幼稚園生探偵 榊崎玲子
かぎろ
アンパンマンパンつまみ食い事件
ちいさなまちの、とあるばしょに、きれいなようちえんがありました。
市立みやもりようちえん。
すべりだいやブランコのある園庭や、にかいだての園舎のなかで、きょうも子どもたちがすごしています。
さくらぐみのおへやで、こうたくんが いいました。
「あれー、ななみちゃん、きょうはいつものべんとうばこじゃないの?」
いまは、ぽかぽかとしたお日さまのきもちいいランチタイムです。ですから、ようちえんせいのみんなは、バッグから おべんとうをとりだしていました。
ななみちゃんは「んふふー」とわらいます。
「きょうは、とくべつなの! 〝こんびに〟でかってもらった、アンパンマンパンなんだよ!」
「へえー、いいなあ。ぼくなんか、ふつうのおべんとうだよ」
「ななみちゃんいーなあ、わたし、ママのおべんとうなんだよねー」
「ななみちゃん、おれのおかあさんのべんとうと、そのパン、こうかんしてー」
みんなにうらやましがられ、ななみちゃんは、鼻たかだか。
さっそく ビニールぶくろのなかみをとりだすと――――
「……あれ?」
アンパンマンパンには、だれかにひとくちかじられたあとが。プラスチックのふくろには、だれかがあけたあともありました。
「な、なんで……?」
ななみちゃんはこまってしまいます。みんなも、すぐにきづきはじめました。「パン、だれかにたべられちゃってる!?」「ひどい!」「アンパンマンパンどろぼうだ!」「〝はんにん〟はだれだ!」
ざわざわとするさくらぐみ。さわぎがおおきくなっていくにつれ、ななみちゃんは、とうとう なきだしてしまいました。
さくらぐみの先生・ももこさんはというと、まだ新人なので、あわあわとして、たよりがいがありません。
なきじゃくるななみちゃん。
たいへんになるさくらぐみ。
ざわつきが、ももこ先生ではしずめられないほどになりかけた、そのとき――――
「落ち着きなさい。アナタたち。」
ひとりの女の子の声が、
静かに、
それでいて確かに、
響き渡った。
その幼女は周囲と同じく、幼稚園生であった。しかし、何処かが違う。何かが違っている、と思わせるオーラを発していた。水色のスモックはやや着崩しており、黄色い帽子を顔の前側にずらして被る様は気障という他ない。また座っている場所もロッカーの上であり、壁の隅に背中を預けて片膝を立てているのは園児と思えぬ異質さである。しかし、そのような風体など、彼女の内から発せられる謎の覇気と比べれば些末な事であった。
そう、覇気。幼女離れしたその気迫は、明鏡止水の如く落ち着いた顔つきの裏に宿る獰猛な精神を窺わせる。柔らかな頬、短い手指、小ぶりの膝小僧――――一見してか弱いそれらから脆弱な印象を削ぎ落すのは、鷹を思わせる鋭い眼光である。今でこそ視線は穏やかだが、仮に本気を出したなら。臨戦の刃の如き睥睨が、対峙する者に畏怖を抱かせることだろう。
彼女は、ゆっくりと、口を開いた。
「
「え、あ、うん……」
「そう。――――さて」
ロッカーから音もなく降り、彼女は、部屋のすべての園児たちに告げた。
幼稚園生らしい幼い声と、幼稚園生らしからぬ力強い勢いで。
「今回の事件は――――この私、
彼女は、みやもり幼稚園名物、幼稚園生探偵。
園内のあらゆる怪事件(※ただし幼稚園生レベル)を快刀乱麻を断つが如く解決してきた、なんか尊大な女の子である。
◇◇◇
市立みやもり幼稚園、二階、さくら組教室。
そこには、さくら組の園児十二人と、ももこ先生が神妙な面持ちで集まっていた。
ななみちゃんのアンパンマンパンが何者かに一口食べられてしまったという事件が発覚して数分が経っている。ななみちゃんは今も泣きながら目をこすっており、友達になぐさめられていた。
今は、園児探偵・玲子の指示で、園児たちは教室から出て行くことを禁じられている。
事件の犯人を逃がしたりしないためだ。
そう。
ななみちゃんのアンパンマンパンを食べた犯人は、さくら組の中にいる可能性があるのだ。
「事件が起きたと推定されるのは、十一時半から十二時の間。私たちが園庭に出て、かけっこをしていた頃でしょうね。それ以外の時間帯での犯行はリスクが大きい」
玲子が言うと、隣でみーちゃんが「どうしてですか?」と問いかけた。
みーちゃんというのはさくら組の女子のひとりである。玲子からは助手と呼ばれている彼女は、最初に玲子が幼稚園で事件を相手取った時にたまたま隣にいたせいで、成り行きで助手をやらされ、そのままになっていた。今ではすっかり探偵の助手が板に付いている。
「かけっこ以外の時間帯で犯行をしたのなら、必ず誰かに気づかれるはずだからよ」
玲子は丁寧に説明する。「私たちはかけっこ以外はずっとこの室内にいた。布製のバッグを使う私たちの中にあって、奈波さんのビニール袋は目立つ。動かせばカサカサと音が鳴るしね。――――もしかけっこでなく、こうさくタイムや、おうたの時間に犯行に及んでいたとすると。それでは犯人の目撃者がいないことの辻褄が合わない。事件は私たちが教室にいない時に起きたのよ」
みーちゃんは「はえー」とわかっているのかいないのか判別できない声を出す。
ななみちゃん含めた他の園児たちも「ほえー」と声を出す。
いたずらっ子のゆうとくんが「へ、へえー」と冷や汗を垂らす。
玲子はゆうとくんを見た。
ゆうとくんは玲子から目を逸らした。
玲子は、少し声を大きくして言った。
「さて。これから本格的な推理に入るわ。さあ、助手ちゃん。犯人が見つかった時のために、怒ると怖い鬼怒川先生を呼んできてくれるかしら?」
みーちゃんは「はい」と答えた。ななみちゃんたちは「おおー」と言った。
いたずらっ子のゆうとくんは「ひぃっ!?」と顔色を変えた。
玲子は、みーちゃんは、ななみちゃんたちは一斉にゆうとくんを見た。
ゆうとくんは逃げ出した。
~しょうしょうおまちください~
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
「ぜえっ、ぜえっ、ぜえっ……」
「はぁっ、はぁっ……も、もう、くんな……」
「ぜえっ……じゃあ、にげないでください…………」
みやもり幼稚園、園舎裏。
ゆうとくんとみーちゃんは、走りすぎて体力切れを起こしていた。
追いかけっこというには必死すぎる追跡戦を繰り広げていた二人。ゆうとくんは罰から逃れるため、みーちゃんは助手としての責務を全うするため。しかし頑張った二人をあざ笑うかのように物陰から現れたのは、園児探偵、榊崎玲子。涼しい顔で手を振っている。
「げっ……!」
「たんてー……!? なんで、ここに……」
「ふふっ、ごめんなさいね。アナタたちの体力、歩幅。精神状態。今日の天候。地理。などを考慮して頭の中でシミュレーションすれば、体力が尽きた頃にアナタたちはここへやってくるだろうと解るのよ」
玲子は「ゆうとくんの逃走もみーちゃんの追跡も全て手のひらの上だった」という意味のことを平気な顔で宣う。みーちゃんを全力で走らせておいて、自分はのんびりと二人が来るのを待っていたのだ。
みーちゃんが叫んだ。
「ひどいです、たんてー! わたし、がんばったのに!」
「ええ。助手ちゃんはよく頑張ってくれたわ。アナタが追い回してくれたおかげで、私は無駄な疲労をせずに済む。ありがとうね」
玲子が微笑むと、みーちゃんは顔を赤らめ「あう」とだけ言い、静かになった。みーちゃんは百合の素質があるのであった。
一方玲子は、肩で息をしているゆうとくんに今一度視線を向ける。
ゆうとくんはアスファルトの地面に大の字になっていた。
叫ぶ。
「あーーーー!!!! アンパンマンパンおいしかったなーーーーーー!!!!!!」
もはや、自棄であった。
ゆうとくんはひとしきり自供したのち、ニヤリと笑って「いいよ……さばいてみろよ……しっこーゆうよだよ……」などとブツブツ呟いている。
そんな彼女の傍らに、玲子が座った。
日光の差さない園舎裏は湿り気があり、どこかひんやりとしている。秘密の話をするのにうってつけの雰囲気がそこにはあった。
探偵は、犯人に語りかけた。
「――――私の愛読書に、『あんぱんまん』があるの。よく寝る前に、父親に読み聞かせをしてもらっているわ」
「れいちゃんも……アンパンマン、よんだりするんだ?」
「私だって幼稚園生なのよ? アンパンマンのアニメは欠かさず見るようにしているわ。……それでね。『あんぱんまん』の作者・やなせたかし先生はこう言っていた。『究極の正義とはひもじい者に食べ物を与えることなのだ』とね」
「きゅーきょくのせーぎ?」
寝転がっていたゆうとくんが起き上がる。玲子はゆっくりと、ハープを弾くようななめらかさで言う。
「アンパンマンのような、優しい心のことよ。一番の優しさは、お腹が減った人に食べ物を分けてあげることなの」
「じゃあ、オレはぜんぜんちがうね……。オレ、ななみちゃんのパン、たべちゃった。ななみちゃんもおなかすいてるのに……。アンパンマンとは、ぜんぜんちがう……」
「でもね」
玲子は、すっと立ち上がって一歩、二歩と歩き出し――――振り返ってゆうとくんを見た。
「アンパンマンは、キミなのよ」
「あっ!」
ゆうとくんは声を上げる。「アンパンマンたいそう!」
「その通り。あの曲の歌詞にもまた、やなせ先生のメッセージが反映されていると私は考えているわ。アンパンマンは、私たちなの。やなせ先生の詞は、心を持つ全ての人へ平等に向けられている。誰だってアンパンマンになれる。誰だって、究極の正義を持つ――――とっても優しい人になれるのよ」
「オレも、アンパンマンになれる?」
その問いに、玲子は強く頷き、言った。
