第2話 青年と老師
瘴気が立ち籠める下層に潜った翌日、ようやく地上に出ることができたシキは都市で長時間の安眠を取ることができた。尤も、毎日のように見る悪夢と幻肢痛によって快眠とは到底言えないような酷い時間だったが、一先ず安心できる場所で眠ることが出来たと言う意味は大きい。
各地に存在する迷宮の周囲、あるいは地下に広がる迷宮の真上には街ができやすい。それは、迷宮から出土する珍しい魔導具目当てだけでは無く、魔石を安定的に得ることができる人口の鉱山にも似た役割を持つことから、1つの産業として成り立っている事が多く、地下深くへと潜る探検家や、上層で魔物を狩り、魔石を獲得することが目的の冒険者らを支援する為の施設が充実している。その為、ある程度は経済として成立しており、これらの街のことを迷宮都市と呼ぶ。
とは言え、こう言った迷宮都市は明確な統治者が居ない。
元々、発見された迷宮を探索する為に人が集まり、それを支援する人が、新たに迷宮を探索する人が、さらに支援する人が、と何度もそういった事を繰り返して急速に発展した街で有り、迷宮を探索する人材が途絶えてしまえば、一瞬で荒廃してしまう場所なのだ。
さらに、迷宮都市は常に爆弾を抱えているような物で、他の都市ではごく稀にあると言われている魔物の襲撃が、迷宮都市では頻繁に起こりうる可能性があるのだ。それもそのはず、本来であれば自然発生するはずの魔物が、常に都市の地下に存在しており、処理し続けなければ都市その物が崩壊してしまうという大きな問題を抱えている。
ちなみに、迷宮都市は統治者が居ない事もあり、秩序と言える秩序が存在せず、この世の犯罪を押し込めたかのような治安の悪さを誇る。まさしく、犯罪の温床とも言えるその世界は裏社会の象徴と言うべき危険な場所だ。
現在は冒険者組合が1つの産業として目を付けたからこそ、上層に居る魔物を駆逐して被害が抑えられているが、迷宮の宝を目的に探検家ばかりが集まった時代は魔物による被害が酷かったと言われている。
探検家はトレジャーハンターと聞けば、いくらか聞こえは良いが、実態は自分本位の墓荒らしと言い換えることのできる、世間の最底辺の存在だ。とは言え、その世界で成功している人物は天文学的な財産を所有していると言われ、中には爵位も領地も金で購入した探検家も居るとか。
ハッキリ言って、世間的にお世辞にも立派とは言えない様な連中の肩に乗って我が物顔で統治できるような貴族は居らず、いつ廃墟となるかも分からないような、治安どころか身の安全すら保証されていない場所には代官すら居ない。
迷宮都市とは太陽の昇り沈みのように、管理者が居なくても自然に出来上がって、自然に消滅してしまうような場所だ。
「老師、いらっしゃいますか?」
シキは迷宮都市に生還した翌日、ボロボロの店を訪れた。
治安の悪さや景観の悪さで言えばスラム街としか思えない町並みとしては、掘っ立て小屋同然の店構えは背景に反った良い店構えと言えるだろう。
普段のシキの格好は迷宮に潜っている時と比べれば遙かに地味だ。
聖騎士のような鎧を着ていた時とは掛け離れており、外套を着て、左腕を失っていることさえ分からない様になっており、悪く言えば地味だが、良く言えば悪目立ちしない服装と言える。
「掘り出し物でもでたか? 青年」
店というよりは取引所に近い。看板などは無く、一見してみればボロボロの小屋だ。
入ってみれば、ボロボロながらも清掃の行き届いた場所で、家具は机と椅子が2つ、それ以外の余計な物は無く、生活感など欠片もない。
小屋の中には老人が椅子に腰掛けており、無駄足にならずに済んだと安堵する。
老人の服装は上等なローブ姿だが、迷宮都市ではあまり目立たない服装と言える。
迷宮都市での鉄則は身分をひけらかすような服装は避けること、迷宮に潜りもしない時は目立たない服装をすること、究極の所、背景にどうかするような服装や行動を取ることだ。
「それなりに、と言ったところでしょうか」
探検家の稼ぎは魔導具を発見するだけでは終わらず、それを買い取ってくれる人物が必要となる。無論、そういった事を専門にやっている商人も居るが、基本的にそういう専門の商人は上層で取れるようなありふれた魔導具を多く取り扱っており、高価な物であっても買い叩かれる事がある。そこで、探検家が真っ先に探す存在が、しっかりとした鑑定眼を持つ交渉相手だ。
