第8話 戦いの後で

 全ての魔物を殲滅した後、その場に残った者達は勝利の歓喜に沸くことなど無く、寧ろ疲労感やおぼろげに感じている「生き残った」という感覚で満たされた。それはまさしく死線を超えた時の感覚その物で、勝利の喜び以上に、身体の奥深くから吐き出される息は重々しく、疲れが現れていた。

「お嬢様、お怪我を……」

 負傷者多数、死者数名、満身創痍とも言える状況だったが、要人に怪我こそあったが、命に別状はなさそうであった。

 アーデルハイドは頭から血を流しては板が、バフォメットによって逆さまになってしまった馬車の窓から這い出て、立ち上がる。すぐに侍従らが集結し、彼女の様子を見て顔を青ざめる。

「大丈夫、ルキウス殿下は私を庇って身体を強く打ったみたい。懐抱してあげて」

「お嬢様に怪我をさせるなど、一生の不覚。事が済んだ暁にはどのような処罰も受けるつもりです」

「貴方達は十分に働いてくれているわよ、さ、行動しなさい」

 彼女の言葉を皮切りに侍従らはルキウスの救出や、倒れている兵士の治療を開始した。半壊近い被害を受けておいて、遊兵となっていた侍従らは防御に当たっていた兵士らと比べて圧倒的に被害が少なく、死者も出ていなかった。

 ルイスは歪んで開かなくなってしまった馬車の扉を強引に外して、ルキウスを救助し始める。

 侍従のまとめ役であるアイリスはアーデルハイドの怪我を酷く心配していた。

「お嬢様、じっとしていてくださいませ……天上の奇跡をここに、聖者の光を、傷を癒やせ」

 アイリスはアーデルハイドの傷口に手を近づけると、回復魔法を詠唱し、傷口を塞ぎ始める。

 こう言った回復魔法は術者の技量に大きく左右されると言っていい。魔力の大小により、治療できる規模が変わり、魔力操作が巧ければ傷跡を残すことなく直すことができる。尤も、ほいほいと呪文を唱えて、そう易々と治るはずもないのだが。

 しかし、アイリスが持つ魔剣の恩恵により、彼女の魔法は効果を増し、小さな傷口ではあったがみるみるうちにその傷口を塞いだ。

「ありがとう」

「滅相もございません」

 彼女らがそんな会話をしている中、戦闘を終え、周囲をじっと睨み続けていた黒い狼やゴーレムが主人の下へぞろぞろと集って行く。

 その光景を不思議がって誰もがじっと見ていた。アルトワルツ公を始めとした、後方の馬車に乗っていた者すら、馬車を降りてその実に奇妙な光景を観察する。

 魔導士は上位になればなるほど変わり者が多いとされている。それこそ、僻地に引き籠もって研究に没頭する魔導士は総じて変人であると言われる程だ。しかし、その変わり者の魔導士は己の魔導を突き詰めており、面妖な魔法を多く扱う。それらの魔法は特殊性が高く、究極的にはとある分野において驚異的な力を発揮する。それに対して、世間で実力派として活躍している魔導士は戦闘能力の高い魔法を好んで習得し、既存の魔法をどう高威力で発動させるかなどの研究が主で、特殊性に欠け、多種多様の魔法を扱えることを重視する。

 彼の場合は前者と言えるだろう。使い手その物があまり居ない稀少な影魔法を自在に扱い、魔物のような存在まで召喚するその様は、魔導士として分類するのならば間違いなく変わり種だ。

 狼らは彼の元まで近寄ると、魔物が消滅する時のように霧散して、その場に魔石を残す。だが、その魔石は莫大な量の魔物を喰らい続けただけに、大きい物となれば両手で抱えるほどの大きさがあり、そして紅かった。

 あの強力なバフォメットすら片手で持てるような高純度の魔石しか残さない。それを考えれば今に至るまで相当量の魔物と戦いながらこの場に行き着いたことが容易に予測できた。