「――――愛と勇気が、友達ならば。」
ゆうとくんは、すっくと立ち上がる。
眉をきりりとさせ、覚悟を決めて駆け出した。
◇◇◇
アンパンマンパンつまみ食い事件があった日の、夕方。
みやもり幼稚園の園庭では、ジュニアサッカーきょうしつの子どもたちが今日もボールを蹴り合っている。
そんな様子をジャングルジムの高みから見下ろしている者がいた。
パイプの骨組みのてっぺんで、脚を組んで腰掛けている。水色をしたスモックと、黄色い帽子を頭に乗せ、その幼女は、煙草でも吹かすかのような手つきでシャボン玉を吹いていた。
彼女は幼稚園生探偵、榊崎玲子。
好きなシャボン液の銘柄は、マイルドシャボンである。
「たんてー!」
そこへ駆け寄る、助手のみーちゃん。「やりましたね、たんてー! じけんかいけつ、かっこよかったですよ!」
玲子は、満足げにフッと小さく笑ってシャボン玉器に口をつける。探偵がよく所持しているパイプにも似たそれは、細かいシャボン玉をぷくぷくと生み出した。
あの後、いたずらっ子のゆうとくんは、ななみちゃんに謝った。
そしてななみちゃんに、お詫びにと自分の弁当を差し出した。するとななみちゃんは言った。
『ありがとう、ゆうとくん。でも、おべんとうをわけてくれるなんて、ゆうとくん、じぶんのおかおをわけてあげるアンパンマンみたいだね!』
ゆうとくんは感激して泣いてしまい、へなへなと座り込み『じぶんのなみだで、かおがぬれてちからがでない~』と周囲を笑わせたという。みーちゃんは、いや体力切れだからでしょと突っ込んだという。
「――――私の人生を変えた書のひとつに『きたかぜとたいよう』があるわ」
玲子がおもむろに語り出した。ジャングルジムから遠くの景色を見て、半ば独り言のように呟く。
「たとえば先生が、さながら北風のようにふたりを叱りつけて無理矢理に謝らせ、ふたりの間にできた溝を埋めようとしても。それではうまくいかなかったでしょう。しかし私のように、さながら太陽のごとく犯人の内省を促し、自ら謝罪するように働きかければ。引き裂かれたふたりの仲は再び良好になるのよ。私はあの童話から、大切なものを学んだわ」
「なにいってるかぜんぜんわかんないけどすごいですたんてー!」
「そんなことより。助手ちゃん、今日はあなたも延長保育なの?」
現在時刻は午後三時。普通ならば園児は保護者に連れられ帰宅している時間帯だが、玲子は延長保育を利用して幼稚園に残り、父親を待っていた。
「うん! わたしも、ママをまってるの!」
「そう。お互い、暇になってしまったわね」
「うん。……あのね、たんてー。……その、わたしと、おままごとを……」
百合の素質があるみーちゃんは両頬に手を当てながら、おかあさん役に自分、おとうさん役に玲子を据えて睦み合う様子を思い浮かべてもじもじとする。しかし玲子の耳には入っていなかった。
「パパ!」
父親が来たため、玲子の視界には父親しか入らなくなっていたのだ。愛する父に駆け寄り、抱きつく玲子。みーちゃんは切なげに目を逸らす。
今日も、ひとりになってしまった。
幼いながらも、諦めを知ったような儚い笑みを浮かべるみーちゃん。
そして彼女の様子がどこかおかしいことに、玲子は気付いていた。
「助手ちゃん」
玲子がみーちゃんに歩み寄る。
「今日も私を助けてくれてありがとう」
「そ、そんな……えへ……でも、パパがまってるよ? パパのところにいかなきゃ……」
「アナタが今、なにを諦めたのかは知らない」
真剣な眼差しでみーちゃんを見つめる。
「けれど、『おおきなかぶ』の逸話にもあるでしょう? ひとりではダメでも、みんなで力を合わせれば、かぶは抜けるの。私は助手ちゃんを頼っているから、かぶを抜くことができた。だからたまには、私もアナタの収穫を、手伝わせてね」
玲子は、小首を傾げて微笑んだ。
言えない。
みーちゃんは、言えなかった。
あなたのことが、好きだなんて――――――
「おおい、玲子。帰るぞー」
「いけないわ。パパが呼んでいる。じゃあね、助手ちゃん。悩みがあるなら、明日でも明後日でもいいから、聞かせてね」
「ぁ……」
離れていく、玲子。
追いかけられない、みーちゃん。
それでもみーちゃんは、声を張り上げる。
だって、たんてーは教えてくれた。
アンパンマンは、わたし。
愛と勇気が、友達さ――――――!
「たんてー! わたし、いつかぜったい、つたえるからーっ!」
父親と手を繋いで帰ろうとしていた玲子は、振り返って、笑顔を弾けさせる。
彼女が恋心という
榊崎玲子は、優雅に手を挙げながら、帰路を歩いてゆくのだった(横断歩道なので)――――――。
【完】
幼稚園生探偵 榊崎玲子 かぎろ @kagiro_
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