第2話 小牧山城にて

 城は山の頂上にまもなく完成しようとしていた。

 城だけでなく武将たちの住まいも、東のふもとから北のすそ野に、原生林を切り開いて造られつつあった。武将のやかたや屋敷は、南の登山口から頂上へ至る大手道の左右や、山の中腹あたりにも築かれた。切られた木々はそのまま城や住まいの建材として用いられた。

 平らにならすために削りとった土砂は、山の北の沼地にすてられた。沼地の水は山の東を流れる小さな川へ逃れた。沼地はどんどん土砂におおわれて突き固められ、やがて、いくさでもできそうな広場になった。

 山の南の広大な原野には町がつくられようとしていた。信長の家来衆が人夫をおおぜい引きつれてきて、あっというまに草木を払って原野を丸はだかにした。まっさらの土地が整然と区切られ、道は固められ、仕切りの役をする堀や土手が築かれていく。

 建材となる木材がどんどん運ばれてきた。北西の八曽はっそうの森で切り出され、山の西を流れる巾下川から荷揚げされたものだ。木材は、各地から集められた大工の手に渡されるや、柱となり梁となった。床が張られ、壁が築かれ、屋根が板でかれ、見る間に家が一軒、また一軒と造られていった。

 そこに住むことになる町衆たちもぞくぞくとやって来た。そのほとんどは信長の旧居城である清洲から来た者たちである。新しい城下は信長のはからいで、うるさいしきたりもなく、税も少ない。なにより信長の町らしく伸び伸びとした空気が気持ちよかった。だからみな、我先にとやって来た。

「なんだぁ、ここが小真木こまききゃあも」

「ほうだがや、ここが駒来こまきだがや」

「ちがうて、駒木こまきだて」

帆巻ほまきでも小牧でもなんでもええがや。信長どんがあそこの城におらっせりゃ、それでええわ」

 町衆らが見あげた目の先に、こんもりとした緑の山があった。

「あれが帆巻山ほまきやまだがや」

「おきゃあせ、飛車山ひしゃやまだわ」

「たわけたこと言うな。あれは曳馬山ひくまやまだわ」

「また言っとるんかね。駒来山こまきやまだろう」

「なに言っとりゃーす。小巻山こまきやまだて」

「おみゃあらな、小牧山だと言っとるだろ。よう聞かないかんて」

 呼び名さえあやふやな地の、やはり名前をいくつも持つその小山のてっぺんに、堂々とした城が完成を間近にしていた。小さいながらも、野面積のづらづみの石垣を備えた立派な城だった。

「五郎左衛門(丹羽にわ長秀ながひで)、みごとじゃ。ようやった」

 信長は完成を前に鷹狩りの途中で立ち寄り、町や城の造営責任者である長秀をほめた。信長は家来衆とともに城まわりや家来衆のやかた、それに、新しい町をひととおり見てまわった。町のできばえには、とくに満足げな笑みを浮かべた。

 ほどなく城は完成し、信長は小牧山城に引っ越してきた。

 すでに小牧の城下町もおおかた整えられ、町としての活気を見せていた。

「なにい、ここが信長どんが作りゃあた町かね」

「なんだぁ、ここの道は。みんなまっすぐだがや」

「これならわかりやすてええわ」

「ほうだて。迷わんし、歩きやすいわ」

 小牧の町は短冊たんざく形に区切ってそこに商家をならべたので、当然、道巾も一定、碁盤の目のように整然としていた。当時のよその城下町は、寺の門前を中心に自然発生するのがふつうで、路地が入り組んで道巾もせまく、わかりにくかったのだ。

「お、ここは鍛冶屋がずらっとならんどるなあ」

「ここらは染め物屋かぁ」

「瀬戸物はあっちの通りらしいわ」

 小牧の町なかを近在の村々から農民や人足衆が、もの珍しげにきょろきょろと通りをめぐり歩いた。立ち寄ったついでに日用品や装飾品などを買っていったりした。見物客のなかには足軽たちや武士の姿も見られた。

