最後の追憶

弦巻耀

最後の追憶


 彼らは十時に来るということだった。太陽の位置から推測すると、あと五分ほどでその時刻だ。

 私の命も残り五分ということになる。


 家族との別れは済ませてあるから、心残りはない。


 

 私のあるじは昭和ヒトケタ生まれの無骨な人間だった。大人しい奥さんと二人の幼子おさなごを連れてやって来た彼は、高度経済成長期の世の中で、黙々と働いた。奥さんは贅沢の一つも言わず、彼と子供たちに尽くした。

 主はしつけには厳しかった。思春期に入った息子は反抗期に入り、主としょっちゅう喧嘩をするようになった。時には気持ちを抑えられず、腹いせに私を蹴とばしてきたりもした。奥さんと娘は常になだめ役だった。


 きかん坊の息子も優しい娘も、やがて進学と就職で家を出た。二人が結婚し、盆正月に孫を連れてくるようになると、無骨な主は無口な爺さんに、大人しい奥さんは人懐っこい婆さんになった。


 健康だった主は、平均寿命を三年ほど超えて大往生した。

 独りになった奥さんは、時々、私に話しかけるようになった。私に亡き伴侶の姿を見ていたのだろうか。私も主になったつもりで返事をした。言葉が通じ合うはずもないのに、私たちは確かに会話をしていた。

 その奥さんも、八十三を過ぎると、いよいよ足取りがおぼつかなくなった。



 今年の正月、年賀に来た息子と娘はそれぞれ、年老いた奥さんに「うちの近くに来ないか」と言った。

 奥さんは、娘が暮らす街にある病院付きの高齢者用住宅に入ることになった。


 残る私は、解体されることになった。主一家と共に生きて、五十五年余り。残念ながら寿命だ。もっとも、日本の家屋としては長生きのほうだから、不満はない。



 最後の盆休みは、息子と娘の家族が揃って遊びに来てくれた。久しぶりに見る孫たちは皆、立派な大人になっていた。小さな曾孫ひまごは実に愛らしかった。

 暑い中、彼らは私を隅から隅まできれいにしてくれた。私に特段の想いもないはずの息子の嫁と娘の婿まで、私を丁寧に拭いてくれた。どうせ壊されてしまうのに、と申し訳なく思いつつ、とても嬉しかった。

 掃除が終わると、彼らは居間に勢ぞろいして、私と一緒に記念写真を撮った。


 奥さんが私の元を去る日、迎えに来た息子と娘は、がらんとした部屋をひとつひとつ見て回り、背比べをした跡が残る柱をしみじみ眺めた。息子は、子供の頃に私を蹴とばした場所を静かになでた。

 最後の荷物を車に運び入れた二人は、玄関で「長い間ありがとう」と私に深々と一礼した。すっかり背の縮んだ奥さんは、泣いて別れを惜しんでくれた。



 平凡だが、いい家族だった。彼らを見守ってきた年月は、本当に楽しかった。私がこの温かな家族の幸福に幾ばくかでも貢献できたのなら本望だ。もし、彼らの思い出の片隅に私もいさせてもらえるなら、望外の喜びだ。


 近くで大きなトラックが停まる気配がする。どうやら、その時が来たらしい。

 愛おしい家族の未来にさらなる幸あれと願いながら、私は、心安らかに粉々の屑となる――。



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