シキはかれこれ6年間、幾つも迷宮都市を巡ってきたが、最も苦労したのがまともな交渉相手を探すという事だ。
迷宮都市は裏社会の象徴とも言えるほどまでに治安が悪く、名の知れた商会などは店を構えない。そうなると、大金が動く商談はできなくなり、優れた鑑定眼を持つ相手とも巡り会えなくなるというわけだ。
経験豊富な探検家は自ずと鑑定眼も鍛えられる上、シキは鑑定用の魔法を使用できるため、自分と比較してではあるが、物を一度見せただけで相手の力量を測れるようになる。しかし、測れたところで、商談が成立するかどうかは別の話だ。
迷宮で発見された魔導具とはいえども、その価値はピンキリだ。
指輪1つとっても、魔法が施されていなければただの装飾品として扱われ、中位の魔法が施されていれば金貨10枚前後と言った程度だ。しかし、再現不可能な古代魔法が施されていれば、桁違いの値段が付く。しかし、これは鑑定眼があってこその物であり、そもそも、相手がそれだけの大金を払えるかどうかさえ不明な所だ。
「まあ、まずは席に着きなされ」
老人に席を勧められ、シキは席に着く。その一方で老人は側に置かれた木製のトランクからティーセットを取り出し、紅茶を入れだした。
台所すら無い質素な小屋だが、老人は魔法によってお湯を沸かし、慣れた手つきで紅茶を出す。
カップやソーサーなど、一見しただけでも高級品である事が見て取れ、使われている茶葉も高品質な物だ。
「さて、まずは……」
紅茶を飲み、まずは一息ついたところで老人は話を切り出す。
トランクから取り出されたのは蒼い液体が瓶詰めされた物だった。それが10本。
それはエリクサーだ。迷宮のある一定階層以下に潜ろうとすれば必ず瘴気の問題に行き着く、エリクサーは瘴気が人体に及ぼす影響を解消する数少ない手段で有り、シキにとっては生命線とも言える貴重な薬だ。
「揺らげ、揺れろ、影は扉」
それを見てシキは呪文を唱える。すると彼の影が大きく揺れ出し、実態を持ち始める。
影は机にまで這い上がると幾つもの紅い結晶体と灰が詰まった大きな瓶を3つ吐き出した。
老人は結晶体を手に取るとじっくりと見つめる。
「天然物か?」
「ええ」
「相変わらず恐ろしい物だ、これだけ純度の高い魔石は中々目にせん」
シキが出した結晶体は迷宮に出現した魔物の魔石だ。
高濃度魔力環境下で発生する魔物は総じて高純度の魔石を核として保有している。勿論、人工的に高純度の魔石を生成しようと思えばできるのだが、それには大量の魔石と錬金術に長けた優秀な魔導士が必要とされており、製造コストの問題から、非常に高価な物だ。
魔石は魔法の触媒や魔法薬の材料、魔力の代用、その他日常的に使用される魔導具など、文明によって莫大な量が消費される必需品だ。特に、魔法の文明に日々触れている者ならばありふれた物といえるかも知れない。
「回収できた魔石の中でも高純度の物を選んだつもりですが、どうです?」
「十分だ。随分奥深くまで潜ったな?」
「エリクサーを使う場所までは」
日常的に使用される魔石は鉱山や下位の魔物から得られる半透明の魔石なのだが、それらは市場に溢れており、安価で庶民にも手が伸びやすい。
その一方で、高純度の魔石は強力な魔物からでしか得られない貴重な物である為、安定供給がされず、市場に出回ることは少ない。
無論、迷宮に潜れば瘴気の階層に降りるまでも無く、高純度の魔石を持つ魔物と出会えるのだが、何せ倒す存在がほとんど居ない。魔物を倒し、安定した魔石の供給を行っている迷宮都市の冒険者は日帰りで行ける範囲までしか降りない為、低品質の魔石しか供給できない。ならば奥深くに潜る探検家ならば供給できるのではないか、となるのが普通だが、手練れの探検家になればなるほど、逃げるのが巧い為、強力な魔物と遭遇した場合には最低限の戦闘のみで、逃げることを最優先にしている。そもそも、探検家の目的は迷宮に眠る宝を発見することであって、魔物を倒すことでは無いのだ。
それ故、魔石の値段は純度によって雲泥の差があり、市場に出回ることは珍しい。
「して、その瓶は……もしかするとレブナントの灰か?」
「ご明察の通りです」
「哀れな物だ……しかし、随分な量だ」
「3体分ですから」
レブナントの灰はエリクサーの原料となる貴重な素材だ。神聖魔法や死霊魔法の一種である対霊呪文でレブナントをそのまま灰に変えるか、レブナントの残骸を灰になるまで焼かなければならないのだが、この灰には瘴気から肉体を守る効果があるとされている。
一定条件下でしか出現しないこともあって、値が張ることは言わずもがなで、死者を弔っていないことから、材料として使用することすら推奨されていない。
「まあ、いいだろう。前回分と合わせて差し引きゼロでいいか?」
「ええ、構いませんよ」
と、商談が成立すると、シキはエリクサーを、老人は魔石とレブナントの灰を、自分の影やトランクにしまう。
本来であれば金銭の話が出てくるのだが、両者が交換した物は金貨何枚という次元の話では無い、それこそ金貨千枚前後の取引が行われたのだ。かなり大雑把な取引ではあるが、そうでもしない限り、治安が劣悪なことで有名な迷宮都市でやっていけない。
この二人は、こんな取引をかれこれ1年以上続けており、その他の取引も信用のみで成り立っている部分が大きい。
「そうだ、シキよ、1つ頼まれてはくれんか?」
「支払いは待ちませんよ」
「そこは勘弁してくれ、いくら儂でもお前さんが持ってくる魔導具をそうそう現金で買い取れるわけもなかろう」
この老人、グラウスと言う人物はこの都市におけるシキの取引相手だ。
適正価格で買い取ってくれる人物ともなれば迷宮都市の外に足を運ばなければ巡り会えないのが基本なのだが、グラウスは定期的にこの迷宮都市に足を運んではシキと取引を行ってくれる信用できる人物なのだ。
彼は優れた鑑定眼を持ち、エリクサーを生成できる優れた魔導士である一方で、やはり個人と言うこともあってか、金払いは商人と比べてそこまで良くない。勿論、高価な魔導具を持ってくるシキにも問題はあるのだが、グラウス本人が希少価値の高い魔導具を求めている事が一番の原因となっている。
「そこまで金銭を必要としているわけでもありませんが、私たちは信用だけで成り立っている間柄なのですから、待ったは利かない事ぐらい重々承知のはずでは?」
商会を相手にしているわけでもない為、為替すら存在しない。個人と個人の取引である為、支払いの先延ばしは信頼関係を揺るがす原因となる。ましてや、毎日のように会っているわけでもない為、何時相手が居なくなるかも分かった物ではない。
「そのぐらい分かっておる。いや、今回はそんな話では無い。お前さんはカーディナル魔導学院を知っておるか?」
「確か、ビストロにある魔法専門の学舎でしたか」
ビストロとはこの迷宮都市から東に2日ほど言ったところにある大きな都市だ。このマルデリア王国が誇る魔導の最高学府が存在しており、交易の要所として、国内でも有数の都市に数えられている。
治安は非常に良く、それこそこの迷宮都市とは比べものにならないほどで、豊かで安定した都会だ。
「儂、実はそこで学院長をやっておるんだが」
「……さらっと凄いこと言いますね」
相手が何者であろうと、取引が成立すればそれでいいとしてきただけに、中々の爆弾発言であったと言える。
原料を渡していたとはいえ、エリクサーを生成するには高度な技術が要求される。それにも関わらず、ほいほいと用意できるグラウスは一介の魔導士では無いとは思っていたが、それでも驚きの事実だ。何せ、国家有数の魔導学院の学院長ともなれば、魔導士としては超有名人であると言える。
「エリクサーを造るただのじじいとでも思っていたか?」
「いえ、そこそこ高名な魔導士とは思っていましたが……」
シキは世情に疎い。迷宮都市を巡って旅をしていることもあって、シキは世捨て人と言える存在だ。
迷宮都市そのものが外からの影響を受けにくい特殊な存在であることも相まって、探検家は総じてシキのように世情に疎くなる。何せ、大きな迷宮都市では必要最低限の物全てを揃えられる為、用が無ければ外に出る必要すら無い。シキがここに拠点を移し替えて、1年以上経つが、そろそろ外界の様子も知っておかなければならない頃合いだ。
恐らく、国が戦争をしていたとしても、街の物流に影響が出なければ戦争が起きている事なんて知りもしないのだろう。
「やれやれ、浮き世離れは例に漏れずお前さんも探検家というわけだ」
探検家になるまでは慌ただしい生活を送っていたが、6年も探検家稼業をしていれば自然と浮き世離れしてくる。
「もういくらかすれば一旦離れて、気分転換に回ろうと思っているんですがね」
