魔女と小悪魔のお茶会

紺野咲良

ある日、物理実験室にて

 物理実験室へと向かっていた双葉ふたば理央りおは、奇妙な人影に気がついて足を止めた。

 その不審者ふしんしゃは何やら実験室内を覗き込んでいるようで、理央の位置からは下半身だけが見える。こんな時間にこの場所へ訪れる者など、理央の数少ない男友達二人のどちらかしかいないはずだが、どうも不審者はスカートを着用しているようだった。

 ―― 一度はいてみたいと思ってたんだ

 以前に梓川あずさがわ咲太さくたはそんな台詞を口にした気がする。まさかとは思いつつ、さすがのブタ野郎もそこまで落ちぶれたりしないだろうと、かろうじて友人を信じることに成功した。

「何か用?」

 背後から声を掛けると、不審者がビクっと振り向く。

「い、一年の……古賀こが朋絵ともえ、です。先輩を……梓川先輩を探していたんです」

「梓川を?」

「はい。国見くにみ先輩に聞いたら、ここにいるかもしれないって」

 この学校で咲太と面識ある生徒など限られている。ましてそれが一年生ともなれば尚更だ。

 理央はすぐに思い当たった。おそらく彼女が、咲太の話していた『ラプラスの小悪魔ちゃん』であろうと。

「確かにそのうち来るかもね。そういえば私に話があるって言ってた気がするから」

 身振りで〝中で待ってれば?〟とうながす。

「お、お邪魔します」

 朋絵は少し逡巡しゅんじゅんするも、その厚意に甘えることにした。


 中に入るなり、理央は慣れた様子で水を入れたビーカーをアルコールランプの火にかけた。その後も黙々と実験の準備に取り掛かっている。

 朋絵は最初こそ落ち着かずそわそわしていたが、程なくしてスマホをいじり始めた。友達とのやり取りが面白かったのか、時折頰が緩んでいる。

 静寂が訪れた。が、どちらも好き勝手に過ごしているため、空気に重苦しさは無い。

 やがてビーカーの水がぶくぶくと沸騰しはじめる頃になっても、待ち人である咲太は現れなかった。

「遅いね、梓川」

「も~、スマホも持ってない原始人はこれだからぁ」

「原始人とは言い得て妙だね」

 それは以前に咲太の口からも聞いたことがあった。しかし本人による言葉だとまた感慨かんがい深いものがあったのか、黒板に『梓川=原始人』と記した。それを見て朋絵が控えめに、ぷっと吹き出す。

 理央はビーカーで沸かしたお湯を、マグカップとで丁度半分づつになるように注ぐ。そして双方にインスタントコーヒーの粉を投入する。その後ほんの少し悩んだ様子だったが、結局ビーカーの方を朋絵へと差し出した。

「あ、ありがとうございます……えと」

 朋絵は不安げな上目遣いで言いよどんだ。

「双葉。双葉理央」

 察して、理央は短く名乗る。

「頂きます、双葉先輩」

 ふーふーと息を吹きかけてから、恐る恐る口に運ぶ。

「に、にがかぁ……」

「あいにく砂糖は無い。我慢して」

 咲太にならば、謎の白い粉が入ったこのボトルを平然と差し出すのだが、残念ながら今日の客はいつものブタ野郎ではない。元・小悪魔ではあっても、今はただの人間の少女だろう。人体実験してしまうのはさすがの理央でも気が引けた。

 朋絵はせっかく出して貰ったのだからと、度々「にがかぁ……」と渋い顔をしながら律儀にも飲み続けている。


「あの……双葉先輩って、梓川先輩とはどういう関係ですか?」

「友達かな」

 少し前までの理央ならば、ここまでの即答はしなかっただろう。そもそも『友達』という単語すら出てきたかも怪しい。

「私も友達……あ、親友になってあげてる仲です」

「梓川からは、尻を蹴り合った仲だと聞いてるよ」

「もっ、も~、あの人はー! ばりむかー!」

 頰を膨らませるが、その表情は怒りよりも照れの色が強いように見えた。

 そして『なってあげてる』――それは〝上から目線〟でもあるが、どこか〝諦め〟や〝妥協〟の台詞にも聞こえた。

 本当は別の関係になりたかったのかもしれない。しかし相手には心に決めた人がいた。ならば自分は長く友達として共にいる。そう前向きな気持ちで選んだのかもしれない。


 ――


 途端、理央には朋絵の姿が自分と重なって見えた。稀有けうなことに論理的な説明がつかず、本能的に感じ取ったようだった。

 友達に対して、持ってはいけない想いを持ってしまった。友達でいるためには、邪魔でしかない感情を抱いてしまった。

 思春期ししゅんき症候群しょうこうぐん――それを引き起こす原因である、不安やストレスの根源。それが他者との関わりの中に、人間関係の中にあった。

 寂しいことが、孤独になることが恐ろしくて――思春期症候群を発症した者同士だった。

「似ているのかもね、私たち」

 そう言って自嘲じちょう気味に笑う理央。

「なしてぇ?」

 その問いには答えず、意味深な柔らかい笑みを浮かべる。

 朋絵には訳が分からない。一体どこが似ているのだろうと、必死に互いの容姿を見比べ始めた。

 そうして目の当たりにしてしまった、理央の知的で大人っぽい顔立ち。自分とは似ても似つかない魅力的な体つき。完全に打ちひしがれ、がっくりと項垂うなだれる。

「……わからん」

 理央はわずかに目を見張った。朋絵がその言語の出所だったのかと。

 そして、らしくもない悪戯いたずら心が芽生える。


「――『そげなこともわからんとね?』」


 聞いた朋絵は、ばっと顔を上げて目を輝かせた。

「ふ、双葉先輩、すごかぁ……! アクセントまでバッチリです!」

会得えとくするの、『ばりきつかー』だったけどね」

 二人は打ち解けた様子で笑い合った。朋絵はほがらかに。理央も彼女としては珍しく、小さな声を上げて笑っていた。

「双葉先輩。時々こうして、お話してくれませんか?」

「別に構わないよ。ただ、話題は限られそうだけど」

 その認識は二人とも大体一致していた。共通の友人である、咲太に関することが大半を占めるだろう。

「それがいいんです。あの変態原始人の愚痴ぐちなら尽きるわけないし」

「確かに事欠かないね」

 至極しごくもっともだ、と理央は大仰おおぎょうに頷く。

「だったら、存分に語るとしよう。梓川が如何いかに、青春ブタ野郎であるかを」



     ◇     ◇



 物理実験室の外で、聞き耳を立てている人物がいた。

 決して好きでそうしていたわけではない。ドアをノックしようとしたら、中から話し声が聞こえてきたのだ。最初は佑真ゆうまでもいるのかと思ったが、どうにも違う。女子の声しかしない。それも聞き覚えのある、生意気な後輩の声。

 ずいぶんと異質な組み合わせだなと首をかしげていたら、すっかり入るタイミングを逃し、立ち往生おうじょうしてしまっていた。

 突然、朋絵の笑い声が響いた。それに混じって、微かにだが理央が笑う声もした。それだけでも十二分に動揺してしまうというのに、極め付きに聞こえてきた『ブタ野郎』という単語。

 それは理央が咲太につけた侮蔑的ぶべつてきな呼称だ。その場にいないはずの自分が、どういった話の流れでののしられなければならないのだろう。ますます首を傾げた咲太は、独りごちる。


「なんだこりゃ」

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魔女と小悪魔のお茶会 紺野咲良 @sakura_lily

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