「なんだかわからんもんまで、ぎょうさん並んどるな」

 米や味噌、油、農具、瀬戸物などから、着物やかんざし、鏡、色とりどりの紙、酒や菓子など当時の日常を彩っていたものが、店先に所狭しとならび、道行く人々の目を引いた。

 小牧山城の天守にのぼった信長は、そんな町のにぎわいを、目をほそめてながめた。

 天守からは四方がのぞめる。小牧の城下町はもちろん、西や東の街道のようす、人の往来、川の荷揚げ、あるいは不意にあらわれる敵方の軍勢もひと目でわかる。

 小牧城下町を背にして反対の窓に立てば、はるかに木曽川がのぞめる。

 木曽川をへだてた向こう岸の井口には信長が打ちたおすべき敵の城があった。

 敵の名は斎藤龍興たつおき。その城は稲葉山城といった。

 斎藤龍興は美濃を領国とし、信長にとっては義父である斎藤道三の仇である。仇とはいっても直接の仇ではない。道三を実際に死に追いやったのは、道三の子の義龍よしたつである。しかし、その義龍は病気でとっくに亡くなっていた。

 この義龍の子が龍興である。父の義龍を継いだ龍興は仇の地位も継いだのだ。それが証拠に織田への敵対をやめなかった。斎藤を滅ぼさぬかぎり尾張の安泰はない。なにより、京にのぼるためにも除かねばならない敵であった。

 信長は稲葉山のさらにその先の空をじっと見た。

「京はあのあたりか」

 稲葉山城さえ攻略すれば、京都への道はひらける。京への上洛は天下を収める第一歩だ。公家方から京に上るよう密書もとどいている。信長はさらに目を細めた。そのとき、背後で不意に声がした。

「信長さま、こたびの小牧山城の完成、心よりお祝い申しあげまする」

 はっとしてふりかえると、へやのまんなかに紹巴じょうはがひかえていた。

 里村紹巴、有名な連歌師れんがしである。

 紹巴はいつも、なんの前ぶれもなく、いきなり目の前にすがたをあらわした。そんなあらわれかたが、即断即行を好む信長は気に入っていた。

「紹巴か。ようまいったな。ここはよいところだぞ」

「遠くからでも、この城が見えましてございます」

「うむ、そうか。清洲とちがって、ここの山なら五里四方からでもよく見えるであろう。石垣と白壁が日の光によう映えるはずじゃ」

「旅人どもが、あれぞ、今川をやぶった織田どののお城と、うわさいたしておりました」

「そうであろう。いまにぞくぞくと、この小牧めざして諸国から人が集まってくるわ」

 それもそのはず、信長は通行税を廃し、だれでも自由に小牧へ通じる街道を通れるようにした。舟番所も設けなかったから、巾下川の水運もさかんに利用されることだろう。

「人が集まれば、おのずと物も集まり、町が栄えるぞ」

「ほう、町づくりにございますか」

「そうよ。この地へまいったのは美濃攻略のためばかりではない。こちらへ参れ」

 紹巴は信長とともに南へまわり、手すりに手をかけて城下町を見おろした。

「おおっー、これは」と紹巴は思わず声にだしておどろいた。縦横に走るまっすぐな道の両側に、間口のせまい細長い家々がきれいにびっしりとならんでいた。

「どうじゃ、みごとであろう」

「わたくし、このようにととのった町は見たことがございませぬ。まっこと美しゅうございます」

「わはは、あたりまえじゃ。これはわしが考えて造った初めての町じゃからな」

 間口が切りつめてあるので、より多くの家や店が通りにならび、それぞれの家屋は奥行きがあるため広さに不自由することもなかった。

「それに、あのにぎわい。これほど活気あふれる町もわたくし、はじめてにござりまする」

 紹巴の言うように、見おろす町の通りはどこも人馬や荷車で埋めつくされ、どなったり、さわいだりでやかましいほどだった。町衆にとってもこのような町ははじめてである。新しい町で新しい店をかまえ、心はしぜんとうきうきしてくる。加えて信長の町には古いしきたりもなく、うるさいことを言う者もなかった。おおらかで自由、町も心も風通しがよく、新しい時代の息吹が感じられる。これまでにない活気が町にあふれるのも当然のことだった。

「人や物の出入りは、見ているだけでもおもしろいものよ。そうだ、紹巴。そのほう、茶碗を買っていけ。瀬戸や美濃のよいものがあるぞ。あとで、わしと見にまいろう」

 信長は目をほそめて笑った。紹巴はいかにも恐れ入ったようすで、ははーっとかしこまる。

 紹巴ら連歌師は有力武将に気に入られるのも仕事のひとつである。だからこそ紹巴は、尾張で名をはせた信長が清洲から小牧に城を移したと聞き、京都からはるばる尾張平野の小さな山に駆けつけたのだ。お祝いのしるしにと扇を持参していた。

「殿、まずは、これを」

 扇は二本で、どちらも京で高名な狩野派の美しい絵があしらってあった。時代を代表する絵師にわざわざ描かせたものだ。

「おお、これは。扇とは末広がりで縁起のよいことよ。絵がまた美しいのう」

 その二本の扇を手にし、信長は気分よく舞いはじめた。それを見た紹巴の口からぽろり、発句ほっくが出た。

『舞給う 千代万代の 扇にて』

 それを耳にした信長、舞いながら脇を付けた。

『二本手に入 けふの悦ひ《よろこび 》』

 すかさず紹巴、口走って第三句。

『朝戸あけ ふもとは柳 桜かな』

 これで、ふたつの短歌ができた。すなわち、

『舞給う 千代万代の 扇にて

 二本手に入 けふの悦ひ』

 これと下の句が同じ短歌がもうひとつ。

『朝戸あけ ふもとは柳 桜かな

 二本手に入 けふの悦ひ』

 居ならぶ家来衆からはヤンヤの喝采。なかの一人が紹巴の句につなげて長句をつくった。いわく、

『切り倒してのち わしらのすみか』

 これで、また一つ、短歌ができた。すなわち、

『朝戸あけ ふもとは柳 桜かな

 切り倒してのち わしらのすみか』

 みなワハハと笑って立ちあがった。

『連歌』とはこのように、五・七・五の長句と七・七の短句を、行ったり来たりしながら次々に作って楽しむものである。

 たとえば、だれかが、

『小牧山 尾張平野の ど真ん中』と発句を作ったとすると、次の者が、

『見わたす限り 春がすみの野』と脇を付ける。

 これで、

『小牧山 尾張平野の ど真ん中

 見わたす限り 春がすみの野』という短歌ができた。

 そこへすかさずほかの者が、この脇の第二句『見わたす限り 春がすみの野』を下の句とする長句を作るのである。たとえば、

『さくら花 散るを惜しまず 風に舞う』

 これを第三句とすると、後ろに第二句をくっつけて、

『さくら花 散るを惜しまず 風に舞う

 見わたす限り 春がすみの野』という短歌ができあがるのだ。

 こういう仕組みで、次の四句めはふつうの順序で、第三句を受ける七七の短句ということになる。たとえば、

『夢まぼろしと 知るぞ悲しき』

 これを第四句とすると、第三句と合わせて、

『さくら花 散るを惜しまず 風に舞う

 夢まぼろしと 知るぞ悲しき』という短歌ができる。

 このように行ったり来たりしながら句を継いでいくのである。上が下になったり、下が上になったりするのでちょっとややこしい。

 で、最後の句を挙句あげくといった。句の総数により、五十韻、百韻、さらには千句、万句などの形式があった。

 それはともかく、武将たちは笑いながら立ち上がり、信長の舞いに加わった。

 このころは百姓衆や町衆、それに武家衆のあいだでも、能や舞いが大いに流行し、ひとたびはじまれば、だれもが踊りたくて体がうずうずしてくるのだ。

「おう、ゆかいだ。なにをぼんやりしておる、紹巴」

「では、わたくしも」と立った紹巴は、ふと、山の北のふもとのほうに目をやった。なにかがきらりと光ったのだ。

 手すりに近づいて目をこらすと、埋め立てられた広場の向こうの草原に、ぴょんとはねるものが見えた。ふさふさしたものがいくつも、ぴょんぴょんと金色に光っていた。

 しっぽだ。太く大きなそのしっぽは、キツネのしっぽにちがいなかった。

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