第32章 ── 第42話
騎竜で街道を一日走って、本日のノルマである行程を終了して大きな馬車溜まりを持つ休憩広場に腰を落ち着けた。
この休憩広場は馬車溜まりが大きいだけあり、裕福そうな利用客が多い。
数台の馬車の仕様から貴族も何人かいるようだ。
それでも主な利用者は裕福そうな一般市民や大きな隊商といったところだろうか。
小さい馬車や徒歩の行商人や旅人の利用は限られているようで、俺たちも含めて隅っこに追いやられてしまった。
俺たちを追いやった大商人の使用人風の御者はかなり横柄な態度だったが、俺は素直にしたがっておいた。
俺は騎竜に指示を出して隅っこの一画に馬車を停めさせてから御者台から降りた。
俺が降りたのを感じた魔族たちも馬車を降りたのだが、その様子を見ていた大商人の御者は降りてきたアラクネイアやアモンの様子を見て顔を青くして逃げていった。
貴族然とした彼女らが降りてきたら、使用人風情である御者が逃げるのも頷ける。
俺たちが乗ってきた馬車も貴族が使うようなモノじゃなく小型の幌馬車なのでまさか貴族が乗っているとか思わなかったんだろう。
貴族に失礼を働いたとなれば簡単に首が飛ぶ世界で、顔を青くする程度で済んでいるのは奇跡だ。
本来、こういう場所で野営を行う場合、午後の早い段階で野営の準備を始めなければならない。
大きい野営地だし、利用者も多いので尚更である。
焚き火用の薪を探すのも困難しそうなここのような場所では当然だろう。
実際、ここで野営で一晩持つだけの薪は手に入らないので、近くの街や村から薪炭売りの馬車がやって来て繁盛している。
それに食料も取れそうにないので、食品売りの馬車も来ているようだ。
金持ちが利用するような休憩所だし、それを当て込んで売りに来ているのは明白だな。
で、そういう売り馬車は俺たちの隅っこ組のところには売りに来ない。
金のなさそうなヤツが集まっているのだから当然といえば当然である。
金持ちに因縁でも吹っ掛けられたら困るから隅っこで縮こまるしかないのだ。
だが、俺はここに来て遠慮なんてしない。
八つほど簡易
八〇合を一度に炊くというのも前代未聞なので、他の隅っこ組もビックリして見ていた。
これだけの魔法道具製の携帯用簡易
料理の準備を始めたのはこの休憩所内の野営者でも一番遅かったのだが、魔法道具の
火起こしなどが必要ない事がこれほどのアドバンテージを生む事は、科学にどっぷりの現代人には理解できないかもしれない。
マッチもライターもないからなぁ……
さて、八つも巨大な釜を並べてご飯を炊いているのである。
あの炊飯時のいい匂いが休憩所内に充満するのに時間は掛からなかった。
気づけば、野営を部下や使用人に任せて楽をしている人たちが俺たちの野営を見物に来るのは自明である。
いくつものテーブルを並べて料理する俺が超スピードで動き回っているのも相当珍しいが、レアスキル持ちと思えば不思議ではない。
それよりか、俺が馬車の近くに大量に出したテーブルや椅子を貴族然としたアラクネイアとアモンが丁寧に並べている風景の方が驚異的に見えているらしい。
フラウロスとアロケルという護衛っぽい奴らに混じって同じ作業をしているんだからねぇ。
それと並べている椅子とテーブルの数が、俺らの数より多い……いや多すぎるってのも見物人には不思議な光景として目に写っているに違いない。
席の数は五〇人分くらいあるし。
ウチの世帯は俺を含めても五人、そこから考えても一〇倍も並べているワケだ。
ご飯の炊き加減がいい感じになってきたので、吹きこぼれない程度に火加減を調整して次の段階へ。
新たな簡易
どこからともなくこつ然と現れる簡易
インベントリ・バッグから出すとみんな驚くからねぇ。
どんな大きさのものでも出し入れ自由ってのがインベントリ・バッグの強みで、この世界の
