ディア・マイ・シスターズ

 顔のない夏は語り尽くされた。姉さんはかわらず闇の底に佇んでいる。

 おれの幻想は濫費され、周回し、改竄され、永遠の夏休みとしていつまでも続く。

 もうあそこに戻らなくても良い。

『様子を見る』と言った最初から、親族は面取り様をつかって頭のおかしくなったおれを殺めるつもりだったのだろう。そして祖母はそれに協働した。

 妄想の霧が晴れたいまならばよく解る。現実こそがおれにとっての地下室だったのだ。ならば地下室を現実にしたって誰からも文句はいわれやしない――けれど、それでは駄目なのだ。

 姉がおれに手を伸ばす。しろい指先がただ一つの光のように、

 触れようとして、


 おれはその手を振り払った。


 姉さんは驚いた顔をする。

 これは仕方ないことなんだ。

 このままユメに沈んだら、死んでも死にきれない。おれはまだ、何か――たった一つの冴えたやりかたを遺せるはずだ。


「ねえ、面取り様」

「その呼び方やめて欲しいなあ。なに?」

「そこに、”本物のねえさん”はいるの」


 面取り様は首をかしげた。


「ひどいこと言うなよ、バカ弟。誰にだって言いたくないことは――」

「いるんだ。いるんだ、そこに」


 ねえさんと姉さんの違いなんてない。

 本物じゃないのに、同じくらいおれのことを懸命に呼ぶから切なくなる。

 それでも。最後に最期の姉の想いを知らずにはいられなかったのだ。

 面取り様はかわらず首をかしげたままだったが──不意にすこしだけ、口許を歪めて。

「そっか」と呟く。


 くび

 ただ、とるるるると風がとおり貫ける、白色の洞が闇を縁取っていた。

 周縁はねえさんの首の皮だ。そこから怨嗟の声が聞こえてくるのだ。


「」

               「」

                             「」


 わるいユメのようだった。

 生白い、裂けた絹のように垂れ下がった頸を揺らし/頭を慈しむように抱え/時どきを闇に溶かし込みながら/面取り様は言葉を紡ぐ。


「いるよ。だってあたしはニセモノだから――当たり前みたいに真もあるの。でもそれを口にしたらあなたは行ってしまう。あたしの手の届かない所へ、いのちの陽のあたるところへ。でも残念なことにさ、殺してでも引き留めることなんて出来ない。なにしろあたしはお姉ちゃんだからね」

 そう言うわけで、あたしたちの話はこれでおしまい――そんなら、もうとっとと帰りな。


「そんなのお断りだ。おれは”本当の姉さん”の未練を知ることが出来れば現実に用はないんだ、教えてよ。頼むからそんなことしないでくれ」

「それこそいやよ、あたしにだって悔しいことくらいあるんだぜ。死んだって本物になれずに――代用品のまま。そんな思いが引っかかったまま過ごすのは、人格を持った今では耐え難い」

「だから離れやすくするためにこんな振る舞いを? ばからしい。言ったろ、最期の思いを教えてくれるだけでいいんだ――。」

 いいや。

「いや、やっぱりもう充分だ。全部わかった」


 面取り様は真っ暗い瞳で、おれを逆向きに見据えた。


「あんた、まさか」

「まあね。そっちはおれの考えてること全部解っちゃうわけだし」


 真贋はもはやどうでもいい――ねえさんに言わせれば”パスポートを取る前から飛行機事故の心配をする”的な――ことで。そもそもたちの悪い非情な白昼夢じみた世界にはうんざりしていたし、出来ることならば自分の命の使い途くらい自分で掴み取りたかった。


「おれが姉さんの代わりに、面取り様になるよ」

「――」


 風がやみ、闇にはもう慣れる。


「馬鹿じゃないの、あんた」

「ひどいな。これでもそこそこ色々考えて、それでもって結局仕方なくやるんだ。おれは元の夏に戻りたくない。”本当のねえさん” に逢うことはもう出来ないけれど、だからってそっちのことも捨てられるわけないんだ。

 でも、このまま放っておいたらまた”面取り様”はやりたくもないことをやらされる――人格を手に入れても、それでも現象の破片は残ってるんでしょ? じゃなきゃ自分で『ひどいことをした』とも『お婆ちゃんを殺した』とも言わないだろうし。少なくともおれが描いたねえさんはそんな人だ。だから、おれがなりかわる」


 気付いたんだ、とおれは言った。


「ねえさんはこの闇に思い出を投影しておれに夏をくれたけど、それはあくまで”面取り様”としての力の一部に過ぎない。未練を解消するために欲望を投影する――お祖母ちゃんが最初に水素水の詐欺に引っ掛かったのも、ねえさんがやったんだろ? 販売員をつかってお爺ちゃんを再現し、そしてあの人の”意義”を完全に破壊した。おれ(たち)と満足に喋れたのが不思議なくらいだよ、もう抜け殻になっていてもおかしくなかっただろうにさ」


 面取り様はぎょっとしていた。

 贋性を強調するだけの先ほどの頸斬りのパフォーマンスはそっくりおれのアイデアを後押ししてくれる――認識は完全に分断された。

 一つながりにむかれた林檎の皮がくるくると果実に癒合することを想起する。

 ねえさんの首――頸部――頭部――顔――貌。

 

 おれの世界で一番好きな人が、そこに復元されていた。


「うそ。うそ」

「ねえさんはおれのこと舐め過ぎだって。おれの創った皮を被っちゃったのが多分一番の原因なんだろうけどさ――だって、おれが”違いなんてない”って考えてるのにそっちが自分のことを勝手にニセモンだなんて思っちゃ駄目だよ。ねえさんの妄想のテクスチャは真性の状態でこそ有効になるんだろたぶん――”本物”であることにこそ。だからおれとそっちの認識に齟齬が出来て、大元の、テクスチャが模倣を放棄してしまったら、もう人格を本体だった”未練の集合”と癒着できない。一個の独立した世界として生きていくしかない。そして、最初の潜り込むべき人格を失った未練の集合はかわりにどうすると思う。あるじゃないか、すぐそこに、現実ではくたばりかけてて、意思だけがこっちに残ってる間抜けが――」

「なんで。なんでこんな酷いことするの」


 なんで。なんで、か。


「夏は終わるものだよ」


 あの永遠に続くかもしれなかったバカンスのなかで、それでも日々を摘めとねえさんはいった。たぶんそれがねえさんの最期の言葉、おれにとっての形見めんとりなのだろう。

 おれはねえさんをそっと抱き寄せる。

 そのまま口づけた。

 うすい唇を割りひらくとやっぱり梅の香りがして、おれは哀しくなった。


 さよなら、世界で一番の姉貴。

 大好きだったよ、ありがとう。


 おれのねえさんでいてくれて、ありがとう。


 だから、出来ることならさ――




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