第5話
そして迎えた、運命の土曜日。
そろそろ
相手の学校の選手も、どうやら同じ一年生みたいです。
この先の三年間、しのぎを削り合うライバルとなり得る人との対戦とあって、絶対に負けられない――互いからそんな想いがひしひしと伝わってきます。
……と、思ってたら。何やら湊くんが、おもむろにスマホを手に取って弄り出してます。
昨日は緊張するなんて言ってたけど、実は本番に強いマイペースなタイプなのかな……? そう半ば感心していると、キョロキョロと辺りを見回し始めて――私と目が合いました。
反射的に肩まで両拳を掲げて、ぎゅっと握ります。――〝がんばって〟のジェスチャーのつもりです。ちゃんと通じたみたいで、微笑みながら頷いてくれました。
コートへと立った彼の背中へ向け……今一度、胸に手を当てて心の中で呟きます。
――がんばって、湊くんっ。
◇
試合の展開は、全くの五分もいいところでした。
ほぼ毎ゲームがデュースになりながら、フルセットになってしまい――最終セットである現在は、タイブレークというものにまでもつれ込んでしまったようです。……と、近くで他の観客の人が言ってました。
かなりの長期戦に、湊くんも相手の子も疲労の色が隠しきれない様子でした。完全に気力と気力の勝負になっているのが、素人目にもわかります。
「マッチポイントだ、湊!」
「ラスト一本!」
湊くんを応援する、テニス部の人の声が上がりました。彼はそれを受けてか、一層鋭い眼光で相手を
次のポイントを取れれば――湊くんの、勝ち。観客の皆さんも……当然私も、緊張した面持ちで見守ります。
審判によるコールの後……湊くんの力強いサーブが放たれました。相手はかろうじて拾ったという感じで、畳みかけるよう湊くんの強打が――しかし今度は向こうも余裕を持った返球です。それを皮切りに、激しい打ち合い転じてしまいました。
お互いにもう限界でしょうに、ここに来て凄まじいラリーが繰り広げられます。勢いよく飛び交うボールを目で追うのに必死で、息をする事すら忘れてしまいます。
私は無意識の内に胸の前で、祈るように両手をギュっと握っていました。
……おねがい、月桂樹。
湊くんに授けて……勝利と、栄光を――!
――パァンッ!
一際小気味良い音がして、今日一番かと思われる打球がコートへ突き刺さりました。それを拾おうと必死に伸ばしたラケットの先を掠め、その後ろにある鉄製の網へ、ガシャン! と、ボールがぶつかります。
訪れた静寂の中、審判の人のよく通る声だけが、はっきりと大きく響き渡りました。
『ゲームセットアンドマッチ、ウォンバイ、湊。セットカウント2-1』
放心したように立ち竦み、肩を大きく上下させていた湊くんが――不意に、グッと拳を握りしめました。そしてゆったりとした動きで振り返り、私へその拳を見せつけてきます。
疲労を全く感じさせない、この上なく晴れやかな笑顔と共に。
◇ ◇
「お疲れさまでした、湊くん!」
「ありがとう、藤川さん」
自分でもビックリするぐらい興奮して、つい詰め寄ってしまいます。
「ほんっと、もうっ、すーっごくカッコよくって――!」
勢い余ってそんなことを口走りました。普段の私ならば、まず有り得ないテンションであり、こうまで素直に思いの丈を
若干照れた様子の湊くんの顔を見ると、ますます頬がカーっと音を立てて熱くなってしまいます。消えてしまいたい。
「実を言うと、ギリギリまでガッチガチに緊張してたんだよね。試合前のウォーミングアップでも、らしくないミス連発しちゃってて」
恥ずかしそうに、ぽりぽりと頬を掻く湊くん。
でも――と、私は思ったままの疑問を口にします。
「でも湊くん、試合中は全然そんな風に見えませんでしたよ?」
特にこれと言ってミスなんて見当たらなかった気がします。双方が得ていた得点は、お互いが相手の上を行ったものという印象が強く、死力を出し尽くした名勝負って感じでした。
それとも単に私が素人だからなだけで、湊くん自身の中では細かい失敗があったりしたのでしょうか。
「それはね――〝これ〟のお陰、かな」
「これ?」
そう言ってスマホを取り出し、画面を見せてくれます。そこに映っていたのは――昨日あげた、月桂樹の絵の写真でした。
あの時、スマホを弄り出していたのは……これを見るため、だったのですか……?
