最終話

 ボクで育った虫たちが、やがて羽を生やすようになりました。

 わずかに残ったボクの残骸に、彼らはなおもたむろしていました。嬉々として暗闇の中を飛び回っています。

 ここは蠅の王国。

 ボクはそのお城です。

 セミの声はおびただしい羽音にかき消されて聞こえません。その羽音も、鼓膜を食い破られたことでもはや何の音か判然とせず、風を切る音が何かの叫び声の重なりのよう。あるいは、もう音を音と拾えなくなってしまったのかもしれません。


 王国は繁栄を極めました。しかしそれもささやかな歴史です。諸行無常、盛者必衰。国家興亡の縮図をそこに見ます。

 ボクを食べ尽くした後は、もう虫たちの栄養となるものはこの暗闇にありません。体の大きくなった彼らは、蛆の時のようにどこかしらのわずかな隙間から外へ出ることも叶いません。

 食べ物もなく、暑さだけに満ちた王国で、彼らは一匹、また一匹と地に落ち、動かなくなっていきます。


 いつしか羽音は止みましたが、相変わらずセミの声も聞こえないままでした。これは心細い。いつだってボクを外界と繋ぎとめてくれたのは、あの夏を証明する叫び声たちだったというのに。


だったというのに。


 つまり夏は終わったということではないでしょうか。


 そういわれてみれば、暑さがこの暗闇から引いていったようにも思えます。いつから、そんな風に感じられるようになったのでしょうか。わかりません。もう体がないので、暑さ寒さを感じられる五感も働きません。


 体がありません。


 体がないというのは、そもそも音が聞こえないことになるのではないでしょうか。だったら聞こえていないだけで、外はまだ夏真っ盛りかもしれません。

 でも体がなければ当然頭もないわけで、こうしてものを考えたりなんてことも、できるはずがないのです。


 そもそも、生きていられるはずがありません。


 死んでしまうのです。


 まるで死んでしまったようじゃありませんか。


 でもボクは体がないわけで。

 つまり生きていられるはずがないのです。

 ボクは死んでしまうのです。


 ボクはまるで死んでしまったようじゃありませんか。


 ボクは死んだんですか?

 ボクが死んだんですか?


 あるわけないじゃないですかそんなこと!

 ボクがこんなに苦しんでいるのに!

 それだって生きているからこそ苦しいんです。

 でも今、ボクは苦しんでいますか?

 あるわけないじゃないですかそんなこと!

 ボクには苦しむ体がないんですよ?

 じゃあボクは死んでしまったことになるじゃないですか!

 あるわけないじゃないですかそんなこと!

 ボクが死ぬはずないんですよ!?

 人はそう簡単に死ぬものじゃないんですよ!?

 死んでいいものじゃないんですよ!?

 あれだけ言ったでしょう!?

 こんなことがあっていいはずがない!

 死んでいるならどうしてボクはここにいるんです?

 ボクは死んでしまったんですよ!?

 どうして?

 どうして!

 ふざけるな!

 ボクは死んでない!


 どれだけの時間が経ったのでしょう。


 どれだけボクはここにいる?

 夏が終わるまでここにいた?

 それまで生きていられるなんて、できると思う?

 でもボクは生きているわけですから、できたということになるのでしょう。

 夏は終わったんです。

 暑い夏は終わりです。

 喉が渇くこともないはずです。

 なのにどうして、ボクは苦しんでいるんです?

 夏は終わったんです!

 もう苦しむ必要はないじゃありませんか!

 夏は終わったんですよ!?


 じゃあ、どうして。

 では、なんだって。

 このボクは、このボクが、こんなことになっているんです?

 記憶をたどってみることにしましょう。


 ………………。

 遠くでセミの鳴き声が聞こえます。ミンミン、ジワジワ、ツクツク、ジージー……。


 はたと気づけば、ボクは暗闇の中にいます。

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