メメント・モリ・サマー

 目がいた。

 いってしまった弟とおなじコンテクストを使っているということ。それを覚えているということ。そして今ひとり、薄暗い地下室で光がにじり寄るのを感じているということ。

 弟の体を縛っていた結束バンドからは簡単に逃れることが出来た――あの時はたぶん酒に盛られた薬が効いていたのだろう。いまはもうはっきりと解る。

 あたしたち姉弟に起きたことすべてと、彼のたった一つの希い。

 借り物みたいな感覚を起こし、自分をひらいて、ゆっくりと立ち上がった。

 そのまま歩き出す。闇が薄まっている方へ。


                +


 家は呼吸をとめたみたいに静まっている。

 もう夜で、祖母は居間で首を吊って死んでいた――存在意義が引っこ抜かれて、生きるための足を失っていた。あたしはどす黒く鬱血した躯をやっとこさ降ろして、とりあえず家の外の土蔵に引きずって行った。あまりにも忍びないと思ったからだ。馬鹿げた家族に殉じ、その結果口封じに殺された。

 当然の報いだ。愚かだと言うことも出来る。

 なのに、ひどく重い。あたしは祖母がきらいではなかった。

 連続性がなくてもこれは面取り様あたしがやったこと、そしてこれからはあたしの弟がやること。わけもわからないままあたしはこうして生の体を持って、そして彼がいた現実を生きている。

 たぶんいまあたしの人格が入っているのは、弟の体だ。

 大学すら卒業せずに面取り様に永久就職してしまった彼は、あたしにも、他人にも、そして世界にも――面取り様の力をつかってなのだろう、呪いをかけたみたいだ。”弟の体”に”ねえさんの体”と言うイメージを投影して、まるごと世界を上書きして――。おかげであたしは名実ともにあの愚弟の姉として生きなければならなくなったというわけだ。

 最低の気分だった。あいつは本当にばかだ。


「ねえ、○○」


 あたしは弟の名前を呼んだ。

 ”ねえさん”が死にあいつが現実をえようとして、ついに死ぬまで口にすることは無かった名前。忌み嫌い、ただの”おれ”として生きようとしていた。


 ふいに涙が溢れてきた。

 あたしは知ってしまった。うなじや背中に頬をこすりつけると、どんな暖かさとにおいを返してくれるか。悪戯っぽい笑みをつくると、どんな風に視線が忙しなくなるか。もう、一人では――闇の亡い、陽の当たる道さえも歩けない。

 あいつはなんてことをしてくれたんだろう。これじゃあ死ぬより辛いじゃないか。

 一番最後に遺ったのが妄想から生まれたあたしだなんて皮肉にもならない。

 暑い、流れる涙が蒸発していく。この感覚も慣れない。

 なにか、飲み物がほしい。


 台所で梅ジュースの壜をあけ、ぱちぱち爆ぜる炭酸水と焼酎で割った。

 そのままグラスを持って、赤いサンダル(これはおばあちゃんのモノだったけど、今はもうあたしのだ)を突っ掛けようとしたとき──足の甲に、種みたいに盛り上がった火傷の跡が見えた。

これはあのときの線香花火が貫いた傷だ、と思う。なぜ、この傷だけ残したのかと思って。

そのまま、流れるように、上を見て。


 満天が、ぽっかりとひろがっていた。

 星は夜の紗の上に超然と瞬いていて――その光はあたしのことなんていっこうに気に掛けていないように見える。

 そして反対に、あの闇のなかに今もかれは息を潜めていて――もうめぐり合うことはない。死ぬというのはそういうことだ。

 彼の物語はきっと、”ねえさん”が死んだときに終わったんだ。


 それでも。

 死が二人を別つとしても。

 梅ジュースをなめるようにして一口含んだ。

 炭酸水と酒のミックスされた熱い気泡が舌の上で弾け、彼と何度となく交わした清冽な香気からあたしは最期の言葉を手繰り寄せる。


『だから、出来ることならさ――おれを忘れないで。それでもって、自分から死ぬこともしないで。だって今でもあなたはおれの光なんだからさ』


 あたしはあいつを永遠に喪った。それは覆しようもない事実だ。

 だけど、死を想ったmemento mori先に弟がいるならば――あたしが星となったときに、その光は届くだろうか。


「カンパイ」


 なにに?


 決まっている。

 この夏に。

 あたしの大好きな弟に。


 星は変らず瞬いている。今でもあいつはあたしの光である。

 酒はなかなかの味だった。

 あたしはグラスを庭に放り捨て、

 そしてまた、あいつの跡を確かめるように歩き始めた。










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めんとりさまー カムリ @KOUKING

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