 誰もがその魔石の大きさを見て驚きも束の間、それらの魔石は彼の影に吸い込まれて行く。

 魔石が鉱山から消失し、急激に魔石の値段が高騰している現在において、喉から手が出るほど欲しくなる高純度かつ巨大な魔石だが、それには興味が無い様子だ。

 周辺に居た魔物をようやく殲滅させることができ、白銀の魔剣を鞘に収めると彼は影から外套を取り出した。その光景は見る者を驚かせる芸当で、常軌を逸した魔法だと言える。しかし、さも当然のように彼は外套を纏い、続いて水筒を取り出して水分補給を行っていた。

「アイリス、付いてきて」

「はい」

 歴戦の勇士はこのような雰囲気を醸し出すのだろうか、それは戦闘を終えた今でさえ、神経を研ぎ澄ましたようなオーラがひしひしと伝わってくる。

 戦場において、アイリスやルイスも似た雰囲気を纏ってはいるが、彼ほどではないと断言できるだろう。精神的にも物理的にも、隙が無い、そう思わせるのだ。近づくことすら気後れするその濃密なオーラは周囲を威圧しているとさえ錯覚させる。

「私も同行しよう」

 馬車の中からでも彼の活躍を見ることができたのか、それとも掃討戦の際に余裕ができた部下から報告を受けたのかは定かではないが、アルトワルツ公は彼に興味を示した。

 されど、隻腕の騎士は戦闘を終えた今、流れるようにこの場を去ろうとする。アーデルハイドらには興味を示さない。戦闘中では命を救っているが、これと言って会話があったわけでもない。

「お待ちください」

 そのアーデルハイドの言葉に、彼は足を止めた。小さく溜め息をついたようにも見えたが、彼は振り返り、今まで肌を刺すようなオーラが一変して、何事もなかったかのように消え去る。そして、礼儀正しく一礼し、教養の良さを思わせる。

「窮地をお救いいただき、誠にありがとうございました。私はアーデルハイド・フェルベゴールと申します。こちらはアイリス」

 アーデルハイドは落ち着いた様子でスカートの裾を摘まんで優雅に一礼すると、先ほどの礼と、名前を告げる。それに続いて、アイリスも一礼した。

「私はギュンター・アルトワルツ、エルメフィリア王国の貴族をしている」

 アルトワルツ公も礼を失することなく軽く礼をして、名を告げる。それに対して彼は目を瞑り、数秒の後にゆっくりと目を開いた。穏やかな、しかし何処か冷たい眼は不気味に思えるほどで、少なくとも無関心であると言うことはなさそうだった。

「……私はシキと言います。あのフェルベゴール公爵家ご令嬢並びに、アルトワルツ公爵家現当主の方にお目にかかれるとは光栄にございます」

 お辞儀を返し、彼はその名を口にする。

 落ち着いた様子のシキを見て、まず始めに周りが思った感情は「不思議」これに尽きるだろう。堂々としているその姿は離れしているようにも思え、肝が据わっているだけにも思える。

(あの甲冑、それに剣だって、ただ者じゃないわよね……でも、これだけ腕が立つのなら普通は名前ぐらい聞いたことはあるはず、よね?)

 腕を一本失うと言うことは剣士にとって致命的だ。剣士の道を断たれたと言っても過言ではない。しかし、掃討戦を見ていた限りでは腕は立つように見える。それどころか、身のこなしや剣術を多少見ただけでも名のある人物である事が見て取れる。

「いやはや、私は馬車の中に居たから君の実力をこの目で確かめたわけではないが、騎士からは実に見事な活躍で我々の窮地を救ってくれたと聞いている」

「いえ、閣下らが居ようと居まいと、今この時、私が通りかかった以上はあの魔物らを相手にせねばならなかったことは紛れもない事実ですので」

 あの活躍を見ていれば驚くべき発言と言うわけでもない。あの強大な魔石を見れば倒してきた魔物の数など、数える気にもならないのだろうし、それだけの実力がある事を意味している。

