掌編・ショートショート集『手のかかる娘』他

古都旅人

セツナイ系

早く髪あらいたいのにー

 卒業旅行に、友人のユミと二人で海外に行くという話をしたら、すごい剣幕けんまくでお母さんに怒られた。

「だめ、女二人で海外なんて!」

 私があきれるくらい怒って、あろうことかパスポートを取り上げられ隠されてしまったのだ。私は戸惑とまどい怒った。母は、全く聞く耳を持たなかった。しかし既に旅行代金を払っているのだ。キャンセルなんてできない。

「あんた、昔は飛行機乗りたくないって言ってたでしょう」

 母が怒りながら言った。

 どうだっけ? ああ、確かに幼いころそんなことも言っていたい気がする。でもどうしてだっけ。どうして怖かったか覚えていない。

 いや、ともかくお金は払い込んでいる。スペイン旅行10日間。30万円はした。

 しかしお母さんを止める手段もなかった。お母さんは昔から頑固がんこだ。

 仕方ないので表面上は、お母さんに従い、旅行の準備をして、スーツケースの荷物などはユミの家に置かせてもらった。パスポートも何とか探し当てた。お母さんの寝室のベッドの裏側。弟のエロ本の隠し場所と一緒……(私のBL本の隠し場所と同じ、血だ)。

 でも、すぐには回収せず、旅行直前に回収して、私はユミと合流し、成田空港からシャルルドゴール空港へ十数時間のフライトへ! 直行便がなかったのでいったんフランス経由。不便だった。

「お母さん説得したの?」

 とユミ。

「まさか、納得してないよ」

 飛行機に揺られながら、私は既に、旅を楽しんでいた。ユミとおしゃべりし、ガイドブックに色めきだった。アルハンブラ宮殿きゅうでん闘牛とうぎゅう、パエリア……。

 光が瞬く。機体が大きく揺れる。エマージェンシコール。スペイン語が飛び交う。英語の怒声。フランス語の悲鳴。日本語の狼狽ろうばい、英語のアナウンス。飛行機は墜落ついらくした。大きく光り私の人生は閉じた……なんて呆気あっけない人生だったのだろうか。上空数千メートルで粉みじんになったか、そうでなければ海面に叩きつけられてこなみじんになったのだろう。

 はずだった。光が差した。何だろうと思って光をのぞく……

 明るい部屋だった。しかし視界がかない。湯気が立ち込め、よく見えない。

 足が、足がすごく熱かった。なんだこれは――

「おねーちゃんだーれー?」

「は……?」

 見れば黒髪の女の子が小さな椅子の上に座っている。全裸でだ。

「え、あ……?」

 小さな女の子だ。3歳とか4歳とかそこらへんだろう。

 そこは風呂場だった。しかも見覚えがある。ここは家の風呂場ではないか。

「おねーちゃんだーれー?」

 女の子が私を見上げながら再び訊ねた。

「あ、え? 私は……私はかほよ」

「えー!」

 名乗り出ると女の子は、驚きながら立ち上がる。その黒髪は長く、肩に掛かっている。

「わたしもーかほっていうんだよ! おねーちゃん、どこからきたの?」

「えっと……お空から」

 とっさに答えた。信じられなかった。どうして私がそこに居るのだ。十数年も前の私が、死んだ私の目の前に……

「そうなんだー」

 嬉しそうに女の子は微笑ほほえむ。

「あのねーおかあさんといっしょにはいっていたんだけど、おかあさん、でんわがかかってきたからいないのー」

「そ、そう」

「かみを、はやくあらいたいのにー」

 そう言って女の子は、視線を上へと向ける。視線の先にはシャンプーが置いてあった。なるほどこの身長では届かないか。

 私は風呂の中に突っ込んでいた足を、動かした。シャンプーを取り、手になじませる。

「座って」

 女の子は嬉しそうに、素直に従った。

 私は女の子の髪の毛の中に手を突っ込んだ。シャンプーの安っぽい匂いが鼻に漂う。髪の毛は柔らかかった。

 私は酷く冷静だった。

 これは滑稽な光景だ。十数年前の私の髪の毛を、十数年後の私が洗っているなんて……

「かほちゃん、何歳?」

「よん!」

 幼き日の私は、元気よく答えた。シャンプーを洗い流した私は居てもたってもいられず、口を開いた。

「かほちゃん! 飛行機だけは乗っちゃ駄目だよ!」

「え?」

「いい、あなたは、18年後、飛行機に乗って死ぬ。スペイン旅行。絶対に行っちゃだめ、お母さんにも伝えて、墜落ついらくして死ぬ」

 足音が近づいてきた。

 過去の母親がもうすぐこちらへと戻ってくるのだろう。

 どうすればいいのだろう。今母親に会ったところで何も言うことがない。泣いてしまうかもしれない。

 透明のプラスチックのドアの向こう側に、黒に近い肌色のシルエットが見える。

 母親がそこに立っている。薄いドアをへだてた向こう側に。立っている。

 会ってはいけない気がした。私は消えよう、そう強く念じる。

「あのねーおかあさん」

 かほちゃんが私を見ながら母親に話しかけていた。

「なあに、かほー?」

 ドアが開く。

 と同時に、私は消える。絶対に母親と会ってはいけない。会ったところで何も変わらないのだから。私が最後に感じたのはシャンプーの安っぽい残り香だった。


※「てのかかる娘」と話が少しリンクしています。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る