2014年の七里ヶ浜
アルバイトから帰宅すると21時を過ぎていた。
「お兄ちゃん、おかえりなさい」
「ただいまかえで。いい子にしていたか?」
「妹を娘のようにあやすのはやめてください!」
リビングが綺麗に掃除されていた。かえでが日中にやってくれたのだろう。咲太は無理やり微笑みかけるが、かえでは無反応だった。
「女から手紙が来ていますよ。幸いにも、まだ麻衣さんには連絡していません」
「女?」
麻衣に告げ口をしていないのはありがたいことであるが、咲太には全くといっていいほど覚えがない。白い封筒に、丸っこい文字で「梓川咲太様」と書いてある。もう一枚は「咲太様」だ。筆跡はそっくり。同一人物が出してきたのだろうか? この筆跡から女だと判断したのだろう。身の潔白を証明するために、リビングでそのまま開封する。
一通目は、咲太のハツコイの相手ながら、中学生で年下という不思議な女の子・牧之原翔子からだった。どうやら、峰ヶ原高校に入学しているそうである。そして二通目は、牧之原翔子からだった。大人の。
「どっちも翔子さんからだ」
「えぇっ?」
放心状態で二枚の便箋を掴んでいた。かえではすばやく奪い取ると、ふんふん、と言いながら見比べていた。
「なんです? これ」
「さあ。いっちょんわからん」
いっちょんわからん、といっても思春期症候群らしいし、手がかりは放課後の七里ヶ浜にあるようである。翌日、授業が終わると教室から誰にも会うこともなく学校を出ようと下足箱に向かうと、片方脱いだところで声をかけられた。
「今日、バイトだっけ?」
国民的女優であり、峰ヶ原高校3年生の先輩・桜島麻衣が声をかけてきた。咲太の彼女でもある。
「いえ、ちょっと野暮用に」
「野暮用? また女?」
「だったらどうします?」
「む……。女なんだ。どうしたの? 思春期症候群に巻き込まれちゃった?」
麻衣は急いで靴を履き替える。ついてくる気だろう。麻衣がついて来て困ることはあるか、と思ったが、特にないので手紙のことを話した。
「牧之原翔子が2人?」
「いえ、3人かもしれません。翔子ちゃんからの手紙は来ていませんでしたから」
「未来からの手紙、ということね……これ、咲太とオトナ翔子さんはどういう関係なのかしら」
咲太を名前呼びし、あなたが私を愛しているなら、と意味深なことを書いているオトナの翔子さん。
「わかりませんよ。今の僕には」
「……それもそうね。とりあえず七里ヶ浜に行きましょう」
「麻衣さんも来るんですか?」
「駄目?」
七里ヶ浜の波は今日も穏やかで、夕方の甘夏色の太陽が、水平線から空へのグラデーションを描いていた。
「放課後に、ここにいるって書いてあったわよね?」
「見当たりませんね」
砂浜に降りる石段に、咲太はハンカチを敷いて、その隣に腰掛けた。
「汚れるといけないんで」
「ありがとう」
ただ、何もせずに海をみているこの時間が好きだ。となりに麻衣がいるのは嬉しいけど、それも霞むくらいに格別な時間。ざあっ、と引き波が砂浜を均していく。
「咲太さん? 麻衣さんも?」
後ろからようやく声がかかった。お出ましである。
「こんにちは、牧之原さん」
セーラー服姿の翔子が、帽子をかぶって現れた。
「最近、大きくなっていたりしない?」
いきなりの咲太の問いかけに、翔子は難しい顔をして考え出した。ということは、当人に自覚はない。
「わからないです。身長も伸びないし……それに……」
「翔子ちゃん、そういうことじゃないのよ」
何か勘違いをしていると麻衣は思ったのか、きちんとした説明が必要だ。翔子は咲太の隣に自らハンカチを敷いて座り込んだ。
「私は大きくなりたいですッ!」
大きな翔子が手紙を出してきたことについて、順を追って説明すると、まずはそう答えた。
「私は、大きくなれるかわからないから……」
「それは……」
咲太も麻衣も答えられなかった。何も知らないフリをして、頑張れというのはあまりに非情だから。
「お父さんもお母さんも、諦めているように思います」
「そんなことない! ……と思うわ。親なんだもの」
突然麻衣が立ち上がって大きな声を出したが、すぐにしゃがみ込む。翔子の病気は、簡単なものではない。
「咲太さん、その手紙は未来から来たんですか?」
「う~ん、たぶん。これって思春期症候群だからありえるんじゃないのかな」
「ということは、私はそれまで生きられるって考えて良いんですね」
やはり、咲太と麻衣は答えることはできない。いたずらでないにしろ、大学生くらいの牧之原翔子は存在が不確定なのだから。
「そうだ、スマホにデートの約束を書き込んだりした?」
「はい? ……手紙に書いてあったことですね。高校生の私でも、大学生の私でもなければ、この私が書いたことになりますよね」
スケジュール用のアプリは真っ白。昨日までのカレンダーは何かしらメモがされているみたいだが、今日以降は何もない。
「○月×日にデート、今の所はその予定がありませんよ。咲太さん?」
翔子は笑顔で、咲太さん、と強調した。
「咲太、しゃきっとしなさいよ」
「ええっと、牧之原さん。よかったら僕とデートしないか?」
「いいんですか?」
翔子はぱあっ、と笑顔になる。そして、
「いいんですか……?」
恐る恐る麻衣に確認する。麻衣は、もちろん、と答えた。
「いいんですか?」
そして咲太も確認する。麻衣は自身のうさぎ耳スマホを取り出して、翔子とのデート翌日に「咲太とデート」と書き込んだ。
「これなら、私も問題ないよ。二人で計画しっかりね?」
麻衣はそう言うと、石段をあがっていった。二人っきりにしてくれたのだ。
日が傾いて来て、海がオレンジ色に染まる。
「咲太さん、何がしたいですか?」
「牧之原さんが何をしたいか、だけど」
「咲太さんがしたいことをしたいです」
参ったなあ、と頭を掻いた。かといって、麻衣と行ったデートコースでは、翔子も納得してくれなさそうだ。考えているうちに、夕日が江ノ島のシーキャンドルに重なってくる。
「私、この景色が好きなんです」
「夕日の?」
「夕日もそうなんですけど、七里ヶ浜がとっても。水平線の向こうは太平洋で、とっても自由で、なんだってできそうで。今の私が繋がれている鎖がほどけたら、どこへでも行ってやるんだー! って思っています。あっ、そういうことじゃなくて、私に生きようって元気をくれる景色だからなんです。頑張ろう、大好き、その始まりが、あの水平線の景色」
指差す先にある水平線は世界を二つに分けている。海と、空。どちらも、いつも違う色だ。毎日のようにたくさんの色を見た翔子が、ここから羽ばたいて新しい色を見つけたいというのだから、それならなんとなく咲太にも答えが見えてくる。
「水平線よりも遠くに行かないか?」
「水平線よりも、ですか?」
「うん。実はあの水平線までの距離って「5キロくらいしかない」んだよ、って牧之原さん、知ってたの?」
「あれ、私どうして……」
自分でも自覚のないうちに話していた翔子は、首をかしげていた。
咲太は、翔子にひとつの提案をした。海に沈む夕日を見に、5キロよりも遠くまで旅行に行ってみよう、というもの。もちろん、保護者には外泊の許可も必要だが、それは麻衣がなんとかしてくれるだろう。もうすぐ麻衣が、金沢で映画の撮影があると聞いている。行きと帰り、ホテルだけ一緒に動けば説得できるだろうし、日本海に沈む夕日を見に行くことができるだろうから。麻衣が金沢にでかける11月29日に、一緒に出かけようということにした。それは、メモ帳に書かれた予定通り。
咲太は、砂浜で翔子と別れると、江ノ電の駅に向かった。かえでの晩ごはんを何にするか、答えが見つからない。
「私ならシチューでも作るわね」
「麻衣さん? 待っていてくれたんですか?」
「だって咲太、あのまま牧之原さんを誘拐するんじゃないかって思うと心配で。さっきの連絡、こっちは対応可能よ。帰りはどうなるかわからないけど」
「麻衣さんとのデートは、12月2日でいいんですよね? 1日でなくていいんですね」
その日に、麻衣が東京に帰って来れれば、という条件はあるが、そればかりはわからない。
「そろそろ冬よね」
「ですね」
「咲太の好きな冬の食べ物何?」
「シチューが食べたいなあ。麻衣さんの食べたシチュー、食べたいなあ」
「仕方ないわね。今日は腕によりをかけて作ったげる」
日が落ちて、急に冷えてきた。咲太はポケットに手を突っ込んで温んでいると、麻衣が冷えた手を突っ込んでくる。
「麻衣さん?」
麻衣はそっぽを向いて、咲太の指に自分の指を絡めてくる。
「……ばか」
遠くから電車のがたごとという音が聞こえてきた。一瞬だけ、中学生の、高校生の、そして大人の翔子の顔が浮かんだが、それでも強く握ってくる麻衣の手を握り返したのだった。
わたしの七里ヶ浜 井守千尋 @igamichihiro
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます