第7話 キツネ狩り
城下のうわさは、やがて城中にも伝わった。
「なに、はだか踊りはキツネのしわざであったとな。わはははは」
信長は吉五郎のことを聞くと、他人ごとのように笑った。
「殿、笑いごとではすみませぬぞ。武具は幸い、伝助のはたらきで水からひきあげたのが早かったゆえ、鉄砲もかろうじて使えますが、馬は」
「馬が見つからんのか」
「あとかたもなく、消えてございます」
「そうか。うーむ、備えの馬では足りぬかもしれん。すぐに近在の衆に申しつけ、とりあえず、どのような馬でもかまわんから手に入れさせよ」
「ははっ」
「しかし、あの
「いまにして思えば、われらもコンコン言わされておったようですな」
「『こん吉』だの『今昔』、『こんちくしょう』とか『今生』でござるな」
「さては、あの城もキツネのしわざか」
「あの城が幻だったとはとても思えませんな。紹巴にしても姿形はもとより立ち居振る舞い、口の利きようまで、とてもにせ者とは思えませなんだ」
「あれほどの化けっぷり。また、だれぞに化けて、城にひそんでおるやもしれん」
「こんど出ましたら、キツネ汁にしてやりましょう」
「出るのを待つより、こっちから出向いてやろうぞ。うむ、キツネ狩りじゃ」
その日はちょうど鷹狩りに出る日で、馬や猟犬の手配はすでに整っていた。
信長は二宮山にキツネがひそんでいそうだと聞くや、家来衆数人と馬を飛ばした。
二宮山は小牧山から見て北東にあり、清洲から引っ越すとき、小牧山とともに新しい城の候補地になった山だ。信長も何度か登ったことがある。
「あの山ならば馬などいくらでもかくせるであろう。吉五郎とか申すキツネも、馬とともにひそんでおるにちがいない。よし、こよいはキツネ汁じゃ」
「殿、タヌキ汁はあっても、キツネ汁など聞いたこともございませんぞ」
「なければ作ればよかろう。キツネはまずいのか」
「古来、キツネを食したという話はあまり聞きませんな」
「では、われらが初に食して吟味しようではないか」
道々そんな話を交わしていると、家来の
「殿、あれを!」
三左衛門が指さすほうを見ると、大きなしっぽが草の上にひるがえって、キラリと光った。はっとしてあたりを見まわすと、あの、まぼろしの城が出現した草原のはずれである。
「殿、あそこにも」
しっぽは次々と草の間から光ってぴょんぴょんと出た。まるで、さそっているようだ。犬がけたたましくほえる。信長は馬を走らせ、馬上から弓をかまえて矢をつがえた。
ひょーと射た矢は、まっすぐ草むらのなかへ一直線。
たしかな手ごたえがあった。しかし、獲物のさけび声はなかった。射たはずの獲物めがけて犬が走る。
「うん、なんだ、これは」
犬が矢をくわえてきた。いや、くわえているのは矢ではなかった。
「桃ではないか」
みずみずしく色づいた大きな桃に、矢がみごとに突き刺さっている。犬はその桃をくわえてもどってきたのだ。桃の実のふくよかな香りがあたりをみたす。
「なぜ、桃に矢が当たっておるのだ」
「殿が矢を放たれたからにございましょう」
「三左衛門、きさま、わしをからこうておるのか」
「めっそうもない。わたくしは、ありのままを申しあげておるだけにござります」
「では、大きなしっぽがなぜ桃になったのか。そもそもこんなところにどうして桃がころがっておったのだ」
「思いまするに、キツネが化けたのではないかと」
「なにい、キツネがこの桃に化けたと申すか」
「さよう」
「たわけたことを申すな。この桃にしっぽがあるか」
「ございません。みごとな化けようにございまする」
「まだ言うか。よう見てみい」
「殿、へんですぞ。ここいらには桃がゴロゴロしておりまする」
ほかの者たちも草むらに入り、馬をおりてそこらをあらためたが、キツネらしきものの影さえなかった。かわりに大きな桃がいくつもころがっていた。
「やはり、ここにひそんでおったキツネどもが、あわてて桃に化けたのではござるまいか」
「ばかなことを申すな。桃を手に取ってみよ。しっぽでもあるか」
「いやいや、殿。このキツネ、化けることにかけてはひとかたならぬ腕前でござる。めったなことでは正体をあらわしませんぞ」
「では、どうすれば見やぶれるのだ」
「このまま持ちかえって、なべで煮ればようございます。あまりの熱さに正体をあらわし、そのときはもうキツネ汁になっておるのでございます」
「ふん、ばかばかしい。こうすればよいわ」
信長はそう言うや、がぶりと桃に食いついた。
「わ」と家来たちは息をのんだ。
「おう、甘い桃だ。みなも食うてみよ」
家来たちの心配をよそに、信長はなにごともなく口をもぐもぐさせている。その口からしっぽが出てくる気配はない。
「なにをいたしておる。早う食うてみよ」
信長はまたたく間にまるまる一個ぺろりと平らげてしまったが、おかしなようすは見られない。どうやらほんものの桃らしい。
「どうした。まだキツネが化けたと申すか」
ほんものの桃らしいとはいえ、先日のはだか踊りのことがみなの頭をよぎった。しかし桃を食べた信長が、はだかになりそうな気配はない。
「そのほうらが食わぬのなら、わしがみな食うてしまうぞ」
信長は手近な桃をひろいあげてまた食らいついた。そのようすを見て、家来衆はこれならだいじょうぶと安心した。ちょうどのどがかわいていたこともあって、みながいっせいに桃にかぶりついた。
「おお、甘い! ほんとに甘うございますな。こりゃ、しっぽなど出そうにありませんわい。ほんものの桃でござるわ。わはは」
あまりのうまさにだれもが次から次へ、手当たり次第にむしゃむしゃ。
「うまい。うまい」
しかし、桃がこんなところに落ちているのはやっぱりおかしい。しかも食べきれないほどごろごろしている。
はてなと家来衆が首をひねり始めたころ、信長が号令を発した。
「みなの者、桃を集めて町へくりだそうぞ。町衆にもこの桃をふるまってしんぜよう」
急ぎ、しょいかごが用意された。
家来衆がいっぱいの桃のかごをかつぎ、いざ小牧の町へくりだそうとしたときだった。西のほうから、なにやら派手なかぶりものをした男がやってきた。
男の背後からひょおおおと風が草原をわたり、男のかぶりものをふわりと浮かせた。その顔を見て信長の顔がほころんだ。
「おう、
たしかにそれは紹巴だった。
「信長さま。城下へおいでですか。ちょうどようございました。派手好みの信長さまのこと、これ以上のみやげはござらんと思い、これを急ぎ持参いたしたところでござります」
そう言いながら紹巴は、供の者らに荷をおろさせた。あけてみると夏物の
「京の都で、近ごろ流行り《はやり》の衣にござります」
また、へんな衣が出てきた。怪しい。
だいいち、なぜ紹巴がこんなところに現れたのか。だれかがおかしいと気づきそうなものである。だが、信長も家来衆もひとりとして首をかしげる者はいなかった。
「おう、なかなか手ざわりもよいわ。みなでこれを着て、城下へくりだそうぞ」
信長は率先して狩り衣をぬいで着がえた。
「うん。軽くてよいぞ」
それを見て三左衛門らも、おもしろがって着がえた。
「よし。このまま城下へ行って桃をくばり、みなで踊るとしよう」
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