「試合直前にこれ見たら、なんか一瞬で気持ちが落ち着いてさ。その後に藤川さんの顔が見れたら、もう完璧。身も心も軽くって軽くって。おかげで普段以上の力を発揮できたと思う」
「ま、またまた。湊くんはいつも大げさなんですってば……」
「いやほんと、藤川さんがこれを描いてくれたからだよ。……俺の『勝利』を願って、さ」
――うん?
気のせいでしょうか。いま、なにか……聞き捨てならないようなことを口にしたような。
「あ、あの……?」
「『勝利』、なんでしょ? 月桂樹の――『花言葉』」
「――――ッ!?」
声にならない悲鳴を上げます。頭の中が真っ白になりました。
「なっ、なん……っ! い、いいいいつ、からっ……!?」
無意識に疑問が口から零れ出してます。慌てふためいてしまい、さっぱり呂律が回りません。
それでも彼は察してくれたようで、笑いながらかいつまんだ説明をしてくれます。
「うちって家族揃って花が好きなんだけど、中でも姉ちゃんがフラワーコーディネーターとかいう仕事やってるから、色々詳しいんだよね。それで、ほんの……一週間ぐらい前かな。藤川さんの絵のことに気づいて、教えてくれたんだ」
初めて言葉を交わした日、湊くんが温室に――花に興味を持たれていたのは、ご家族の影響でございましたか。すごく納得の理由でした。
「その時はまだまだオレも姉ちゃんも半信半疑だったんだけど……この月桂樹の絵を見せたら、もう間違いないって。めっちゃからかわれた」
――〝合ってる、かな?〟……そう問いかけるように、無言で見つめてきます。取り
心なしかホっとしたように、湊くんは溜息を吐きます。釣られて私も大きく溜息を吐きました。こちらの理由は『観念して』です。
「で、さ。これ……なんだけど」
「……?」
そういって手渡されたのは、可愛らしくラッピングされた袋でした。
こっそり送っていた、〝健気な〟――否、〝陰湿な〟『ラブレター』の返事でもされるのかと思って身構えかけましたけど。どうやら違う話のようです。
「開けてみてくれる?」
小首を傾げながらも、促されるまま開けてみます。
その中身は――花のデザインされた、可愛らしい
「絵のお礼にと思って、前々から何か良いのないか探してたんだけどさ。藤川さん、よく読書してるから……それなら栞がいいかなと思って」
「わっ……。べ、別に、良かったのに。私が好……、勝手に、送ってただけ、ですし」
うっかり『好きで送ってただけ』と発しかけて、慌てて言い直しました。この場合の『好き』は、そういう類の『好き』ではないのですが……今の私は過敏になってます。
「それを言うなら、俺の方も勝手にだよ」
「むぐっ……」
「それで、その……絵柄、なんだけど」
デザインされていた花は――ハナミズキ。
その花言葉には……『返礼』、というものがあった気がします。贈り物のお返しとしても相応しいお花かもしれません。
他にはどんなのがありましたっけ。んーと……そうだ、確か――
「俺も、〝そう〟してみました。……藤川さんを真似て」
――『私の想いを受け止めて』――っ!?
