第32章 ── 第43話

 美味い美味い男は放っておいて、彼が連れてきた二人の男に注意を向けた。


 重戦士ヘビー・ウォリアーライナスの威圧に身動きが取れず跪いたままの二人の前にテンゼル伯爵は椅子を運んで座った。


「ヘーメルが連れて来たという事は、君たちは後ろめたい事があるという事だね?」


 テンゼル伯爵は優しげな声色で静かに二人に問い正す。


 伯爵は見た目で三〇代中頃、口角は微妙に上がり眉尻が下がっているので優しげに見えるのとは反対に実際に前にいると異様な圧力を発している。

 笑っているような表情だが目の奥が笑ってない。

 柔和に見えて尖ったナイフの先端のような印象を受けるのだ。


 正直、腹の底は見せないタイプではないだろうか?

 まあ、何でもあけっぴろげなのも海千山千の精神的化け物が多い貴族や政治家としてはどうかと思うので、彼から受ける印象に悪い気はしない。

 彼としても俺が何者で何を考えているか解らんだろうし……


 ただ、彼は自分の審美眼が特別な存在だと看破したアラクネイアたちに失礼を働いたという事だけが重要だと言いたげな行動ではある。


「いえ、滅相もございません……

 私は、バーモンがこちらの料理人さんにこのあたりに行くように言ったと報告されただけで……」


 大商人風の男は、自分の雇っている御者を顎で指しながら慌てるように言い訳をする。

 それを聞いた御者はビックリした顔で自分の雇用主に顔を向けた。


「そりゃないですよ、旦那!!

 俺ぁ旦那がみすぼらしい馬車が目に入らないようにしろって言われたんで、やっただけで……」


 責任の擦り付け合いが始まった。


 権力者にとっては、こういう見苦しい茶番を見るとイライラするもんだ。

 テンゼル伯爵の見せかけの笑顔が、どんどん無表情に変わっていくのが俺にも解った。


「黙りなさい」


 貴族から黙れと言われたのに言い争いは終わらない。

 ギャアギャアやっている者たちだけが理解できていない。


 周囲の目はどんどん冷えていく。

 ライナスがスッと剣の柄に手を添える。


「ヘルネック領主として命じる。

 口を閉じろ」


 明確に貴族からの命令が下った。

 大商人らしい男は貴族との取引も経験しているのか「命じる」という文言に反応して口を閉じた。

 だが、御者は「旦那はいつもそうだ」とかまだ口走っていた。


 ライナスが目にも止まらぬ速さで剣を抜き、御者の鼻を削ぎ落とした。

 一瞬の出来事で御者は何がおきたのかも理解できてないようだったが、「は?」と間抜けな声を出して喋るのを止めた。


 だが、鼻あたりから溢れ出る水気に気づいて顔に手をやってようやく鼻がなくなって血を吹き出しているのに気づいて悲鳴を上げた。


「ぎゃぁああぁ!!」


 周囲でこっそり見守る見物人や最初からこの場所に追いやられていた旅人たちも固唾をのんで見守っている。


「領主閣下の命令に背いた事は本来なら万死に値するが、命まで取らぬ。

 口を閉じろと命じられたなら口を閉じている事だ」


 ライナスの重厚な声色が、悲鳴を上げる男の耳にも届いたらしい。

 鼻と口を御者は押さえて地面にうずくまった。


 その様子を眉一つ動かさず見ていたテンゼル伯爵が再び口を開く。


「お前かそこの御者のどちらが悪いなどという事はこの際もうどうてもよいのだ。

 貴族に平民が無礼を働いたという事が問題なのだよ。

 判るかね?」


 貴族が権力を持つ封建社会の恐ろしさである。

 立憲君主制ならまだ貴族の立場よりも法律の方が上に来るので、そこまで怖くない。


 だが、殆どの国が家産国家大半を占めるティエルローゼはそうではない。

 このバルネットでも例に漏れず、「領主」という肩書はその土地で王と同じ権限を持つという意味である。


 貴族とは基本的に平民に対して無限の権利を持つ。

 もちろん領主が自分の領地にいる場合という条件はあるが。

 そして、ここはテンゼル伯爵が治めるヘルネック領である。

 彼が認めたアラクネイアとその一行がどのような立場であろうと正義で、彼が罪と認めた行動が犯罪なのである。


 現代の民主主義の国で生まれた俺からすれば暴論も良いところだけど、これが発展途上の政治形態の実情なのだ。


 ただ無限に権利を行使できる以上、それに対する義務も発生する事は忘れてはならない。

 それがノブレス・オブリージュであり、領土や領民を守るのが領主の義務である。

 この部分を忘れる貴族が多いので、色々な悲劇やら喜劇が古い物語には多いのだが。


「失礼ながら、こちらのお方たちはお貴族様なので……?」


 大商人らしい男は、起死回生を意識してみすぼらしい小型の馬車に乗ってきた俺たちを誰何するつもりのようだ。


「失礼ですがご夫人、ご身分をお伺いしても?」


 テンゼル伯爵は、アラクネイアが貴族の関係者である事を確信しているようで自信ありげに質問をしてくる。

 アラクネイアがチラリと俺の方に目を向けて来たので、黙って様子を見ていた俺が前に出た。


「テンゼル伯爵殿、俺の料理は口に合いましたか」


 突然、俺が前に出てきたのでテンゼル伯爵は一瞬戸惑ったようだが、俺が彼に「~殿」と付けた事に気づいたようで、目に余裕が戻って来る。

 伯爵号を持つ者に「~殿」と付けられるのは同等の貴族な証拠である。


「ええ、まさかこれほどの料理をこのような場所で頂けるとは思いもしませんでしたよ」

「そうですか、それは嬉しい言葉を頂いた。

 申し遅れたが、俺はケント。オーファンラント王国トリエン地方領主ケント・クサナギ・デ・トリエン辺境伯と申す。

 以後、お見知りおきを」


 俺はオーファンラント式の貴族の礼を以てテンゼル伯爵に挨拶をした。


「東のオーファンラントの……」


 さすがに外国の貴族だとは思っていなかったようで、伯爵は驚いたようだ。

 だが、他国であっても貴族は貴族。

 自分が認めた女性がやはり貴族の関係者だったということに納得が行ったようである。


 伯爵は大商人にジロリと目を戻す。


「聞いた通りだ。

 お前たちは貴族の権威の泥を投げつけた。

 それも私の領地内で」


 大商人は「ひいっ」と恐怖に息を呑む。


「トリエン辺境伯殿、この者たちの処遇……私に任せていただけますかな?」


 俺は素直に頷く。


「もちろん。

 ここは貴方の領地だ。

 異邦人たる我々は、従うのみですよ。

 もっとも、俺以外の三人は元々この国の者ですが」


 俺がそういうと伯爵は「やはり」と言った。


「何年か前ですが、私が父のお供で伺った侯爵家のお茶会で、ご夫人を見かけた記憶がかすかにありまして」


 伯爵は貴族の笑みではなく、心からの笑顔でそういった。


「あら? そうでしたの?」

「はい。

 貴女のような方を見忘れるワケがありませんから」


 アラクネイアの美貌は、俺が知る女性の中でも三本の指に入るのだ。

 こんな美人は普通お目にかかれない。

 もちろん神々を除いてだが。

 何にせよ、一度見たら忘れられるはずがないって事だ。


「珍しい。よく妾を認識できましたね」

「どういう事です……?」


 ああ、隠形術か何かを使ってたのかね?

 アラクネイアほどの美貌の持ち主がいると、他の御婦人の迷惑になりかねないし、男どもが騒ぐだろうし、社交界では隠れているのが順当なんだろう。


「ああ、何か技能スキルをお使いだったのでしょうか。

 失礼しました」


 アラクネイアはその謝罪を静かに頷いて許したようだ。


「まあ、処遇は任せます。

 俺は料理がありますんで、後はよろしく」


 後の事はアモンやアラクネイアに任せて俺はさっさと料理ゾーンへ引っ込む。

 その行動に伯爵はポカーンて顔をしていたよ。


 俺はステーキを焼いて開いているテーブルに並べていく。


 伯爵と大商人の顛末が気になる見物人たちも、俺が何をしているのかさっぱり判らないようで、あちらよりもこちらをチラチラ見る者も増えてきた。


 とりあえず約二〇人分用意できたところで、俺はこのエリアの旅人たちに声を掛けた。


「さあ、まずは二〇人。

 俺の料理を食べてみたくないか?」


 そう声を掛けると、年の頃は一六くらいの若い行商人が手を上げた。


「はい、君」

「あの……それ……その……食事ははおいくらになりますか……?」


 いい質問だ。

 俺はニヤリと笑った。


「ここから一日くらい東に行ったところでもやったんだが、自分で値段を付けてくれ。

 君たちの目利きを試してみたい」


 俺の挑戦的な笑顔に商人たちは顔を見合わせた。


「お、俺たちの腕前で値段が決まる……?」


 若い行商人は料理と俺を見比べている。

 彼はとても自分では料金を払えないと思ったのか、ぐっと拳を握って引き下がる。


「ほほう。君は目利きのようだな」


 引き下がる行商人の方を俺は掴んだ。


「君はタダでいい。食べていけ」


 耳元に囁くように言うと若い行商人は驚いた顔で振りむいた。


「い、いいんですか!?」

「構わん。

 そのためにこの場を用意している」


 さっきの俺たちのやり取りを見ていたからか、俺が貴族だという事は彼らは気づいている。

 貴族のお戯れ、あるいは御慈悲か施しか……

 何なのかは判らないが、美味そうな料理が食べられるのなら食べてみたい。

 彼らの目にはそんな色が浮かんでいる。


「自分の目で値段を決めろ。

 そして食え。

 自分の目で付けた値段も払えないって場合もあるのも判る。

 だが、食っていけ。

 払えるだけでいい。

 お前たちの商人としての腕が上がるなら安いもんだ」


 俺の言葉の真意に気づいた商人は一人もいなかった。

 だが、後ろに息を飲む声が一つ聞こえた。


 チラリと振り向くと、ライナスに大商人たちを任せた伯爵が俺の様子を見ていたのだった。


「……素晴らしい……」


 テンゼル伯爵はやはり辣腕家なようだ。

 俺の理念を一瞬で理解したって事だ。


 そう。

 物流の基本は彼らである。

 彼らの商人としての技能スキルが上がる事は、地域経済の活性化に繋がる。

 経済が活性化するという事は、その領地は富むのだ。

 人、物、金の移動が流通の基本なのだからね。


 そういえば、領主ってのは行政を担当する貴族なんだっけ。

 この程度の理解力がバルネットの行政担当の貴族には必要なのかもしれない。

 前の都市の行政担当貴族には会ってないので判らないけど、テンゼル伯爵は有能なのは間違いなさそうだ。

 アモンもアラクネイアも知っていたくらいだからな。


 俺はニッと伯爵に笑い掛け、このエリアに押し込められている商人たちとの商業実習に戻るのだった。

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