第10話 キツネに化かされた人々
いっぽう、吉五郎たちキツネにしてみれば、信長が大目に見ようが見まいが、そんなことはかんけいなかった。ひたすら化かしてひどいめにあわせ、信長も町衆も追い払うつもりである。
だから吉五郎はじめ手下のキツネたちは、日夜、小牧の城下町にあらわれては人を化かしていた。
お金のなかに葉っぱがまぎれこんでいたり、仕入れた豆などがすべて砂や灰に変わっていたり、そんなことはしょっちゅうだった。
町中では人が多くて目につくため、あまり手のこんだことはしなかったが、ひとたび町をはなれるや、大がかりな化かしをやった。たとえば助兵衛の場合である。
新町の助兵衛は働き者だった。新しい品物を見つけてきては、いろいろな店におろす仕入れ業をやっていたので方々へ出かけることが多い。朝早く出かけて、帰りが真夜中になることもめずらしくなかった。
いつものように助兵衛は、仕入れを終えて帰りを急いでいた。
「いかんがや。えりゃあ、おそなってまった」
ギンナンや刈りとった稲のにおいが、つんと鼻をつき、町の灯りが、もうすぐそこに見えるところまで来たときのこと。道ばたに店が出ていた。門前にちょうちんがかかっている。茶店か小料理屋のようだ。
「なんだぁ、ここ。今朝はこんなもん、あれせなんだに。いつのまに。あ、さては」
そこは田んぼに面した小道で、店はこんもりした林を背にして建っている。近ごろ、その辺りには、キツネの穴ができたとうわさされていた。
「たわけ、キツネなんかに化かされぇせんわ」
助兵衛は店には目もくれないで、通りすぎようとした。
そのとき、「ちょいと」と声がかかった。
甘いその声に助兵衛の足がぴたりと止まった。同時に助兵衛の目は声がしたほうへすばやく動いた。のれんをかきわけてひょいと出てきた人影が、大きなちょうちんの光に照らし出される。
「ほおおっ」
助兵衛の口からため息がもれた。
ちょうちんのかげからあらわれたのは、すらりとした、ものすごい美人だったのだ。それを見た助兵衛は、とたんにたましいがぬけてしまい、おかみにさそわれるまま、店の中へ吸いこまれるように入っていった。
「へー、そうなの。かんざしを仕入れにねえ。おほほ」
奥の席についた助兵衛に、おかみが何杯めかの酒をついでいる。ほかに客はいなかった。
「見やあすか。これだがや」
助兵衛は上きげんになって包みをひらいた。
酒はうまいし、料理もそこそこ。なにより、おかみが美人だ。面長で目が少しつりあがってはいたが、ここいらでは、とんとお目にかかれないほどの美しさ。にこにことあいそもいい。
「きれいだろぉ。あんたとおんなじだわ」
「まあ、おほほ」
「ほれ、差してみやあ。おーおぉ、よう、にあうがや」
助兵衛は有頂天になっていた。そこへ、おかみが肩をよせて、そっとささやいた。
「ねえ、お風呂わいてるのよ。汗、ながしてらっしゃいよ」
耳元でそんなふうに言われたものだから、もう助兵衛はいっぺんに舞いあがってしまった。
「おう、おう、おう」
鼻から息をはきながら、奥へ案内されていった。
「あーあ、ええ湯だがや」
助兵衛は手ぬぐいを頭に、うっとりと目を閉じた。
「風呂からあがったら、はて、お楽しみ。あんな美人と二人っきりだがや。ふふふ。へへへ」
助兵衛はすっかりいい心持ちでお湯につかっていた。鼻歌まじりに窓から月をながめているうち、つい、うとうと。お湯の心地よい肌ざわりもあって、助兵衛はとろとろと眠りに落ちてしまった。
どのくらい時間がたっただろうか。ほおがなんだか、ぴりぴりする。
「おい、あんた。おい、て」
頭の上からふってきたその声に、助兵衛ははっと目をあけた。老人が鼻をつまんで、こちらをおそるおそる、のぞきこんでいる。
「お、生きとるか。しっかりしやあ。自分で出れるか。ええわ、待っとれ。だれぞ呼んできたるで」
老人は逃げるように、すっ飛んでいった。
助兵衛は目がいたむので、うす目をあけて、ゆっくりとまわりを見てみた。
白々と明けはじめた空の下、すべてが一変していた。
「なんだぁ、ここ。こんな田んぼのはしっこで、わし、なにやっとるんだ。あれ、首だけ出とるなぁ。あ、そうか、わし、風呂に。あれ、あああ、どうなっとんだ」
そのときやっと助兵衛は、がまんできないにおいが、鼻におそいかかっていたことに気づいた。
