第8話
気が付くと、セミの声が戻ってきました。まだまだ暑い夏が続きそうです。
あれから、もう雨の降ることはありません。気温はすっかり元通り。車内はまたも蒸し地獄です。
どれだけの時間が経ったのでしょう。
いつから、こうして身を横たえているのかわかりません。あまりに長く同じ姿勢でいすぎて、地面に接している部分が床ずれを起こしていないか心配になります。
そういえば、ボクは今どんな姿勢でいるのでしょう。暗いから何も見えません。見えなくたって自分の体の格好ぐらいわかりそうなものですが、右も左も上も下もあやふやです。どっちを向いて寝たのかも、忘れてしまいました。
まあ、覚えていようがいまいが、それほど重要なことではないのでいいでしょう。
むしろ、重要なことって何です?
今、こうしてボクがここにいること。
ここにいざるをえないこと。
それが重要であり、問題であり、確かなことなのです。
これだけは、揺るぎないこと。
これは。
きっと、これは。
ぞわぞわ。
久しぶりに聴覚以外の感覚器官に、訴えかけてくるものがありました。どこだか、よくわかりませんけど、きっとこれは悪寒と呼べるものでしょう。
ぞわぞわぞわぞわ。
どこからか、どこもかしこも、何かが這い回ります。ボクを這い回っています。ボクの体を舐め尽くします。ボクの触覚を凌辱します。
ぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわ。
まるで虫にたかられたようです。
これは。
きっと、これは。
虫です!
ぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわ。
虫がボクの体を覆い尽くしています!
ぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわぞわ。
服の中に! 髪の毛の間に! 喉の奥に! 鼻の穴にも! 耳の穴にさえ! 体中のいたるところに無数の凌辱が溢れているのです!
耳の中を虫が落ちていきます。耳垢をまとって、蠢いています。そんなことしたらセミの声が聞こえなくなるじゃないですか。ボクと外界をつなぐ唯一の器官だというのに。
口の中に落ちた虫は、喉をたどって胃を目指します。水分が抜けきっているので、からからでさぞ進みづらいことでしょう。それでも胃液までたどり着けば、ボクの血となり肉となります。
パンツにまで潜り込んだ虫が、さらに中へ中へと進みます。ボクの大事なところにまで、入ってきます。
気持ち悪い!
気持ち悪い!
気持ち悪い!
入り込んだ虫たちが、やがてボクの体をほどいていきます。肉の繊維をこじ開け、引きちぎり、二度と元に戻らない形にまで、刻んでいきます。
虫たちはちぎったボクを食べているようです。ボクが彼らの血となり、肉となります。ボクは消化され、彼らをそれぞれ構成する要素となって、二度と集まることはありません。
ボクは食べられています!
分解されていきます!
何をしているんです!?
そんなことをしたって一文の得にもならないんですよ!?
ボクの抗議もよそに、分解は無情にも進められていきます。
このままだと、ボクが消えてしまうじゃないですか。
揺るぎないはずの問題が、土に還ってしまいます。
ボクがここにいるという確かなことが。
ボクがいなくなる。
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