十八章 闇を裂く城塞

 空にオーロラ。滲みだす色彩の隙間から溢れだすのは、闇の血のごとき魔物の群れである。


 〝英輝〟の力は、まだ完全には失われていない。ゆえに魔物すべてがタナキアに押し寄せてきたわけではなかった。


 それでも尋常でない数の魔物が空を馳せているのは明らかだ。黒い残像が無数の線をひき、束となり、色という色を塗りつぶしてゆく。


「ゲギャアアァッ!」


 今、マズがとある街の外壁を蹴りあがり、虚空から生じた粘液が、矢のごとく飛来する魔物を貫いた。立てつづけに押し寄せる魔物の雨を、テリアが杖ではじき飛ばし、大吾が魔法で細切れにした。


 しかし敵の数は一向に減らず、灰の光のごとく地を馳せるマズの背後には、黒々とした尾が引かれていた。


 屋根を蹴り、煙突を蹴り加速すれば、追走をあきらめた魔物たちは、街人を襲いはじめる。窓の割れる音、木っ端の爆ぜる音、断末魔――。


「くそっ……!」


 大吾は後ろ髪ひかれる思いで悲痛を吐きだした。コムサの村に置いてきたシデリュテのことを思い出さずにはいられない。彼は無事だろうか。この数の魔物が村を襲ったなら――。

 

 いや、ダメだ。

 今は、前を向くしかない。よほど異形の背をおり、魔物どもを蹂躙したいと望むが、ここで引き返せばより多くの人々が犠牲になるのも解りきっている。しょせん〝英雄〟も一人の人間に過ぎない。救える命など限られているのだ。


 マズが外壁を跳びこし、街道を疾駆する。これまでは土の剥きだした道であったものが、石畳へと変わっていた。周囲の林も剪定されているのか、無造作に影を落とすのではなく、滑らかで丸みを帯びたシルエットをしている。それも風をおき去るような速度のなかで、すぐに不定形の色彩へと変わってゆく。


「……見えました」


 マズの声。唸りがとおく前方に轟く。

 大吾はそれにハッとして顔をあげ、遥か遠くにそびえる鈍色の塔をはっきりと認めた。それは未だ侵されることなく残り続ける蒼穹と紡がれた、希望の象徴のごとく高かった。頂上付近に張りだした無数の突起物が、王冠にも似た威厳を放つ。


「あれがグランパス……!」


 あそこに〝英輝〟がある。

 魔物どもの侵入を遮断する絶対防御の盾が。


 さらに、丈高い城塞都市から無数の白銀の閃光がほとばしり、空を裂きはじめる。それは刃の一閃にも似て鋭く、たゆたう雲にも似て柔かった。オーロラから滲み、一直線に翔けた闇の群れと、城塞都市から放たれた閃光が、今、衝突する!


「あれは……」

聖封せいほう騎士団。グランパスの守護を任された精鋭たちです」


 マズが立ちどまることも、失速することもなく答える。魔物と対峙することなくば、ヘズの気配はどこにもなく、テリアもまた一言も口を利かなかった。


 大吾は異形の毛皮に指をからめ、なおも加速するいきおいに振り落とされんと抗いながら、光と闇の戦いを見上げた。

 闇はたちまち裂かれていく。空には閃光が馳せるばかりでなく、炎の華が咲き、稲妻の蛇が這い、水の竜巻が渦巻いて、魔物どもを駆逐していくのだ。さすが精鋭と言われるだけあって、聖封騎士団の威力は凄まじかった。


 しかし穿たれた間隙は、すぐに闇へと埋めつくされる。〝英輝〟の歪みから溢れだした魔物はまるで煙のように、振り払っても振り払っても、すぐにゆるりと舞い戻り、空隙を侵すのだ。


「来ます!」


 そしてタナキア大陸に生じた脅威は、何も空だけに留まらない。彼らを追うのは、その決断を糺すかのような断末魔ばかりではない。


 林の陰に赫々と光る。

 明確な殺意!


「ジリャアアアアァァァッ!」


 突如、マズの脇腹を抉り抜かんとでもするように、〝狗型〟が跳び出す!

 マズは地を蹴って躱す。しかし〝狗型〟に隙は生じなかった。そのまま駆けぬけることなく、四肢から伸びた触手で地をたたき肉薄したのだ!


「ジャッ!」


 さらに二本の触手が背中の二人ごとマズを喰らいにかかる。テリアの正面に粘液の盾が生じる。大吾は片腕をかかげ唱える!


「エギレム!」


 手袋を中心に、闇が渦を巻く。それが触手の牙を根こそぎ削ぎ落した。

 しかし破壊には至らず。

 〝狗型〟はマズの振りかぶる爪を、触手を樹木にからめることで変則的に移動し躱す。粘液による束縛は、触手の横薙ぎが弾き飛ばす。


「ゲギャアアァッ!


 その一瞬の切り結びの間に、背後から魔物の群れが迫る!

 樹木をなぎ倒し、石畳を無残に砕きながら、邪悪の権化が爪牙を突きたてる!


「……退けなさい」


 その時、テリアが動いた。

 めくりあげた袖から脈動する術式がのぞき、手にした杖へと絡みつく。


「ハイオラン・ベクテーラ!」


 今、使い魔ファミリアの魔力を借りうけるわけにはいかない。テリアは彼女自身の魔力だけで、その力を御さねばならなかった。

 ゆえに破邪の結界は緩やかに弧をえがき、後方の魔物たちを小規模なドームへと封じるのみであった。


 〝狗型〟が幹を蹴る。

 マズはこの一瞬の交錯に死線の流れを見る!


「御免!」

「……わッ!」


 次の瞬間、マズの筋肉が爆ぜるように盛り上がった。

 大吾たちは跳ね上げられ、無様に宙を舞う!


「……」


 そこへ粘液が噴きだした。

 大吾とテリアの二人を、ヘズの粘液が絡めとる。


 眼下!

 触手と前肢でくり出される無数の乱撃がマズを襲う!


「ぬっ……!」


 毛皮が割れ、血飛沫がとんだ。

 マズの前肢に、首に、赤いものが滲んだ。


 その背後、悠然と着地した〝狗型〟がふたたび触手で地を叩く!


「ジリャァァァ、ア……?」


 ところがその身体は、一瞬空へと跳ねあがったかと思うと、直後、べちゃりと地に伏した。放射状に血が飛散し、なおも立ちあがろうとする四肢の間から、ぼとりとはらわたがこぼれ落ちる。


 マズの一角に血の滴がしたたる。

 間もなく〝狗型〟はくずおれ、ぴくぴくと死の痙攣をはじめた。


「マズ、大丈夫?」


 粘液につるされながら、大吾は傍らに降りたつ。

 マズは感情を窺わせぬ視線をかえし「問題ありません」と答える。


「それよりも背中へ。テリア様の魔術もそう長くはもちません。一刻もはやく〝英輝〟の許へ急がねば」


「う、うん」


 大吾はマズの傷を案じながらも、彼に頼らざるを得なかった。一人でも多くの人々を救うため、彼の足は必要不可欠だ。


「ゲギャアアァ!」


 破邪の結界の外から雪崩れこむ、魔物から逃れるためにも!

 大吾は異形の背へと飛び乗り、額に汗の玉を浮かべたテリアへと手を伸ばした。


「テリア、来て!」

「……ッ!」


 その声でようやく我に返ったのか、テリアが大吾の手をとった。テリアを引き上げると、合図もなくマズが一足で全速力へ達した。


 前傾姿勢をとった二人を、風の鞭が叩きつける。


 ズズズズズゥゥゥム!


 さらにその背中へ衝撃の雨が降りそそいだ。

 見上げれば、空に爆炎の華が次々と咲き誇った。

 グランパスの王冠めいた突起から、明らかに聖封騎士団の残像とは思われぬ閃光が迸る。突起の先端に光の輪が生まれ、収縮し、雷弧をうって矢を放つのだ!


 一瞬の晴れ間がのぞく。闇はそれをまたも埋めつくす。

 はるか遠方の空でオーロラが波打つ。光が苦悶する。闇色の稲妻のごとく、魔物の群れが、タナキアへと降りたつ。


 そして大吾たちの前には、いよいよ威容が迫ってきた。

 天をも穿たんばかりの無限の塔。

 地にふかく打たれ、視界を果てしなく横断する岩壁。

 不落の象徴めいた黒き鋼の門。


 今、城塞都市グランパスへと、


「英雄様の来臨だあ! 道を開かれよッ!」


 〝英雄〟は辿り着いたのだ!

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偽りの英雄伝 笹野にゃん吉 @nyankawa

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