ちなみに
だからこそ仲間たちのゴーレム・ホースは、俺が預かっている。
そうなってくると、大量の簡易
「少々失礼してよろしいですかな?」
料理を進める俺の耳にアラクネイアに語りかける声が入ってきた。
だが、アラクネイアは返事すらせず、扇子をパサリと広げて口元を隠した。
既に芝居モードに入っているらしく、アモンが恭しい素振りでアラクネイアに腰を折って頭を近づける。
アラクネイアはアモンの頭に顔近づけて、ボソボソと何かを囁く仕草をする。
アモンはコクコクと頷いてから、上半身を元に戻した。
「夫人はこう仰っております。
我々は見世物ではありません。
早急に散るようにと仰せでございます」
アモンがジロリと周囲を見ると、金持ち組は蜘蛛の子を散らすように逃げていく者も多くいた。
先ほど声を掛けて来た人は逃げてない。
声を掛けておいて逃げ出したのでは、彼の面目は丸つぶれだろう。
それに貴族の女性らしき存在に話しかけている段階で、彼も貴族なのではないかと思われる。
着ている服も上等だし、後ろに護衛が二人もいるしね。
アラクネイアはその様子をチラリと見てから、アモンに先ほどと同じように話しかけた。
アモンも面倒臭がらずに茶番に付き合った。
「そちらの方はこちらにお座り下さい」
アモンはアラクネイアの対面の椅子に貴族らしい男が座るようにと言う。
貴族らしい男は、面白げにその椅子に遠慮なく座った。
護衛たちは男の後ろに立つ。
「失礼ですが、中央の貴族夫人とお見受けします。
私はこの先の都市ヘルネックの地方領主を仰せつかっておりますテンゼル伯爵と申します」
その名前を聞いて、アラクネイアが目を細めた。
フラウロス、アロケルも顔を見合わせているところを見ると結構大物貴族なのかもしれない。
アモンは顔色一つ変えてないので知らないのかとぼけているのか……
「これはこれはヘルネック領主様。
お噂はかねがね聞き及んでおります」
アラクネイアが扇子はそのままだが、聞こえる声で直接挨拶をした。
それに答えるようにテンゼル伯爵は椅子から立ち上がると見事なカーテシーを決めてから座り直した。
上位貴族への礼だろうことは、遠目でチラリと見るだけでも解る。
要は、彼はアラクネイアを上位貴族だと判断したワケである。
「それで……妾たちに何か御用でございますか?」
「いや、貴女様たちの野営する様子が、このような隅で行われていると聞き及びましてな。
それを不思議に思いまして」
確かに魔法道具を並べ立てて、もはやワープでもしているのではないかと思われる速度で料理をしている男を従えている段階で普通じゃないしな。
ただ、彼はアラクネイアやアモンもテーブルや椅子を並べている風景は見ていないのかもしれない。
貴族の女性がそんな雑務をするとは考えられないしな。
事の顛末を最初から見ていたら、そんな質問はしないだろうし。
「妾は知りませんが……
コラクスはご存知?」
突然話を振られてもアモンは小揺るぎもしない。
「何やら主様があちらの御者にここに行けと仰せられたそうで」
見れば、アモンの指差す方向にあの失礼な御者の姿が見えた。
テンゼル伯爵とその護衛も御者の姿を見つける。
自分に視線が向いたのに気づいた御者が、脱兎のごとく逃げ出したのは言うまでもない。
「ヘーメル」
「はっ! 直ちに」
ヘーメルと呼ばれた護衛の一人は、軽く跪くと直ぐに立ち上がり逃げた御者を追っていった。
ヘーメルという男の動きが普通じゃない。
俺は料理を進めつつ、マップにあるヘーメルの光点をクリックしてみた。
うっは!
レベル三八の
ティエルローゼ人の中でも相当の腕前だ。
という事はもう一人も?
こっちはレベル四〇、それも
護衛としては最強クラスだろうか。
ちなみにテンゼル伯爵はレベル九だったよ。
一般人としては高いのではないかね?
戦闘職換算でレベル九だからね。
貴族が
「貴女に無礼を働いたというならば、責任を取らせねばなりませんので」
テンゼル伯爵は護衛の一人を動かした良い訳をした。
そこにアモンが透かさず否定した。
「いえ、我らが主は、この方ではございませんよ、伯爵」
「え?」
さすがのテンゼル伯爵も思考が停止したようで間抜けな声で聞き返した。
「我らが主は、あちらのお方でございますよ」
アラクネイアはパシンと扇子を閉じてその閉じた扇子の先で料理をする俺を示した。
テンゼル伯爵は目をパチクリさせて超高速移動しつつ料理を続ける俺を見ている。
「御冗談を……」
「冗談ではありませんが?」
アラクネイアが冷たい視線をテンゼル伯爵に向ける。
伯爵はその視線を受けて、一筋の冷や汗が顎に流れた。
それほどの視線である。
一般人にも気づくほどの殺気だ。
その護衛の手をフラウロスが抑えた。
あまりの早さに「いつの間に!?」という驚いた顔をする護衛の顔に吹き出しそうになった。
フラウロスは影渡りも出来るし、既にレベル九六に達しているからなぁ……
そこらの亜神やら神より強い。
いくら強いと言っても一般的なティエルローゼ人と比べたら悪いか……
あっちの緊張が高まっているところで、俺はご飯用に並べた竈の火を落とした。
蒸らしの時間である。
それと共に、本日のメインディッシュ、巨大な牛のブロック肉を親指ほどの厚さに切り分けて、鉄板の上に並べて行く。
──ジュワァアァァァッ!!
熱々の鉄板の上に乗せられた途端、上等な牛肉はいい音と香りを周囲にぶちまける。
緊張が走っていたテーブルの周囲も一瞬でその香りと音に包まれる。
塩と胡椒だけの単純な味付け。
添え物としてカリカリに焼いたニンニクのスライスも用意。
手早くミディアム・レアに焼き上げて皿へと盛って、テーブルへ運んだ。
俺は仲間たちの分とテンゼル伯爵と護衛の分をテーブルに並べた。
「どうぞ、召し上がれ」
俺の言葉に護衛も椅子に座るとフォークとナイフを手に肉を切った。
その様子を見ていたテンゼル伯爵も無言のままにステーキを切る。
そして一口大の肉を口に放り込んだ。
「!!」
護衛も伯爵も声もないまま肉を噛みしめる頬を両の手で押さえた。
「我が主の料理、旨かろう?」
どや顔のアラクネイア。
アモンも似たような顔である。
「こちらを掛けても美味しいですよ」
フラウロスが、醤油のビンを差し出した。
伯爵も護衛も言われるがままに醤油を少々垂らしてから肉を頬張る。
「「!!!!!!」」
またもや声にならない歓喜の悲鳴頂きました。
「ご飯もいっしょに食べなさい」
アラクネイアに命じられ、ご飯といっしょに食べたステーキは絶品だったようで、護衛にしろテンゼル伯爵にしろ貴族らしからぬほどのがっつきを見せ、あっという間に料理を食べ終えていた。
「伯爵……連れてまいりまし……
あ! なんで俺を差し置いてご馳走になってるんですか!?」
ヘーメルと呼ばれた護衛が、数人の男と例の御者を連れて帰ってきたのだが、満足そうな顔で食後の余韻に浸っている二人を見て叫んだ。
これがヘーメルという
ちなみに、護衛の二人は男爵と子爵でれっきとした貴族ですから。
ああ、
彼だけ名前出さないのは可哀想なので……
どうやらヘーメルくんの言動から、あわよくばウチのご飯を所望する作戦があったらしいですな。
テンゼル伯爵も抜け目ないようで。
まあ、魔族たちが名前を知っているらしいので、この貴族は相当な遣り手か、もしくは有力貴族なんだろう。
ここでお近づきになっておいてもいいかも。
などと考えつつ、ヘーメルくんにもご飯とステーキを出してやりました。
先の二人と違って、「美味い! 美味い!」と煩いほどに言いながら食べる風景は、どっかで読んだ古い人気漫画の登場人物のようだと思ったのは言うまでもない。
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