赤い旅人
白い車に乗って、私は山道の中を往く。大まかな構造は変わらなくても、車一つ変わるだけで、私の旅路の色は全然違うものになってしまったような気がする。
積荷は少しの間持つだけの食料に、手持ちのガバメント、彼らが持っていた自動小銃一丁と予備の弾薬。たったそれだけだ。
アクセルを踏み込めば、赤いあの子よりもずっと早く坂を駆け上がることが出来る。ハンドルには遊びがなく、動かせばすぐ車輪に動作が起きる。前のあの子よりもずっと扱いやすい。だというのに、私の心は何処か暗いままだった。
「さて、どうしたものかな……」
物資があると言っても、山ほどあるわけではない。食料の節約は出来るとしても、燃料だけはどうにもならない。
以前であれば、蓄えの量から方向を決めていた。食べ物が欲しいなら森に行き、弾薬や燃料が必要であれば廃墟を漁るといった風に、概ね行き先を決めることが出来たのだが、今はありとあらゆるものが足りていない。どこに言っても、何かが足りなくなる。そうすれば旅の終わりだ。
「仕方ないけど、昔の伝手を頼る他ないかな……」
赤いハイラックスよりも静かに走るこの車に、私はどこか無機質な印象を覚えていた。あの車もこの車も、ただの機械でしかないというのに。
車を走らせ、私が向かったのはかつて私が世話になったことのある村だった。彼らの仲間に加わり、今のような不安定な生活から抜け出そうと考えた。
私が以前にその村を訪れてから、既にかなりの年月が経過していた。そこは以前よりもずっと建物の数が増えており、その周りを囲むように広く畑が作られていた。
見慣れない車が近付いてくると、村の人が私の車を取り囲み、銃を突きつける。私は車のドアを開け、言った。
「久しぶり。元気だった?」
私の姿を見た何人かが銃を下げると、それに合わせるように他の村民も銃を下げた。その中には、かつて私を出迎えてくれた村長の男も居た。車から降り、大事な話があるというと、男は快く自身の家まで通してくれた。
その中で私が村の一員になりたいと言うと、村の長である男は快く了承してくれた。
「いやあ、君が来てくれるとなると、色々助かるよ。僕らが銃を撃つ時は、いつもへっぴり腰になっちゃうからね」
言って、少しの間を置いて、男は神妙な面持ちで、私に質問する。
「でも、いいのかい。旅のことは?」
「ちょっと酷い目にあいましてね。ここらで一度腰を落ち着けるのも手じゃないかと思ったんです」
この言葉に嘘は何一つ含まれていなかった。しかし、男性は納得がいかない様子で言葉を返してくる。
「まあ、君が居ると決めたんだから、それを信じようと思うよ」
その様子に何かコメントをつけるでもなく、私が部屋を出ようとすると、男は一つ質問をした。
「待った。そういえば君……名前、なんて言うんだ」
この問いに、私は困り果ててしまった。何故なら私は今まで、何かしらの名前つきで呼ばれたことが一度もないからだ。そして今までは、その必要もなかった。
「……ううん、どうしようかな」
私の悩む様子を見て、男は言った。
「もし名前がないのなら、僕たちが決めてあげようか」
悪い話ではなかったのだが、その名前に縛り付けられるのを嫌がった私は、こう言った。
「『名無し』でいいよ。面白くない? 名無しって」
私のその言葉に、男は笑み一つ返さなかった。
その日から私は、村の中で同じものを食べる身となり、村のために働くようになった。私は武器全般の取扱とその指導を行うことに決まったので、まず最初に銃の整備を行い、その後に銃の使い方の指導を行った。
彼らは銃こそ持ってはいるが、生存を脅かされた経験がないせいか、イマイチ訓練に身が入らない様子だったので、見込みのありそうな人達を連れて山に行き、獣を相手に射撃を行った。その際に仕留めた獲物を持ち帰り、調理してもらい、皆で食べると、その日から真剣に射撃に取り組むようになった。
そうなってからは、銃弾が勿体無いという話になり、狩りの際は矢で代替するようになる。そこから、物作りが得意な者と相談し、矢以外の様々なものも一緒に作り出そうと言う話になり、私は山に行き、チェーンソーで木を切っては車に載せ、村まで持ってくるという作業をするようになった。
■ □ ■
夕暮れの道。白い車が荒野を往く。荷台に荷物を載せているため、行きの時よりもエンジンの息遣いが苦しくなっているのが分かる。
今日も伐採の作業を無事に終え、村へ戻る途中、ハンドルを握ったままで、私はじっと考え事をし続けていた。
「これで、いいのかな」
自分で言うのもなんだが、私は役に立っているといえるだけの自信があった。この村にある武器の全ては私の管理下にあるし、それらは全て万全な状態を保っている。また、旅をしていた時のように、食べ物や物資に困ることもない。何もかもが充実している。
だというのに私は、物足りなさを感じていた。
あの日々には確かに、不安と死とが私の両隣に居座っていたし、終わりはすぐそこにあった。今はこれらの要素がなくなった代わりに、自分の身体を動かすのに必要な何かを失ってしまったような、そんな気がしてならないのだ。私はこんなに変わったというのに、道を走るごとに暮れていく日と、訪れる夜闇、時間の流れだけは変わらない。
村へ戻った頃には既に日は没し、村は夜の帳の中で静まり返っていた。その中で一人、村長だけが外に出て、夜空の星を見上げている。
私は車を止め、村長に声をかける。
「こんな時間に何をやっているんですか」
「ああ、いや。ちょっと考え事をね」
「考え事ですか。それなら私も、ついさっきまでしてましたよ。車の中で」
「ああ、そうなんだ」
「誰にだって悩みはあるものですよ」
我ながら、よく話すようになったなと思う。これも村に移住し始めてから起こった変化の一つだろう。
「なあ、君から見て、今のこの場所をどう思う」
「この場所? 村のことですか」
村長が頷くのを見て、私は彼に答えを返す。
「いいと思います。誰にも脅かされることなく、皆が皆を支え合える、そんな場所はここぐらいしかないと思います」
「そう。そこなんだよ」
村長は言った。
「僕らにとっての理想はそれだった。それ以上のものはなかった。だから僕も、昔から居るような連中も、皆満足している。してしまっている。でも、さ」
村長は、私を横目でちらと見た。
「君のように新しく来た人や、これから生まれてくる子供たちにとって、この場所はどれだけ尊いものになれるのか。それが僕には分からないんだ。これ以上することもなく、その日その日を暮らしていくだけの生活……きっとそれが続いたら、僕たちは良くても、僕たちに続く人達が納得しないんじゃないかなと、そう思ったんだ」
「何となく、分かる気がします」
「そうか……うん、僕も君なら理解するんじゃないかと思ってた。何せ君は旅人だからね」
「少し前までは、ですけどね」
「いいや。君は多分、今だって心の中で旅人なんだ。だから、時間の止まってしまったこの場所に対する不満も、分かるんじゃないかと思う」
「不満っていうほど、大層なものじゃありませんよ」
私が言うと、村長は笑った。
「今日はもう寝ようか……なあ、名無しの旅人さんよ」
「なんですか?」
「さっきの僕の悩みに対する答えがあったなら、教えてくれよ。きっとそれが分かるのは君だけだから」
そう言って、村長は自身の家へと戻っていった。
■ □ ■
何日かの間、私はずっと考えていた。
私の旅、誰かの旅。この村の人達と、今まで見てきた人達。目の前で死にゆく人も居た。彼らの心のうちに何があり、何が生死を分けたのか。
脳裏に浮かぶのは、私が見てきた人達。
自身の家を求め彷徨う女性。
誰も居ない街で、パンを作り続ける職人。
車のために旅に出た男の人。
生きるために人を襲い、死んだ人達。
何をするでもなく、ただ呆と生きる老人。
見えない敵に銃を向ける、要塞の住人達。
自分のためだけに地図を書き続ける人。
そして……私が殺した人達。
彼らは何故死に、何故生きていけたのか。
生きてきた人達にあったのは……多分、目標だ。行きたい場所がある、仕事がある、大切なものがある、生きていたかった。その種類は何でもいい。くだらないものでもいい。例えそれがくだらなく、無意味なものであったとしても、彼らにとってはそれが生きる理由になった。生きるために生きるのすら、一つの目標になり得た。
今の私たちに目標はあるだろうか。生きること? きっとそれは違う。何故ならもはやこの村の人達にとって、生きるというのは前提となっているからだ。それを脅かされることはまずなく、なるとすれば不幸な事故か病気か、それぐらいになっている。
ここまで考えて、私はようやく気がついた。
この村の人達には、目標がない。道行く先を知らずに居る流浪の民でしかない。そして今の私は、その一員。道なき道をただ走るだけで良かった旅人時代はもはや終わっているのだ。
私は自身の作業を終えてから、村長の家へ行く。彼は椅子に座り、他の村民と話をしている最中だった。
