空っぽのロマンス
休みの日くらいはゆっくり寝てもいいものだろう。
扉を開け、そして
どうしてこの人が、ここにいるんだろう。
「やあ、久しぶり」
そう言ってにこやかに手を上げる伯父の姿を認めた
「お久しぶりですね、伯父さん」
「うん、まあこれはこれは
微笑する伯父に軽い怒りを覚える。深呼吸をして落ち着きを取り戻し椅子に座った。
「お父さんと、お母さんは帰ってきてないのかな?」
「はい」
家には誰もいなかった。有紗と伯父の二人だけだ。
「父と母に挨拶はしてないんですか?」
「ああ、まだだよ。今帰ってきたばっかりだからね。ほら、これお土産」
伯父は缶をテーブルの上に置き、椅子に座った。
「缶詰……?」
「そう。缶さ。でもただの缶じゃない! これはハワイの空気が封入された缶さ!」
嬉しそうに伯父ははしゃいだ。
「
「姉は部活です」
「部活か! 何部だったっけ?」
「バドミントン」
「はははは、そうだったか! しばらく来ていなかったから、もう全然覚えてないよ」
はあ、と
「それから」
と伯父はもう一個缶を取り出した。缶には「富士山の空気」とラベルが貼られてある。
「これは富士山の空気が詰められた缶」
「そうですか」
「それからこれ! これは、砂の大地エジプトの空気が入った缶だ!」
もう一個缶を取り出し、笑う伯父。それ眺める
――ああ、やっぱりだめだ。どう頑張ってもこの人は好きになれない。
伯父は理想家だった。夢という言葉が好きで、座右の銘は「夢に生き、夢に死す」。実際伯父はその通りの人だった。
だから
現実をまったく見据えない、この愚かな男が嫌いだった。
「伯父さん」
「ん? なんだい?」
「こんな缶の何が良いんですか?」
「っはっはっは! 何がって? ロマンに決まってるじゃないか! 考えてもみたまえ! こんな小さな缶の中に、富士山の空気が詰まっているんだぞ! 素晴らしいじゃないか! それにハワイの空気が! エジプトの空気が!」
「だからなんですか?」
「だから? 解らんか? 眼を
「感じないわ」
だって中身はただの空気だ。そこに何かがあるというわけではない。缶きりで開けてしまえばそれまでの、中身の無い役立たず。
「夢が無いね……
「違います、伯父さん。わたしはもう16歳です。確かに、夢なんてくだらないと思います」
その口調はあくまで穏やかだったが、心の底ではマグマの如き感情の
「くだらないか……そうかもしれない。でもね、夢って言うのは素晴らしいものだよ?」
諭すように伯父は言った。
それが堪らなく嫌だ。
「素晴らしい? 夢は、確かに素晴らしいものです。でも、現実を見据えない夢なんて馬鹿馬鹿しい。ただの幻を追う馬鹿者です」
「言うようになったね、
「はぐらかさないでください。大嫌いです、伯父さんなんか」
「そう。伯父さんは悲しいよ」
伯父は三つの缶を手に取り悲しそうな表情を作った。
「そっか……伯父さん嫌われてたのか……」
その顔は憤怒に塗れていた。しかし
その右手には缶切りが握られていた。
「何を」
呆然と呟く伯父を無視し、有紗はその缶切りを机の上に突き立てた。
「待て、止めろ! その中には、ハワイの――」
微笑んだまま、
「ほら、伯父さん! この中には何も入ってません!」
その中には何も入っていない。空っぽだ。
「夢なんて開けてみればこんなくだらないもんなんです! そのとおりじゃない? 違う? 伯父さん、夢なんてくだらないんじゃないの?」
返事は返ってこない。
有紗の頬には涙が伝っていた。
有紗は霞む視界の先を、伯父を真正面から見据える。――しかし伯父の姿はそこには無かった。
「死んだ事にも気づけない、大馬鹿野郎!」
返事は返ってこない。当然だ。
そもそも伯父はもう2年前にも死んだのだから。
夢を語る伯父は、夢に死んだ。伯父は、例えばこの缶詰の中身のように開けてしまえば空っぽのような、そんなものしか追わず。だから死んだ。
幻想の中へと
夢なんてくだらない。
本当にそうだと思う。
「夢なんてこんなもんじゃない。くだらない! 打ち捨てられた
誰もいなくなった空間で
声は狭いリビングルームの中で虚しく消えていった。
「
苦笑げに呟く伯父の声が聞こえた気がした。幻聴だろう、と
「伯父さんには解んないでしょう」
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