「わ! なんだぁ。風呂が、風呂が」
そこへ、さっきの老人がさけんでいる声が聞こえてきた。
「おおい、だれか、来たってちょー。よっぱらいが
助兵衛はそれを聞くや、うーんとひと声うめいて気をうしなった。
その後、助兵衛は町の衆たちにやっとこさ、ひきあげられた。その場で水を何杯もかけてもらったが、においはなかなか消えなかった。
小牧の城下町では助兵衛の話があっというまに広がった。
「たわけだわ。あんな田んぼのはじっこに小料理屋だと! ほんなもん、ひっかかるほうがおかしいがや」
「助兵衛もへんだとは思ったらしいわ」
「ほうだて。ほんでも、おかみが、ものすげえ美人だったもんで、用心もなにも吹っ飛んじまったんだと」
「おおかた、しっぽでさわさわと尻でもなでられたんだわ」
「ほんで、なにぃ。かんざし、みんな持ってかれたんかね」
「いや、一本だけだったっちゅうぜ。あとは道ばたに、箱ごとほかったったと」
「なんだぁ。ほんならイタズラでやったんか」
「さすが、吉五郎だわ」
その後、助兵衛は何日たってもにおいが取れず、仕事に出ても、行く先々でいやがられた。これでは商売あがったりだが、そこは仕事熱心な助兵衛のこと。においを逆手にとって、
お百姓にかわって町屋をまわり、糞尿を集めるのだ。集めては百姓家へ肥料として売り歩いた。これが当たって助兵衛は、てんてこまいのいそがしさになった。
ほかにも、キツネに化かされた者はたくさんいた。
紺屋町の新太は、町はずれでお地蔵さんと日がくれるまで、なにごとか熱心に話しこまされていたという。
御園町の奈吉は川べりでカラスとすもうをとった。これは奈吉だけでなく、カラスも化かされていたという話だ。
巾上の喜作はある朝いきなり、絵師になると言いだして旅じたくをはじめた。家の者はキツネがついたのだと言って、近所の衆に力づくで止めてもらおうとした。しかし、いつもはおとなしい喜作がものすごい力で抵抗したので、とうとうふりはらわれてしまった。
「あんなこと、ほんとの喜作なら、よう、せんがね。キツネのせいだわ。キツネがとりついたんだわ。わああ」
喜作は京へ旅立ち、喜作のおっ母さんは泣いた。
しかし、この喜作の話は、ほんとうにキツネがついたのかどうか判断がむつかしいところである。
喜作の話にかぎらず、町衆のなかには、つごうの悪いことはなんでもキツネのせいにする、そんな、けしからん連中もいた。たとえば、悪いなかまと遊んでおそくなると、
「いかんて。キツネに化かされて、山んなか、ぐるぐる歩かされとったがや。命があっただけ、よかったわ」などと言いわけをするのである。
商売がうまくいかないときもキツネのせいにしていたが、逆に、うまくいけばいったで、これまたキツネのおかげと感謝するようになった。吉五郎たちキツネはいつのまにか、小牧の町衆の心をしっかりとつかんでしまった。
町はずれの芝居小屋では『キツネの恩返し』や『キツネの嫁入り』、『キツネ踊り・コンコン』といった、キツネものがさかんにかけられた。
町のあちこちでキツネまんじゅうやコンコン焼き、キツネ団子などが小牧名物として売り出され、どこも行列ができるほど売れに売れた。
近ごろでは毎月、キツネ祭りがおこなわれるようにもなった。キツネのお面をかぶった町衆が練り歩き、御園町あたりでは大道芸人がひしめいた。地方の名産品を露天で売る
城下町のこれらのようすはすべて、伝助をつうじて信長の耳に入っていた。信長は市中でのキツネ人気にますます目をほそめた。
「なかなかどうして、役に立つものじゃ。ふふ、キツネで町がにぎわうとはのう」
吉五郎たちにしてみたら、とんでもない話だった。期待外れどころか逆効果だ。
信長や町衆らを追いだそうと必死になって化かしているのにききめがない。それどころか、町衆はキツネ、キツネと言っては騒ぎ、にぎやかな人の流れは衰える気配さえない。町は日毎にうるさくなってどんどん大きくなっている。
化かしかたが足りないのだろうか。
いずれにせよ、キツネの身としてはほかに方法はない。ひたすら化かすのみだ。吉五郎たちキツネの化かし作戦はつづいた。
いっぽう、ひょんなところで吉五郎たちのとばっちりを受けた者がいる。ほかならぬ、あの京の
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