「すいません。村長さん、話があります」
そう言うと、村長を含む全員が私の方を見た。その後に、村長は話を切り上げ、全員に作業に戻るよう伝えた。
「ごめんなさい。話の途中だったのに」
「いいのさ。大した話でもなかったし、それに……君が無理に話そうとしたら、君が嫌われるだろう」
「気遣い、有難う御座います……」
「それで、話ってなんだい?」
村長のその言葉に、私は息を呑んだ。
緊張、していた。盗賊たちと撃ち合う時より、他人に銃を突きつけられた時よりも、私は張り詰めた空気の中に居て、肺の中から破裂してしまいそうだった。
「この村に足りないのは、きっと……目標、だと思います」
すう、と息を吸って、私は言葉を繋げる。
「私達にとって、生きるということはもはや目標になってないんです。何故なら、それが当然になっているから。すると私達は、ただ漠然と生き、往くあてもなくただ彷徨っているだけです。それじゃ今は良くても、いつかまた生きていけなくなります。何故なら、私達が立ち止まっていても、時間は過ぎるからです。食べ物はなくなり、持ち物はすり減り、歳を取り、やがて死ぬ。それは人が人である限り、逃れえないものです。ですから……」
一拍おいて、私は言った。
「私達は旅をするべきです。何処かにある目的地に向かって、進まなきゃならないんです」
それを聞いた村長は、驚くことも、馬鹿にすることもせず、淡々とこう言ってのけた。
「この村は、いつか国になれるかな」
私にとって、彼の言う国というものがどんなものなのか、はっきりと想像は出来なかった。しかしそれでも、私の話したことがしっかりと通じた、ということだけは理解できた。
「しかし。目標か……どう決めるべきだろう」
「皆に聞いて回る、とか」
私が言うと、村長は首を横に振って、言った。
「現状で満足している連中に聞いても意味は無いよ。それならいっそのこと」
村長は私の顔をじっと見据え、言い放った。
「君が出す目標の方が、余程参考になるよ」
私は即座に、その言葉を否定した。
「私みたいな新参がそんなこと言ったら、みんな嫌な顔するに決まってるじゃないですか」
「勿論、馬鹿正直に君が話す必要はどこにもない。ただ、君の意見を聞いて、僕がそれを皆に話すだけさ。それに……」
村長は呆れ顔で、こう言い捨てた。
「さっきまで僕は、仲間たちと同じような話をしてたんだが、みんな満足だとしか言わなかったのさ。マトモに意見を言ったのは君だけだ。だからこそ、君を信頼しているんだ」
「なら……」
そう言いかけたところで、家のドアが開き、村長に声がかかった。
「村長。どっかから来た知らない男がメシ食わせろって言ってきてます!」
それを聞いて、村長は笑った。
「どこぞの旅人が、初めてここに来た時のことを思い出すな。なあ?」
私は目を伏せ、答えを返さなかった。
■ □ ■
その男は、異様な風貌をしていた。フレームだけの丸眼鏡にぼさぼさの茶髪。着ている服はボロ布と区別がつかないような有様だった。
その男は目の前で当たり前のように村の者が出した食事を事もなく平らげ、ギラギラとした目でこちらを見て、大言を吐くのだった。
「メシをどーも! でも、メシ以上の働きはするぜ。俺は天才だからな」
その男の強烈な自負心に、めまいを起こしそうになった。
「具体的に君は、どんな技術を持っているんだい」
村長は普段通りの柔らかな口調で、そう問い質した。
男は答える。
「俺は腕っ節もない。目も良くなければ足も遅い。でも、知識だけなら多分ここの誰にも負けないぜ。別に疑ってくれたっていいよ。俺の言ってることが事実だってのは、じきに分かることだからな」
この言葉を聞いた村長は、呆れたような困ったような、複雑な表情をその顔に浮かべた。
「ちょっと、いいですか」
言って、私は村長の顔を見る。何も言わぬのを見て、それを無言の了承ととった私は、男に質問をする。
「例えば、今この場で地図を作れと言ったら、作れますか」
男は即座に答えた。
「無理だね!」
それを聞いて絶句する村長を尻目に、私は言葉を続けた。
「理由を教えてください」
「まずここには長さを理解するための道具がない……そうだな、村長さん。あんた自分の右手中指を伸ばしてみてくれ」
怪訝な顔をしながら、村長は右手の中指だけを伸ばし、それ以外を折り曲げた。
「その指……付け根から爪の先までの長さ、言えるか?」
「は?」
村長は反射的にそう言ってしまったが、私は内心で理解した。
「分かりません。分かるはずありませんよ。だってこの村には、長さの基準なんて何処にもないんですから」
私が言うと、男は私の方を見て、にやっと笑った。
「ねーちゃんは察しが良いようだな。その通りだ! 長さの基準ってのはとても大切だ。地図に限らず、これがなければ精密な細工が必要な道具を作ることは出来ないね。もし出来たとしても、真似が出来ない。どれぐらいの長さでどう加工すればいいのか、伝える手段が存在しないからだ。これは、息の長い集団にとって致命的な弱点になる」
ここまで言って、村長もようやく気付いたらしく、真剣な表情で男の顔を見るようになった。
「今の世代ならいいが、次の世代はまた一からやり直さなきゃならん。そうでなければ、出来そうな奴に教えておかなきゃならん。でもそしたら、そういうのが苦手な奴しか居なかったらどうする。それを知っている唯一の人間が何らかの事情で死んじまったらどうする」
「……その技術は、失われる他ない」
村長は驚きを隠せずにいた。自身の作り上げた村が、とても危ういバランスで成り立っているという事実に、気付いてしまったからだ。
「で、俺は一体何をすればいいんだ。適当な地図を作るのも出来る。農地を効率的に作り上げることも出来るし、原始的な武器の作り方も分かる。お前らが望むように働いてやる。さあ」
語調強く、男は言った。
「お前らは俺に、何をさせたいんだ?」
「それは……」
村長は、それ以上何も言えなかった。きっと、次々とやるべきことが思いついて、パニックを起こしているのだろう。
「なら」
と、私が口を開くと、男の目がこちらに向く。希望と野望が綯い交ぜになった、眩しい程に光り輝く、その目が。
「長さの基準を作りましょう。あなたの思う、もっとも良い形に村を作り変えましょう。家も、農地も、道具も……そして」
一拍置いて、私は言った。
「地図を、作りましょう」
言うと、男は笑った。
「ははは! ねーちゃんよ。君はなんでそんな地図にこだわるんだい?」
「地図がなければ、私達の行き先も、分からないからです」
その言葉に、村長が頷く。
私がさっき、村長に言おうとした『目標』。それは、地図を作ることだった。もし、この男が居なければ、大変な苦労を伴う作業だっただろう。しかし、今であれば、それは可能だと確信できた。
「よし、任せとけ。全て世はこともなし、さ。地図を作ってやろうじゃないか!」
こうして、私と、私達の旅はまた始まった。
■ □ ■
彼の仕事は早く、尚且つ多岐に渡った。
まず、近くにある廃墟へ私の運転で車を走らせ、物資を収集。ここで得たのは文明の存在した時代に使われていた様々なもの。例えば、定規、錆の少ない刃物、大小新古を問わない汎ゆる布と服、壊れた木製の家具。白い車の荷台が一杯になるぐらいの量を探し集めた。そしてこれら全てが役に立った。
定規は、新たな長さの基準となった。彼が言うには、センチメートル法というのを採用したらしく、これによって物作りがしやすくなった。
錆の少ない刃物は特定の石で研ぐことで蘇り、汎ゆる場面で使われるようになった。
布は、汎ゆるものに加工された。例えば、篩の底面や服の補修に。それよりも小さいものは煮沸消毒された後に包帯の代わりに使われた。
木製の家具は一箇所に集められ、形の分かるものは解体されて構造の研究をし、そうでないものは薪の代わりになった。森の木と違い、既に一度整形されているため加工が楽なのだ。
また、農地についても広さ、間隔が改められ、食料の種類も増やされた。森の中から色々な食用可能な植物を集められ、それぞれ植えられていった。肥料についても、糞便を肥溜めに入れたものだけでなく、植物の種類によって灰等、別種の肥料を追加した。
家は木造から煉瓦造りに建て替えられるようになり、煉瓦を焼くための巨大な竈が作られた。
これらの改革により、村の様子は様変わりした。
それぞれの家に竈がつき、傷が膿んで死ぬ人が少なくなり、安定した食事を以前よりもとれるようになった。そして……。
「よし、これであとは文字を入れて干すだけだ」
男は、粘土板を作り出した。
ボロ布を底面に使った篩で泥の不純物を取り除き、板の形に整えられたそれこそが、かつての人類が地図を含む汎ゆるものを記述し、後に残すための手段に使われた、紙のご先祖様とも言えるものだった。
「さて、何を書こうか」
完成をそばで見ていた私と村長を見、男は質問する。
「これは、後に残すためのものなんですよね」
私の質問に、男は答える。
「うん、その通りだ」
村長は言った。