「謙遜することはない。君がこの場を通りかからなければ我々が危うかったことは事実だ」

「では、私をビストロへと呼び寄せた方には感謝せねばなりませんね」

 全滅の危機から救ったというのに、些か以上に誇ることをしない人物だ。世捨て人のシキにとっては彼らが死のうと、何に興味も無い事柄だ。ましてや、シキからしてみればここに居るギュンター・アルトワルツはかつての政敵だ。今はエルメフィリア王国に興味の欠片もない為、救ったことに対する興味関心が無い。

 シキにとって今回の一件は、魔物の排除が迷宮から地上に移っただけで、倒していたら他の誰かが襲われていた。ただそれだけなのだ。

「ほう? 君ほどの人物を動かした者が居るのか」

「私は各地の迷宮都市を渡り歩くただの探検家に過ぎません。此度はこの近くの迷宮都市で出会った老師に頼まれたので向かっているだけのこと」

「探検家、ですか」

 なるほど、名が売れないわけだ。と納得した。

 迷宮都市というのは非常に閉鎖的で、探検家ともなれば恐ろしく死亡率の高い稼業だ。それでいて、各地を渡り歩いているともなれば、自身の活躍を周りに言いふらしでもしない限りは有名にすらならない。何せ、探検家は単独で活動する場合が多く、自身が多くの財宝を保有しているとは誰も言いたがらないからだ。

 しかし、気になるのは彼を動かしたという人物だ。基本的に迷宮都市の中で生計を立てているような人物は都市から出ることは無い。

「その振る舞い、その出で立ち、聞いた活躍、私は何処かの貴族か、騎士とばかり思っていたがね」

 それに関してはアルトワルツ公に賛同した。探検家と言われない限りは何処かの騎士かと思わせるだけの強さを持ち、そして教養の良さを感じさせたのだ。

「片腕で騎士の仕事は勤まるとは思えません。それに、貴族とても些か以上に悪目立ちが過ぎます」

 シキは苦笑しながら答える。

 甲冑を着込んでいるだけあって、外套越しでも左右非対称である事が見て取れる。それは左肩に付ける肩当てが無い、と言うよりも左の肩から先がないため、そもそも必要としていない。

 顔立ちだけで言えば女と見間違うほどに整っており、異性であるアーデルハイドからすれば目の保養に良いと言うよりも、逆に毒に思えるほど美形であると言える。これだけの人物なら夜会では注目の的だろうし、ましてや隻腕ともなれば印象深いはずだ。

 加えて、隻腕など、障害がある人物は迫害や差別の対象であり、貴族社会ではそれが顕著であったりするため、一度会えば忘れることなど無いだろう。

 これだけの腕で騎士というのであれば、多少日常生活に問題があろうとも、他の騎士と同じことができなくとも、特別な待遇を受けていても可笑しくはない。しかし、そうであれば自然と名は広まるはずだが、そんな話など聞いたこともない。

「なるほど、理解できる話だ。しかし、探検家というのであれば、君を動かした人物が気になる所だ」

「仕事上の取引相手ですので、詳しくは知りません。ただ、先日にはカーディナル魔導学院の学院長を務めていると仰っていたので、高名な魔導士だと思うのですが」

 その発言に一番驚いたのはアーデルハイドだった。

 知っている、と言うよりも、知らないわけがなかった。

「お爺様をご存じなのですか?」

「お知り合いですか?」

「祖父です」

 そう、グラウス・フェルベゴール、今はカーディナル魔導学院で学院長を務めているが、フェルベゴール公爵家前当主にして、リーベル商会の前会頭、そして国を牽引する大魔導士中の大魔導士だ。

 経済面と魔導の面において国を飛躍させ、彼女が今率いているリーベル商会の基盤を築いた大物で、当主の座からも退いた身だが、公爵家の中で彼に逆らえる者は居ない。

「それは……老師に顔向けができる、と申せばいいのか」

 シキは思いがけない発言に困惑した様子だった。

 今の発言だけでも探検家特有の世捨て人の一面を垣間見ることができる。ここ周辺に住んでいる者ならば大体知っているようなことを知らない、ある意味では探検家らしいと言えばらしい。

「なるほど、グラウス卿の行いが巡り巡ってアーデルハイド嬢を救ったと言うことか、実に素晴らしい縁ではないかな?」

「え、ええ、そうですね」

 こんな外交の重要な局面に居ない、とつい先ほどまで腹を立てていたはずが、祖父の行動によって思わぬところで命を救われた為、何とも言えない感情に見舞われた。

(しかし妙ね、こんな人柄の人物があんな場所にいるなんて普通はあり得ない話よね、お爺様とお知り合いであると言うことは偶然としても、あれだけの魔法を使うのに平民出身なんて考えにくいわよね、それなら素性を隠しているのかもしれないけど……)

 と、考えを巡らせてみるアーデルハイドだったが、どうにも答えはでない。

 貴族社会は決して狭いわけではないが、これだけ目立ちそうな人物が全く知られないと言うほど広い世界ではない。もしかすると没落貴族などの可能性もあるのかも知れないが、そこまで来ると憶測の域を出ることはない。

「ここにはあまり長居しない方が良いでしょう。どうにも魔力が濃い様です」

「……アイリス、どう思う?」

 そう言った人間関係にはあまり興味が無い様子のシキは、別の話題を切り出す。アーデルハイドは自分の感覚で分かる範囲を超えているため、この手の話に詳しいアイリスに話を振る。

「ルイスも同じようなことを言っておりました」

「先ほどとまでは言いませんが、日を跨げば魔物が現れないとも言い切れませんので」

 基本的に、魔物は倒してもすぐに出現する。それこそ、日常的に大量の魔物を倒しているはずなのに、まるで魔物が減る気配のない迷宮に潜る人物だからこそ言える話だ。

「それは恐ろしい話だ。出来れば急いで再出発したいところだが、この有様ではしばらくは動けないと思うがね」

「……精霊が居るのであれば心配することもないのでしょうが、あの数ともなれば心配になります」

 単純に魔力が濃いだけならばそう心配することはない。魔力の源泉には精霊が棲み着いており、地上に溢れ出る、莫大な量の魔力を管理している。そうなれば迷宮と違って魔物が発生する確率は低くなるため、このような場所でも魔物が現れることなど、日常的にあるはずなどない。

 しかし、今回現れた魔物の数は迷宮のそれ、あるいはそれ以上の数の魔物と遭遇している。日常的な光景であった為、シキはついつい忘れかけていたが、迷宮では一般的なことなのかも知れないが、地上でこのような現象は異常事態以外の何物でも無いのだ。

「精霊が居ないとお考えなのですか?」

「いえ、普段から迷宮に潜っているような身ですので精霊が存在しているかどうかまでは存じ上げませんが、迷宮で運悪く魔物と戦い続けて居るような気分でしたので……経験上、迷宮全体で考えれば、あの量の魔物は毎日出現しているはずです。ですので、精霊が完全に管理を放棄しているのであれば、ある程度の覚悟をされておいた方が良いかと」

 魔物の巣窟とも言える迷宮ではとんでもない数の魔物が1日で出現する。それを主に退治しているのが冒険者なのだが、探検家であるシキも倒す専門ではないにしても、日々迷宮に潜っているだけあって、体感的にどれだけの魔物が出現するのかは大凡把握している。尤も、中層以下の魔物の多くは誰にも出会わずに魔力を消費し尽くして消滅しているため、あくまでシキの経験に基づいた感覚だ。

 シキの話を聞いて3人は随分と深刻そうな表情をした。それもそのはず、明日にはビストロに到着するにしても、もう襲われないという確証を得られない以上、心配にもなる。その一方、日常的に大量の魔物と出会すシキは襲われる前提と考えているせいか、恐ろしく平然としている。

「アーデルハイド嬢、この森はいつ頃抜けられるのかね?」

「今すぐにでも出発しても夜間も移動しない限りはまず抜けられないかと、この状況ですと、一夜ここで過ごすとしても明日の昼前になるのではないでしょうか」

 時刻は太陽が傾き始めた頃だ。負傷者の手当もあるし、戦闘で消耗した騎士の休憩は必須となるだろう。それを考慮すれば再度出発することには太陽も赤くなり始めているはず、そうなれば移動できる距離などたかが知れているだろうし、夜間襲撃も視野に入れなければならない。

