第3話 いざ犬山へ、出陣
引っ越しの翌朝のことだった。いきなり信長は出陣の命令を出した。
めざすは犬山城である。斎藤龍興の稲葉山城を攻めるには、まず、この犬山城を落とす必要があった。
犬山城主の織田
犬山城は
だが、最近になって、二人の家老はそれぞれ城をすてて犬山へ逃げてしまった。信長の新しい城が、目と鼻の先の小牧山に築かれたからである。こんな近くから攻められたらとてもかなわないというわけだ。小牧山に城を築いた成果が早くも出たことになる。
もう木曽川のこちら側では敵城は犬山城だけになっていた。
出陣の命令とともに、家来たちには、なるべく目立つかっこうをしてくるよう伝えてあった。のぼりや旗はいつにもまして数多く、初夏の風にはためいた。
堂々たる馬上の武将がずらりとならび、赤や黄、明るい緑や青の装束などで、まばゆいばかり。槍や鉄砲をかついだ足軽までが、はでな着物や、かぶりものをしていた。急なことだったので、女房たちの衣装を借りた者が多かった。
信長は、あつらえたばかりのまっ赤な陣羽織を着て、金キラのかぶとをかぶり、白馬にまたがっていた。
「いざ!」
信長の号令のもと、一千あまりの兵は北ではなく南に進路をとった。小牧の城下町を通って、町衆に武者行列を楽しんでもらおうという遊び心である。町はまだどこも戸をあけてはいなかったが、時ならぬ大勢の足音や騒ぐ声に、みなみな往来へ飛びだしてきた。
「なんだあ」
「わ、武者行列だがや」
「どうしやしたんだぁ。こんな朝早うに」
「出陣さっせるんだわ」
「ほんでも方向がちがうて。こっちには敵なんかおらせんがや」
町衆がめずらしげに見ていると、先頭のほうで旗がふられ、それを合図に、ゆっくりと進んでいた隊列がいっせいに駆け始めた。小牧の町の通りを馬や足軽衆が風のように駆け、ときの声が町じゅうにこだました。
「わ」
「おお」
町衆は目をまん丸くした。
戦国時代とはいえ、なかなかほんものの武者駆けを間近に見られるものではない。たまたま出くわしても見物などとんでもない。難を避けるため、一目散にその場を離れて遠巻きにながめるのがせいぜいである。それが、目の前を次々に派手な装束の武将や足軽が通り過ぎてゆく。
「ほおっ」
「えりゃあもんだて」
勇ましい武将の騎馬姿、武具の重々しい響き、色とりどりの衣装。
なかには何をかんちがいしたのか、思わず手を合わせ頭を垂れる者さえいた。
やがて町じゅうで歓声がわき、手をふって騎馬武者らを見送った。
「ええ景気づけになったで、きょうもようにぎわうわ」
町衆は顔を見合わせながら陽気に笑い、まだ早かったが店をあけるしたくにとりかかった。
いっぽう軍勢は、町衆にじっくりと見物させて楽しませた後、北進した。
信長は街道に出るや馬に
犬山城下に近づくと信長は馬の脚をゆるめ、旗やのぼりを高くかかげてゆうゆうと進んだ。それを見て敵方の見張りが大あわてで城主の
「ととと殿、たたたいへんでござりまするう! のの信長の、ぐぐ軍勢がぁ」
「なに! 信長が! きのう越してきたばかりではないか。まだ宴会がつづいておるはずではなかったのか。ええい、とにかくいくさじゃ。合戦のしたくを急げ!」
犬山城は背後に木曽川をひかえ、川岸の丘に立つ美しい城である。いつもなら木曽川の流れる音がしずかに城内を満たし、朝飯の膳が並ぶころである。それが突然の信長軍の出現。城内は上を下へのおおさわぎになった。
信長の作戦は大成功だった。
「わはは。信清がうろたえるのが見えるようじゃ。おい、あれを」
信長は、かねて用意していた爆竹に火をつけさせた。
パンパン! パパンパンパン! パンパンパン!
けたたましい音が城外にひびきわたる。城内は鉄砲をうたれたと勘違いして、とたんに静まりかえった。それを待っていたかのように信長は馬上から、声高らかにさけんだ。
「城内の者ども、戸をあけて、よおく聞けい。
わしは織田信長である。
犬山城主、信清は織田の一族でありながら、あろうことか美濃の斎藤
まして龍興は親殺しの
仇と同盟する者は、わしばかりでなく天がゆるさぬぞ。
すでに斎藤方では民百姓の心が龍興から離れておる。斎藤は天も民も見はなした非道の者じゃ。
信清とて同じこと。道を踏み外した者の運命は滅亡以外にはない。
信清に忠義立ては無用なるぞ。城内の者は、すみやかにわしに降れ」
近くの百姓や通りがかりの商人たちは、遠巻きにしながら目をまん丸くして信長軍を見ていた。いかにも強そうな武者ぶりと、なににもまして派手できらびやかな装束がひときわ目をひいた。
「あれが、いま評判の信長かあ」
「えりゃあ派手で強そうだぎゃ」
「言っとらっせることは、わりとしっかりしとりゃーすな」
「大うつけて言われとらっせるが、そんなふうには見えんがや」
「ほうだて。たわけどころか、りっぱな武者ぶりだわ」
「なんかしらん、見とるだけで、わくわくしてくるがや」
「わし、信長どんの味方したろかな」
敵の城下町に信長は強烈な印象をあたえた。それも敵としての恐ろしさではなく、新しい時代の英雄として。民百姓は時代の移り変わりに敏感である。犬山の領民は、好奇の目を向けながらも、信長に頼もしさを感じていた。
信長はしてやったりと、さっさとひきあげにかかった。
「犬山城下の者に告ぐ。こんど来たときには町を焼く。そのときまでに逃げる者は逃げよ。商売をしたい者は小牧に来い」
言うが早いか、もう馬首を返して駆けはじた。来たときと同じようにやはり早駆けである。犬山城下の町衆らはぽかんと口をあけて見送っていたが、やがてその口からは歓声がもれてきて、それは信長が遠ざかるにつれて大きくなった。
気をよくした帰りの道中、街道から広い草原にさしかかったときだった。一陣の風が吹き、日が照っているのに、さーっと雨がひとしきりふった。
「キツネの嫁入りじゃ」と足軽どもは口々に言って空を見あげた。
雨はいったんあがったが、にわかに黒雲わきおこり、どしゃぶりに降りだした。雨は滝のように行く手をさえぎり、兵馬の進行がゆるんだ。
「通り雨だ。じきにやむ」
馬上の武将のことばどおり、やがて空は明るくなり、さーっと目の前がひらけた。そのとき、隊列でどよめきがおこった。
「お、おーっ」
「こ、これは!」と先頭の一団にいた信長も、おどろきの声をあげた。
行く手に城があった。雨で閉ざされるまではなにもなかったのに。
城は草の生い茂る平原にいきなり現れ、目の前にそびえている。外見はなんだかのっぺりしているが、内部は三層か四層はありそうな高さである。
兵たちは息をのんだ。
「これはみょうな。おい茂平、こんなところに城があるぞ」
「へえ、はあ。ありゃーすな」
案内役をつとめていた岩崎の茂平は、城を見あげたままポカンとしている。
「茂平。そのほう、報告もせんとは、こんな大きなものを見落としておったのか」
「たわけたこと言わんといてちょ、殿さま。わし、この先のほこらに毎日お参りに行っとるで。ここらは、いっつも通っとるがね。こんなお城なんか、あれせんて」
「しかし、こうしてここにあるものはしかたなかろう。見たところ、壊れてはおらんようだ。使えるようなら、わが
信長は馬を進め、垣根をとびこえた。城に垣根というのもへんだったが、だれもあやしむことなく信長につづいた。
城の大扉はすんなりとあいた。
馬をおりた信長は、まっ先に中へようすを見に入った。ふつう、こんなときには危険があるかもしれないので、家来のだれかを先に立たせるものだ。だが信長は、どんなときでも、まず自分の目でたしかめないと気がすまない。
やがて、信長は大扉から顔だけ出して言った。
「なんだ、茂平、おまえのはからいか」
信長にうながされ、茂平はきょとんとしたまま中へ入ってみた。すると、だだっ広い板の間に、なんと、ごちそうのお膳がずらりとならんでいる。茂平の先に立った信長は、ふりかえって言った。
「さっそく戦勝祝いか。気の早いことよ。いらん気をつかうな。こんな城まで、いつのまにやら建ておって」
「いや、わしは」と言う間に、信長はさっさと上の階へ上がっていってしまった。
茂平はごちそうなんぞを用意したおぼえはなく、ましてこんな城など見たこともなかったので、また口をあけてポカンとしてしまった。
「物見もよくできておる。これは使えるぞ。茂平、でかした。あとで、なんなりとほうびを取らすぞ」
信長は板の間におりてきて席についた。武将たちも信長の左右にならんだ。
茂平はなにがなにやらわけがわからず、ただもうひたすら「へへっー」と平伏するばかりだった。
「みなのもの、茂平の心づかいである。ひとっ走りして腹がへったところだ。のどもかわいたであろう。前祝いじゃ。ぞんぶんにいただこう」
「おう」と武将たちをはじめ、足軽たちも大いに食って飲んだ。
台所らしきところから女どもが出て、ごちそうや酒を運びつづけた。だれもがゆかいな気持ちになった。ただひとり、茂平だけは膳に手もつけず、キツネにつままれたようにずっと首をかしげていた。
たしかにここは、きのうまで城どころか、なんにもないただの原っぱだった。こんな城をいつのまに、だれが築いたのだろう。
料理を運ぶ女も見知らぬ女たちだ。女のひとりを呼びとめてみたが、なにを聞いても、ほほほと笑うばかりだった。
茂平はしだいに気を失わんばかりに混乱してきた。頭はまるで働かなかったが、それでも目だけはしっかりとあけていた。その茂平の目に映ったのは、信長はじめ武将たちが早々と横になる姿だった。満腹になって、ある者は酒にも酔い、出陣の緊張から解放されたからであろうが、あまりに無防備なありさまである。
「いかんがや、こんなとこで寝てまって。みんな、どうしやあた」
近くで寝っ転がった武将の肩をゆすった。反応はなく、大きないびきをたてている。
「これはいかん」と通りかかった女に水をもってくるよう言いつけた。
「さ、どうぞ。えんりょなどなさらずに」
入れ替わりに別の女がやって来て、茂平に膳と酒をすすめた。それよりも水を、と言いかけた茂平だが、横にすわった女の美しさにおどろいた。
「わ」
とたんに目をうばわれ、あとは上の空。御膳に手をつけ酒杯を重ね、いつのまにやら茂平も眠りに落ちた。
みなが目を覚ましたのは、日が暮れかかるころだった。信長につづいて武将たちが目をこすりながら、もそもそと体を起こした。
「おおう、よう寝た」
見わたすと、そこは依然として城の広間で、いつのまにか灯りがともされていた。その灯りで広間のまんなかに人影がうかびあがった。だれかが、ひっそりとひかえている。
「うん? だれだ、そこにおるのは。おう、紹巴ではないか。そのほう、いつのまに。京へ帰ったのではなかったのか」
「信長様の犬山での上首尾、駆けつけずにおられましょうか。一句、差し上げとうございます」
「おお、ちょうどよい。みなで、連歌とまいろうではないか」
「では、さっそくに。
こんこんと 泉わきけり 夏草の原」
「わしが付けよう。
こん吉さわぐ 月夜の晩に」
「五郎左衛門まいる。
沼の面は 今昔うつす ありのまま」
「藤吉郎(豊臣秀吉)まいる。
こんちくしょうめ どもならんわい」
「権六(柴田勝家)まいる。
今生の 誓いもあらた 小牧原」
「又左衛門(前田利家)まいる。
婚礼の夜に 満月や出る」
どんどんと歌がすすんで一座がひと息ついたとき、紹巴は信長に言上した。
「このたびの景気づけに、小牧の町なかへくり出そうではありませんか」
「おう、それがよい。引っ越し祝いもかねて町衆とさわごうぞ」
「ついてはわたくし、みなさまに急ぎ、あつらえてまいったものがございます」
「ほお」と信長が身をのりだすと、女たちが手に手に着物をささげて入ってきた。
「踊って練り歩くのにちょうどよいと思いまして」
武将たちの前にもおかれたその着物は、ちょっと短めで、うすい生地でこしらえてあった。色がまた鮮やか。なるほどこれを着て踊れば、いっそう華やかだろう。
「足軽のみなさんにも、用意させてもらいました」
信長はさっさと武具をはずし、着物もぜんぶぬいで着がえた。
「うん。これは軽くてよいぞ。まるでなにも着ていないかのようじゃ」
それを見て、家来衆たちもおもしろがって着がえた。
「よし。このまま踊りながら城下へ行って、町衆と踊るといたそうぞ!」
「おう!」 「わお!」 「ええい!」 「へ?」 「がはは」
浮かれるみなの背後で一人、遅れて目覚めた者がいた。茂平である。茂平はそのまま、うす暗がりに小さくなってひかえていたが、やがて、あ、と息をのんだ。目の前で武将や足軽たちがすっぽんぽんの丸はだかになるや、踊りながら出ていったのだ。頭が混乱するばかりの茂平は、ただ震えながら武将たちを見送るしかなかった。
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