「なら、今居る村の住民の名前を書こう」
「そりゃいいね。メモリアルに相応しい」
こうして、村長は一つ一つ名前を書いていった。そこには、住んでいる長さの区別なく、全員の名前が記されていく。そして、私の名前も。
「君、流石にここで名無しじゃかっこつかないよ?」
村長が言うので、私はこう答えた。
「なら、こう書いて下さいよ。『Red Traveler』って」
「赤い旅人、ね……分かった」
こうして、村の歴史に、私の名前が刻まれた。
「ふふ、村長も君も。誇らしく思うべきだよ。何故なら俺達は今、歴史の先頭に立って走っているんだからさ」
「それは、どういう意味だい」
村長に質問に、男は笑みを浮かべ、答えた。
「人類は一度死に頻した。それと同時に、記録を残す手段も絶えた。でもそれを、俺達は蘇らせた。この粘土板以前に、兆を越える枚数の紙があった。そしてきっと、この粘土板の後にも、数え切れない程の紙が作り出されるはずだ。だから俺達は、今歴史の先頭に居るのさ」
男の言い方はやけに感傷的で、ロマン主義的だった。その言葉に、村長も私も、心の底から湧き上がる熱に押し上げられるような、その感情に支配されつつあった。
この場で言わなければならないことがあった。
粘土板が生まれ、村が改善され、大きくなろうとしている今だからこそ、私は言える。
「ねえ、村長。それに、あなたにも……言いたいことがあるの」
二人は、無言で私の方を見た。
「私、また旅に出たい」
その言葉を聞いた時、確かに最初、二人は驚いてみせた。しかし、すぐさま私の言葉を理解した。
村長は言った。
「そうだな。いずれ君がそう言い出すことは分かってたさ。僕は君がここに来た時からいつかそう言い出すと思っていたんだ」
男も続く。
「この記念すべき粘土板に、赤い旅人なんて書く時点で未練たらたらだもんな。分かるぜ、きっと君にはその生き方しか出来ないんだろう」
でも、と言い、男は言葉を繋げた。
「地図は、どうする。君は地図を作りたかったんだろう?」
「それもね。実は私、以前にある人から動物の皮で作られた大陸の形だけが書かれた地図を持っているの。だから私は、その地図を埋める旅に出たい。それでいつか、その地図を埋めてここに戻ってきたい。そしたらみんなに、この世界の話をするの」
すると男は、何度も、何度も頷き、答えた。
「そしたら、少しの間だけ待っていてくれ。君に最後のプレゼントをくれてやるよ」
私は、男の言った通り、少しの間村に留まった。その間、私は自分の武器の整備をする。私の手に馴染んだガバメントとナイフを。そして、新しく村長が渡してくれたカラシニコフを。
その間、一人の可愛らしい来客が私の前に現れる。
「ねえ、お姉さん」
それは、私が初めて村に来た時、私が銃の整備をするのを見ていた子供の一人だった。その時は小さかったこの子も、今では十分に大きくなっている。
「どうしたんだい」
私が言うと、女の子は答える。
「お姉さん。出ていく前に、教えて欲しいの。世界に何があって、どんな人が居て、どんな冒険をしてきたか」
私は、静かに笑った。
「いいよ。教えてあげる。まずは、私を育ててくれた人から……」
■ □ ■
男は、廃墟の中から拾ってきたらしい赤いペンキで、あの白い車を赤く染め、私に渡してくれた。
「赤い旅人が真っ白じゃいかんだろう。ペイント・イット・レッドさ。これが俺のサプライズだよ」
男の言葉に、私はほんの少しだけ涙ぐんだ。それ以外にも、村のみんなが沢山の保存食と廃墟で見つけたガソリンや弾薬を渡してくれた。最後に、例の女の子が前に出て
「お姉さんのこと、絶対忘れない。ずっと、ずっと覚えてるから」
と言う。私は一言だけ。
「ありがとう」
と答えた。
そうして私は車に乗り込む。
キーを差し込み、回すと、エンジンが始動する。ギアを切り替え、アクセルを踏み、前に進む。
後ろから声がする。村のみんなの声が。私は車の窓を開け、手を振った。
* * *
それから、赤い旅人がどうなったかは殆ど分からない。ただ、後の世に、ボロボロの赤い車に乗った女性の話が、汎ゆる場所で、民話のように語られたということだけが分かっている。
ある村で、ある老婆は、自身の孫達に向け、こう話をした。
「昔、この村にね。赤い車に乗った、旅人さんが来たんだよ」
~fin~
レッド・トラベラー 文乃綴 @AkitaModame
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます