花笑いの少年
鷹野
序章
1年目春 水谷川閃
だって、あまりにもその花が切なげに咲くから。
ヘンゼルとグレーテルのようだと思ったのだ。
*
「男子。男子、ねえ…」
はあ、と亜麻色に近い髪をくしゃくしゃと掻き回しながら、校門の前で
閃は高校受験と言う大事な時期に親の都合で急遽転校しなくてはならなくなり、成績からは問題なく受かるはずだった地元の公立高校を捨てて、東京に出てこなくてはならなくなった。幸い、東京は私立高校が溢れるほど乱立しており、ぎりぎりの受験は間に合ったのだが、親の転勤に付き合わされるのはもう最後にしてほしいと、寮が付属している大学へ進める私立高校を希望した。正直金銭的に厳しいが、確かに大事な時期での転勤と言う負い目もあったのだろう。親は、それに同意した。今のところ、実家から通っているが、親がまた転勤となれば閃は寮暮らしとなる。それは、正直気楽な未来ではあった。
ただし。その条件への条件として、男子校を指定されたこと以外は。
「…ああ、だる…」
別に、それほど交際好きなわけではないし、煩わしいお付き合いはむしろめんどうだが。如何せん、視界の中が非常に、むさくるしい。隣に女子高が並立しているので、部活の時などはそれなりに楽しい空気にはなるのだが。
まあせめて、と運動場に視線を向けると、そこにはクラスメイトが非常に可愛い女子生徒とかなり親密な雰囲気で話し合っていた。
「ん?」
女子生徒、と無意識に思ったがジャージは男子生徒のものである。
おや、と足を止めると女子生徒と思われた少年がこちらに視線を向け、ついでクラスメイトに話しかけた。
同じクラスの子じゃないの、と口元が動くのが分かる。読唇術と言う訳ではないが、人物観察が趣味のせいだろうか。大抵の言葉は聞き取れてしまう。
くる、とこちらに振り返ったクラスメイト、間違いでなくては
ゆきちゃん、と口元が動く。どうやら女子と思われた生徒は、入学式にクラスで噂になっていたAクラスの
迷路は別にこちらに声をかけることなく、そのまままた幸岡に向き直り、何か話をし始めた。
それが、4月の初めの出来事だった。
*
「
「…はい?」
眠たげに過ごした授業を終え、さて部活の勧誘をどけて―中学時代短距離で全国大会に出たことがどこかから通じて先輩方の耳に入ったらしい―どうやって帰ろうかと思っていたHR中、突然教師から名指しされ顔を上げた。
「お前が近いな。部活にも入っていないようだし構わんだろう」
勝手に納得され勝手に机に置かれたのは入学式後の手続き資料一式。封筒の頭には『
ああ、そうだ。確か柳沢と言う苗字だった。
「住所はこれだ。近いだろう」
「…はあ」
聞いていなかったが、おそらく届けろと言うことだろう。今日休みだったのか。それは気付かなかった。それほど騒がしい生徒でもないのでそれもおかしいことではないだろう。決して閃が他人に対して薄情なわけではない。多分。
「……分かりました」
いちいちここで嫌だ何だと言いだす方がむしろめんどうだ。多少遠回りになるが自転車でふらふら新しい町を探索するのは趣味のひとつなので気だるげに頷いた。
そこで、ふと。住所の方書に目が行った。
『幸岡方 柳沢迷路』。
ああ。それでか。
すとん、と納得のいくような感覚が腹に落ち着いた。
4月のあの親密さは友達同士と言うにはもっと違うような気がしたのだ。なるほど親戚か、と軽く封筒をはじく。同い年の従兄弟などよくあることだろう。
「あー。結構かかったな」
自転車である以上それほどの距離はなかったのだが、土地勘のない町を中途半端にぐるぐると回ってしまった。ようやく辿り着いた時には結構な時間となっていた。
メモの住所には木造の古い家が建っており背丈ほどの引き戸が中の様子をまったくうかがわせないような形となっていた。
けれどやはりインターホンは最新なのか、液晶の画面もついている小型カメラ式のもののようだ。
軽く1回鳴らすと、しばらくの沈黙の後がちゃりと音が鳴った。
「…誰」
どうやらインターホン越しではなく引き戸の奥で玄関が開いたらしい。
それほど親しいわけではないが、その声が柳沢迷路のものでないことは分かった。
「あー。水谷川だ…ですけど、柳沢いますか。先生からの預かり物が」
「…あ。迷路のも。ちょっと待ってね」
ぱたぱたと何かを引っ掛けるような足音がして。
「あ、こんにちわ」
背丈ほどの引き戸から少年が顔を出した。
それは、いつか運動場で見た幸岡まことであった。
同じ住所である以上おかしなことではないが、考えてみれば教師もこの生徒に託せば良かったのではないだろうか。
そこまで考えて少年が『も』と言ったことに気がついた。
「あー、えっと」
「ありがとう。風邪とかじゃないんだ。ちょっと祖父母の事情で。さっき、金谷く…クラスメイトも届けてくれた」
「そうか。じゃあこれ渡してくれるか」
「あ、せっかくだからどうぞ」
す、と身体をどかして奥へ招き入れるような態勢になるのを見て、軽く謝辞しようとして、目線が止まった。
引き戸から玄関まである程度の距離があるのは、まあ良い。
その開かれた玄関の奥に更に廊下が続いているのも、良い。
けれどその足元に、
ぽとり。
花が、零れ落ちていた。
咲いていたのではない。
ぽとり、ぽとりと。
まるで転がるように、落ちてきたかのように、零れてきたかのように。
恐らく幸岡まことが辿ってきただろう道を示すように、色とりどりの花が、石砂利や床を覆っていた。
「ゆきちゃん!」
「…!」
固まっていた思考が、大声で引き戻されて顔を上げると、素足のまま飛び出してきた迷路が少年を玄関側へ引き戻した。
まるで閃からまことを守ろうとするかのような勢いである。
「インターホンに出ないで戸をあけちゃ駄目だって言ってるだろう!」
「あ、でも。クラスの」
「そうじゃなかったらどうするの!」
高校生で過保護すぎるきらいはあるが、至極もっともな意見でもある。
「ただの届けもんだよ。じゃあまた明日」
これは引き上げた方が良いな、と判断し身を引こうとしたが、足元の花がやはり目に付いた。
ぽとり。
気づけば引き戸の脇にも可憐な黄色い花。
まるで、
「ヘンゼルとグレーテルみたいだ」
ぽつり、とそんな言葉が零れ出た。
深い意味はなかった。
本当に、何の意味もなかった。
けれど、目の前の少年は。
「うん。同じだ」
「え」
「あれは。親に捨てられる子供の話だもの」
迷路は逆上したかのような表情を作り。
まことは、まるで花のような笑みを浮かべた。
本当に、花が零れ落ちたように見えたのは、きっと魔女の仕業だったのだろう。
*
幼い頃に読んでもらったその童話の、背中に続くパンくずの跡。
ぽとり、ぽとり。
それは帰るための道標ではなくて。
ぽとり、ぽとり。
見つけて欲しいというサインだと思った。
ぽとり、ぽとり。
だからその花は。
ここにいるよという切なげな声に、聞こえたのだ。
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