6年の間、各地の迷宮都市を巡り、あれこれと移動して回って居たが、この迷宮都市が最も好条件と言えた。ここに根を落とすという考えはないが、一度気分転換に他の街を観光した後に、ここに戻ってくる予定だ。現状、稼ぎが悪くなる傾向もない為、探検家としては未だに優良物件のままだ。
「なら、ちょうど良いかもしれんな」
「何がです?」
「お前さんに1つ講義をして貰おうと思ってな」
その言葉にシキは目を細めた。
「嫌ですよ」
「なに、特別講師としてちょっと話をして貰うだけだ。現役の探検家の話なんぞ物珍しいと思ってな」
「老師、階級社会を理解した上で言ってます?」
迷宮都市では身分など毛ほどの役にも立たないが、それは例外中の例外であって、一般的な社会ではシキは最底辺の存在だ。それに対して、カーディナル魔導学院というのは貴族らが通うエリートの学舎だ。いくら特別講師だからと言ってそんな場所に探検家が足を踏み入れて良いような場所では無いのだ。
「無論だ」
「なら、生徒がどう言う反応をするかぐらい分かりでしょう」
世に言うエリートが集う学舎は基本的に貴族や金持ちの子供ばかりか、教師も魔導士として大成した者が集められている。そう言った連中が冒険者や探検家へ向ける感情というのは、決して良い物では無い。
そもそも、社会的弱者に対して横柄に接するのが社会的強者に言えることで、特に魔法がちょっと使えるからと言って気が大きくなっている連中は多い。
無論、魔法を使えるということ事態が天性の才能と言えることで有り、自分は特別なんだ、そう考える者が出てきても何ら不思議では無い世界だ。それだけに、気が大きくなることなど無理も無い話なのだが、それらを全て飲み込んだ上で講義をしろというのは些か堪えかねる話だ。
「言いたいことは分かる。どう言う反応をされるかも想像に難くない」
寧ろ、こうしてグラウスとさも当然のように会話していること自体が可笑しな事なのだ。ここが迷宮都市などと言う、基本的に身分を隠しておく必要性がある場所でなかったら、もっと恭しく接するべきなのだ。
「探検家の話なんて誰も聞きませんよ」
「面白みのあるないようにはなると思ったのだがな」
魔導考古学を語る上で迷宮は外せない物だ。迷宮からは過去の遺物だけでは無く、貴重な文献も発見されることすら有り、歴史的な価値で見ても非常に重要な場所だ。シキもその世界で食べていけるだけの実力と知識を兼ね備えており、発見された文献などを調べる為に苦労したこともある。
しかし、探検家はあくまでも発見した宝物を売りさばいて生計を立てている墓荒らしであり、学者とは違って立派な物では無い。
「老師とはそこそこの付き合いですけど、こちらには話を受けるだけの理由がありません」
あくまで対等な関係の2人は持ちつ持たれつの関係でやってきた。しかし、対価を提示してきたからこそ成り立っているというわけでもある。それを今更崩すというわけにも行かない。
「理由か……では、お前さんに紹介状をくれてやろう。無論、講義に対する報酬も出す」
「何を紹介してくれると?」
「金払いの悪い儂に変わって金払いの良い相手を紹介してやると言っている」
「眼は良いのですか?」
シキはこの仕事を始めて最も気を遣っているのが交渉相手だ。グラウスはこの手のことに関しては専門家と言える人物で、魔導具を見せただけでその価値をすぐに言い当てるほどに熟知している。しかし、一見してみれば似たような装飾が施された魔導具、それらの価値を見抜くには実際に使用するか、魔導具に刻まれた術式を読み取る鑑定眼か、あるいは鑑定用の魔法が必要となる。
「悪くはないと思っておる。大量に買い取って貰うには良い相手かもしれんぞ?」
エリクサーは現物交換でどうにかなってはいるが、金銭はお世辞にも潤沢とは言えない。この迷宮都市では唯一の交渉相手であるグラウスが貨幣不足と言うこともあるのだが、何しろ高価な物が多い為、おいそれと売り払えない現実もある。
しかし、また旅をするとなれば色々と入り用になる。それを思えば今手元にある宝物の一部を貨幣に変換しておく必要が出てくる為、渡りに船とも言える。
「……分かりました」
懐事情を鑑みて、シキは講師の話を承諾し、グラウスの用意が良いのか、学院に入るのに必要な許可書も受け取った。
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