誘ポスターの前で足を止めてみたが、やはりテニス部はなかった。

 中等部には軟式のテニス部があったのだが、高等部には軟式も硬式も活動がなかった。かつて硬式テニス部があったらしいのだが、どちらかと言うと文化部の活動の方が盛んなためか数年前に部員が集まらず廃部になってしまったらしい。自分で新設するほどではないし、部活動は諦めてテニスクラブにでも通おうか。どうせ家に帰っても両親は夜遅くまでいないのだから、どんなクラブに通っても反対はないだろう。

 ぼんやりとそんなことを考えながら教室に荷物を取りに戻ると、かたん、と小さな音が教室の中から響いた。

 人の話し声は聞こえない。

 誰か居残りでもしているのかと扉の窓から覗き込むと、少年がひとり、窓際の席の前で立ち尽くしていた。


 ぽとり。


 少年の頬から涙が零れ落ち、


 ぽとり、と


 花が机の上に舞い落ちた。


「だ、れ」


 掠れた声にあわてて扉を開ける。

 覗き見などするものではない。

「ああ、俺だ」

「……金谷、くん」

 立っていたのは一見少女のように見えるクラスメイトの幸岡まことであった。席も遠いのでこれと言って接点はない。1度も話をしたことがないくらいであったから、名前を覚えられているのは少し驚きであった。温和そうな雰囲気を纏いながらも誰とも話をしていないのは何となく分かっていたから、相当な人見知りか他人に興味がないのだろうと思っていたのだ。

「……花?」

 窓際の中の席は、確かに幸岡の席である。

 今、その机の上は白い花で埋め尽くされていた。

 ぽとり、と音を立ててまたひとつ床に吸い込まれるように落ちていった。

 散り散りになった花に眉を寄せる。

 教室にひとり残った少年。

 濡れた机に溢れる花。

 そしてそれを前に泣いている姿。

 どういう経緯か不明だが、嫌なイメージが浮かび上がる。

「ふざけた奴もいるものだな」

「……え?」

「くだらん悪戯だ。そんなものに構っていないで捨て置け」

 いじめ、いやがらせ。

 目立った姿をしているものに対していつでも行われる学校と言う閉鎖空間の歪みだ。

「あ、でも。これ、まだ、活けられるし」

「活ける?ああ、花瓶はあるな」

 確かロッカーの中にいくつかあったはずである。

 後ろへ行って確認すると、2つほど瓶が転がっていた。

「これでいいか」

「ふ、ふふ。優しいんだね」

「何?」

「花なんて、って言うと思った」

 確かに花を好むような性質ではないが、嫌がらせだけのために手折られるのも哀れだろう。

「花に罪はない」

「ああ、うん。そうだね」

「勿論、お前にもな」

 それは。

 それは、ごく当然の事実だと思っただけだ。

 いじめられる側も悪いなどというふざけた論調が心底嫌いで。

 だからただ流れでそう言っただけのことだ。

 幸岡まことと言う少年がどんな人間かなど知らない。

 けれど気に入らないのなら相手にしないか、一対一で喧嘩をすればいいだけのことだ。このような手段が本当に嫌いだった。だから、ただ、当然にそう思っただけだった。


「……い、かな」


 花を活けていた手が、突然凍りついたように止まった。

 呼吸が止まったかのような動きに視線を上げる。

 

 ぽとり。


「?」

 いつの間にか机に白い花が一輪。

 まだ花瓶に移していない花があっただろうか。

「幸岡?」

「ない、かな」

「何」

 搾り出されるような声に覗き込むと、幸岡は呆然としたように繰り返した。

「俺に、罪は、ないのかな」

 何を当たり前のことを。

 むしろ腹立たしい思いで、その理解不能だという呆然とした表情に軽く指をはじいてやった。

「当然だ。お前に罪などない。お前は、何も悪くない」

 きっぱりとそう言い切ると、幸岡は、ふ、と口元に笑みを浮かべた。


 ぽとり。


 気づくとまた机に花が一輪。

 今度は、驚くほど鮮やかな赤い花であった。


「な……?」

「…ありがとう」

 そんなこと言ってもらったのは、家族以外ではじめてだ。

 そう呟いて、気づいたら教室からいなくなっていた。



 翌日。

 何故か両手で持ちきれないほどの花束を抱えた幸岡から、テニス部を作らないか、と勧誘されることとなった。








*


「…ところで、これを俺はどうしたらいいと思う、薫」

「家に持って帰るにもお前に花束では通行人には目に毒だな」

「……保健室などどうだろうか」

「もらい物をさらに人にやるのはいかがなものかな」

「…どうしろと」

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