水みたいな恋と愛

恋や愛って色んな形があると思う。

ストレート、ゲイ、バイ、トランスジェンダー、異性愛、同性愛、不倫やら純愛とかなんとか。

色々な恋や愛に対するカテゴライズの後は、必ずそれが正しいか正しくないか、正義か悪か、普通か普通じゃないかとそういった枠・形を作りたがる。

ここ最近思うのが“誰かを愛し想う”って事柄に形なんてあるのだろうかということ。

私の友人にバイ(両性愛者)がいて、性同一性障害(心は男、体は女)の恋人が彼女にはいる。

そんな友人に彼女自身がバイであること、その恋人について聞いた際の会話が今でも印象的だった。

友人「驚いたでしょう」
私 「まあそうだね、知らなかったからね」
友人「私たちの普通じゃないの。私たちの愛はいびつなの」
私 「…そうなのかな?
私には愛に形なんてないと思うから
   いびつ、いびつじゃないとかって
考えたことがない」

何故だか友人は私の言葉に対して、反応を見せなかった。

この物語を読んで、そんなことをふと思い出した。

恋や愛に形があるなら、水みたいな気がする。

様々な形に変化して、時には目に見れる水として、またある時は目に見えない水蒸気のように。

形があってないような 水に恋と愛の形は似ている。

当事者たちの愛がいびつかや普通と違うかどうかは、他人の勝手で無責任な意見であるに違いない。

またその反対で、当人たちの想いの形を外部の人に押し付けるのもナンセンスな気がする。

ヒロインが恋の変化に気づいてくれて、新しい1歩を踏み出してくれて、なんだかすごく嬉しく思った。

彼女にとってキリさんは、かけがえのない存在だと思う。

私にもそんな人がいたからわかる。

けれど、どんなに大切な人でも受け入れられないことがあると思う。

その人の嫌な部分や傷や痛みも愛せたら、どれだけ愛は強固なものだろうか。

私はその人の傷や痛みを愛せなかったし、嫌な部分を全然知らなかった。

もう前の関係のようにはならないけれど、今でも大切な人であることには変わりはない。

多くの気づきと私の嫌な部分や傷、痛みを見守ってくれたかけがえのない人。

この作品を見て、自分と愛してくれる人の間に、“美しい愛”が1つあればいいじゃないかなーんて思った。

言うのは簡単だけれど、現実はなかなか難しい。

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