そういう花言葉、あったと思いますけど……ま、まさか……? いや、でも……〝そう〟してみた……? 私を、真似て……って。
「受け取ってくれる、かな?」
……つまるところ、これは。
私は、絵。湊くんは、栞。
その形は違えども。送り合った……の、でしょうか。
――『ラブレター』を。花に――想いをのせて。
「……ほ……、ほんとう……に? そ、そういう、意味……ですか……?」
「うん。藤川さんが想像した通りで、たぶん合ってる」
何かの間違いなのではないか、夢なのではないか。否応なくそう疑ってしまいます。
けれど、湊くんの……緊張にやや揺れる身体。紅潮した頬。真剣な光を覗かせる瞳。その全てが、雄弁に物語ってくれていました。
伝える勇気などなかった私の想いに、彼は気づいてくれた。勇気を出して、その想いに応えてくれた。
ならば、私がすべきことは? ……その答えなんて、考えずともすぐに出てきます。
栞をきゅっと握った手を胸に当てて、こちらも精一杯の勇気を振り絞り、湊くんの瞳を真っ直ぐに見つめて言葉を紡ぎました。
「――ありがとう、ございます。嬉しいです……すっごく」
想いがこみ上げてきて、視界が微かにぼやけてしまいます。
それでも、いつもの如く眩しい湊くんの笑顔が、私の目にはっきりと映っていました。
それは今の夕日よりも、初めて出会った時よりも、遥かに眩しく、見蕩れてしまう。大好きな人の――今日これからは〝恋人〟となる人の、世界で一番素敵な笑顔でした。
「不束者ですが……どうぞよろしくお願いしますね。湊くん」
「あはは。よろしくね、藤川さ――あっ」
「……?」
「もうひとつ……いいかな?」
「はい?」
「ずっと下の名前で呼んでみたかったんだよね。良い名前だな、って思ってて」
はからずも目を見開いてしまいます。
私の下の名を知っていてくれたことも、それを『良い名前』と言ってくれたことも、もちろん嬉しかったです。それ以上に、願ってもない申し出だと思いました。彼も同じ気持ちを抱いてくれていたことを嬉しく思いました。
喜びを
しばし躊躇いがちに、相手の様子を伺います。そしてどちらともなく、深呼吸を一つ。
しかと見つめ合いながら、先に湊くんが口を開きました。
「ゆ……、ゆか、り……さん」
それを受けて、私も。
「……かずや、くん」
――何度、妄想したことでしょう。この瞬間を。
事実は小説よりも奇なり、とはよく言った物です。
たった一言、ただ相手を下の名前で呼んだだけ。それだけなのに――私の心は、初めての想いでいっぱいになっています。
どこか寂しく
目を軽く閉じ、今一度胸に手を当てます。感じる鼓動はどこまでも心地よく、手にした栞の感触が、何とも形容しがたい充足感をくれます。
そんな風に私の心は割と穏やかなものでした。……ですが、
「ご、ごめんっ……こ、こういうの、慣れてなくて……あー、カッコ悪い……」
なんとも意外な事に、湊くんの方が精神的ダメージが大きいようで。思い返してみれば、彼にしては声が小さく、噛んでもいたような。参ったと言わんばかりに片手で顔を覆い、
「まだ、もう少しだけ……『藤川さん』、でいい……?」
申し訳なさそうに、甘えるように、そんなことを言ってきました。
恋とは……やはり、恐ろしいもののようですね。
私はともかく、あの湊くんまでこのようになってしまわれるとは。
「――……ぷっ」
堪えきれず、吹き出してしまいました。少し遅れて、湊くんも。
二人してお腹を抱えて笑い合います。しばらく、そのまま――一生分かと思えるほど、大きな声を上げて笑い続けました。
こんなにも笑ったのは、人生で初めてでした。
こんなにも楽しく、こんなにも温かく、幸せな気持ちになれる。
恐ろしい一面も当然あるのかもしれません。
でもそれ以上に、それを補い有り余って、素敵なものだと思うんです。
――『恋』って。
「これからも、よろしくです。――湊くん」
「こちらこそ、よろしくね。――藤川さん」
しばらくはお互い、苗字で呼び合うようです。
でも……いつかはちゃんと呼んでくださいね?
同様に私も、ちゃんと口にして伝えなきゃです。
『和弥くん、大好きです』、と。
この花に想いをのせて 紺野咲良 @sakura_lily
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