 魔力の源泉は常に魔力を放出し続けているため、こうしている間にも魔物が出現し続けている。魔物の基本的な感知範囲を考えると、森に近づきさえしなければ、そこまで恐れることではないのだが、生憎と今は森の中、感知範囲にいるため、危険が付きまとう。

「……シキ君、ビストロまでの護衛を依頼できないだろうか、無論、それに見合うだけの報酬は約束する」

「私は冒険者でも傭兵でもありませんので、冒険者手型や傭兵手型は疎か住民手型すらありませんが……」

 シキからすれば面倒臭いなどという感情以上に、目の前に居るアルトワルツ公爵、と言うよりもエルメフィリア王国に関するそれら全てに関わりたくないのだ。名前を聞くまですっかり忘れていたが、目の前に居るこの中年の男は因縁浅からぬ人物であり、かつての政敵、リリアーヌを陥れた人物だ。

 加えて言えば、シキは身分証明をするような物を何一つとして所持していない一般人。都市に住んでいる法の庇護下にある存在でもなければ、冒険者組合のように背後に組織があるわけでもなく、ましてや流浪ではあっても身分が証明される傭兵でもない。探検家というのは一切後ろ盾のない稼業であり、シキの場合は無事に生還しているというだけで、誰だって名乗れる肩書きだ。間違っても護衛の話など持ちかけるような相手ではないし、徴用できるような身分ですらない。多少シキに教養があるだけで、社会のゴミ箱に近い迷宮都市にいる連中と同列の輩だ。

「それは、重々に承知しております。しかし、万が一のことを考えれば全滅すらあり得るこの状況において、窮地を救っていただいた方を頼りたくなるお気持ち、どうかお察しいただけませんか?」

 この状況で、例えシキが去ったとしても、命を救って貰ったと言われることはあっても、見捨てられたなどと言われることはまずない。彼らは国を代表する大貴族、そんなことを自分の口から言ってしまえば、自分で自分の顔に泥を塗るような行為になる。例え、断ったとしても、彼らは強がりを言うことになるだろう。

 逆に、この話を受けるだけのメリットはない。現金化していないだけで、迷宮で発見した財宝を大量に所持しているシキは、金銭に執着するような人柄でもない。元々、自由奔放な事ばかりしてきただけに、束縛を嫌っている。

「失礼ながら、私は閣下らが思っているほど立派な人物ではございません。世間からすれば社会の汚点を掻き集めたような場所で生きるゴミ同然の者、それすらご理解なさった上でおっしゃっているのであれば、私も老師との約束がある手前、お断りいたしませんが……いかがお考えか」

 つまり、貴方たちは恐ろしく情けない話をしている、社会の底辺と日頃から貶んでいる奴に縋っても良いのなら話を受けてやる。と言うことだ。

 実際、シキは外見こそ整っているが、構図だけで言えば恐ろしく情けない光景だ。

 王侯貴族が農民に「食べ物を恵んでください」と縋っているのと同レベルの話だ。

「どうか、お願いいたします」

 アーデルハイドはそう言って頭を下げた。

 周りの目がある場所で貴族が頭を下げるなどそうそう有った話ではない。ましてや相手は身分すら証明できないような一般人、驚いたという次元の話ではなく、頭を下げられた方は心臓に悪い。

 周囲の驚きもさることながら、頭を下げられた本人も驚いている様子だ。

 正直なところ、シキという人物は決して信用できるというわけではない。迷宮都市に居る者なのだから、それなりに嫌悪感だってある。しかし、アーデルハイドにとっては、祖父と言う大きな接点があり、今回彼に縋ることが出来ているのは、グラウス・フェルベゴールという存在が大きいからだ。

「どうか頭をお上げになってください。平民相手に頭を下げるなど正気の沙汰ではありません……分かりました。閣下らが私に不信感を抱かないというのであれば、護衛を務めさせていただきましょう」

 シキは恭しく片膝をついて、内心ではため息をつきながら話を受けるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シキの幻肢痛 綾織吟 @ayatakagin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