第4話 世捨て人の知らないところで
ダグザとの酒盛りから数日、グラウスの要請によってビストロまで赴かなければならないシキはダグザとの取引を完結させて迷宮都市を出た。
魔石の一件によって数日間は落ち着きを見せないであろうという見通しは的中し、シキが迷宮都市を後にするまでの間、街はどうあっても静かな時間を過ごすことができなかった。外界の影響を受けにくい特性を持っているにも関わらず、外からのしわ寄せを一気に請け負っているような雰囲気に包まれており、名のある探検家は姿を消し、冒険者ギルドは沈黙を貫き、買い付けに来た商人は泣きを見るという悲惨な状況が出来上がった。
個人としては信じられないような量の魔石を保有するシキだが、迷宮に潜っている時間の方が多い彼の場合、それらの事件に巻き込まれることはなく、穏便に迷宮都市を後にすることが出来た。
迷宮都市の外、正確には世間で何かが起きているのだろうが、日常的に地下に潜っているような社会不適合者のシキはそれらの事件を一切知ることなどなかった。
何せ閉鎖的な迷宮都市は辺境中の辺境も良いところで、その中でも地上に居ることの方が珍しいシキはトップクラスに世情に疎い人物に数えられる。しかも、積極的に情報を集めようというのが年単位であるかどうかと言う意識の低さ、例え、国が戦争になっていたとしても、迷宮都市に影響がなければ気付く事すら無いだろう。
道中のシキの姿は、旅装束と言うよりは戦装束だ。迷宮に潜る時と同じように白を基調とした鎧を着込み、腰には魔剣を携えている。その上に外套を被せ、一見してみれば目立つ格好ではないが、戦闘準備は整えてあった。
迷宮ほどではないにしろ、安全が保証されていない以上、自分の身は自分で守らなければならない。賊や魔物、その他どのようなトラブルに巻き込まれるかなど分かった物ではない。寧ろ、行き着く問題が判明している迷宮の方が心配せずに済むという物だ。
(今思えば酷い落差だ)
世捨て人、それでいて自由人を体現したかのような生活はお世辞にも褒められた物ではない。
6年前までクルストと言う名前で貴族をしていたことを思えば、随分と落ちぶれた物だ。
ここ、マルデリア王国の西部に存在する国、エルメフィリア王国で14歳まで貴族をやっていたシキは政戦に巻き込まれて、一族含めて滅んでいる。尤も、その原因が自身と王女との政略結婚であった事に踏まえて、両者共にそれを望んでいたという貴族社会には珍しく、恋愛感情があっただけに、今思ってもこみ上げてくる物がある。
というよりこの男と王女の関係が幼い頃から良かったことが回り回って害を及ぼしたと言っても過言ではない。
(あの人の元に行かなければな……)
政戦に敗れてどうにか生き延びたが、そのまま平民として何事もなかったかのように生きることなど普通はできない。しかし、それを可能にしたのが、周囲を呆れされるほどの放浪癖と多趣味が基となっている。
シキは大貴族に生まれたが、婚約が決まるまでは周囲が呆れ果てるほどの自分本位な生き方をしていた。それは良い意味でも、悪い意味でも有り、剣術、魔法、学術、芸術等々、実家が大貴族である事を良いことに、子供の頃から各地を飛び回って色々と勉強していた自分勝手な人物であった。良い捉え方をすれば神童などと言えるかも知れないが、悪い捉え方をすれば放蕩息子と言え、周囲からは放浪貴族と称された。
そんな彼に興味を示したのが彼と婚約し、結婚にまで至ったリリアーヌ王女だ。天真爛漫な人格の彼女は同年代としては恐ろしく知識を詰め込んでいた彼に興味を示し、芸や知識を披露して欲しいと振り回し、貴族と王族という関係以上の物となり、彼の騎士道精神に火を付けることとなった。
次代の逸材として名を馳せ、挙げ句の果てには王位継承権第1位のリリアーヌとの婚約は政敵にとってあまりにも大きすぎる問題であった為、政戦に油を注ぐ形となり、歴史の表舞台から消され、名前や髪の色などを変えて今に至る。
隻腕と言うこともあって多少なりとも目立ちはするが、探検家という仕事柄、特定の組織に属しているわけでもない為、トラブルは少なく、外との接触も少ない迷宮都市は隠れ蓑としては最適と言える。しかも、単身で迷宮に潜っている為、周りから見れば長生きしているだけで、シキの仕事っぷりを知っているのは取引相手のグラウスや飲み仲間のダグザなど、限られた者達だけだ。
6年間も迷宮都市を隠れ蓑にし続けた結果、完全に世捨て人になってしまったわけだが、今更国に未練などあるわけもなく、世捨て人になって困ることと言えば、各地を旅する時の情報量だろう。
つい先日耳にした魔石の一件もそうだが、万が一にでも戦争が起きていた場合、森を抜ければそこは戦場だった、などという冗談でも笑えない状況に直面しかねない。積極的に情報を集めないシキが悪いのだが、些か以上に世情に疎すぎる事も確かだ。
「……馬車」
ビストロへ向かう街道を歩いていると、道の合流先に2台の馬車を中心とした一団を見つけた。
迷宮都市はその治安や管理の問題上、街道をまっすