第7話

 気が付くと、ボクはまた身を横たえていました。


 諦めたわけではありません。できることならなおも叫び、ドアにぶつかりたい気持ちで山々です。

 でも、もうできません。体が動かないのです。首をもたげる力すら入らない有り様でした。


 それから、あれだけ止まらなかった汗が、一滴も出なくなりました。涼しくなったから? いいえ、相変わらずの暑さです。これはとうとう、汗として出る水分がボクの体から枯渇してしまったということでしょう。


 頭は、どうでしょう。よくわかりません。痛んでいる気もしますし、何も感じないようにも思えます。痛覚が麻痺してしまったのかもしれません。

 嫌でも動けなくなったことで落ち着いたのでしょうか。ここから逃れたい衝動は抱きつつも、先までのようなひたすらの焦燥と絶望の波は引いていったようです。

 代わりに周りをぼんやりとした、けれども果てしない危機感と諦観に取り巻かれていました。

 もちろん、ここから一刻も早く抜け出したいのです。この暑さと渇きから脱したいのです。しかしいくら騒いだところで、もがいたところで、結局自力でそれを叶えることはできないというのを、とうとう悟ってしまったのでした。

 なら現状にある程度の諦めと、緊張感の欠落を抱くのもやむなしというものです。

 あるいは、無気力状態というところでしょうか。


 そういうわけなので、結局ボクにできるのはやはり外からの助けか、最悪センパイが戻ってくるのを待つしかないということに落ち着くわけです。

 決めました、こうなったら待てるだけ待ってみようじゃありませんか。人間がどれだけ孤独と暗闇と暑さと渇きと恐怖と焦燥と絶望と頭痛に耐えられることでしょう。耐えなきゃいけないもの多いですね。

 まあ我慢するということに関しては、これまでの人生でそれなりに経験してきたつもりです。受験しかり、部活動しかり。学校生活も楽しいことばかりじゃありません。子どもだって何かと我慢して生きています。それこそ終業式、直立不動で校長先生の話を聞いていた時だって。

 だから今さらこれぐらい、何のことはないのです。


 そう考えることにします。

 そういうことにさせてください。


 して我慢というのは、ただじっと身を動かさず、声も上げず、そのままでい続けること。

 元より身も動かせず、声も上げられない有り様なのですから、要するにそのままでいるだけでいいわけです。

 楽と言えば楽かもしれません。

 前にも述べた通り、手持ち無沙汰が苦痛となるのですが、ここまで来るとその遠大に続く空虚と暇を、むしろ楽しんでやろうという気にさえなります。それこそ終業式、直立不動で校長先生の話を聞いていた時だって。


 そう思うことにします。

 そういうことにさせてください。


 と言っても、別に何かすること、できることがあるわけでもないのですが。強いて言うなら、目を閉じたり開いたりするくらいでしょう。

 もっともこの暗闇では、目を開けていようが閉じていようが視界に映るものは何も変わらないのですが。

 というより、何も映りません。

 そもそもボクは今、目を開けているのでしょうか? 閉じているのでしょうか?


 唯一外界の要素を拾える手段は、耳だけ。他にやることもなければ、結局五感はそこに集中され、鋭敏に研ぎ澄まされていくような気がします。

 でも聞こえてくるのは相変わらずセミの鳴き声ばかり。


 ……と、諦めかけていた時、ふとそのセミの声が薄れていくように感じました。音が小さくなるというか、別のものに阻まれ、かき消されていくような。


 もっと耳を澄まします。


 セミでないなら、何の音?


 天井を、何かが叩いています。それもたくさんの何かが、ぽこぽこ、ぽこぽこ、ぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこと、叩いています。

 何かが、降ってきているようです。


 ところで少しだけ、本当に少しだけですが、涼しくなったようです。一方、空気がどこかじっとりとした不快な味を帯び始めているようにも感じました。

 確かに、今までと状況が変わってきています。


 これは。


 きっと、これは。


 雨です!


 今、車の外で、雨が降っているのです!


 あれほど求めていた水が!

 やっと!

 文字通り浴びるように飲むことができます!

 これで!


 体は動きませんけれど。

 車の外になんて出れませんけど。


 でもそこに水があるんです。

 文字通り浴びるように飲むことができます!

 きっと、これは。

 やっと!


 いいことなんてありません。


 今、車の外で、雨が降っているのです!

 これで!


 飲めるわけないじゃないですか。


 わかっています。

 わかっているのに。


 文字通り浴びるように飲むことができます!

 ここから出してください!

 何をしているんです!?

 文字通り浴びるように飲むことができます!

 ボクがこんなに苦しんでいるのに!

 出して!

 出せ!

 水!

 水!

 水!

 出せ!

 出してよ!

 出せって言ってるでしょッ!

 うわあああああああ!

 うわあああああああああああああ!

 うわあああああああああああああああああああああああ!


 そう、思っただけです。

 だってそれしか、できないんですから。

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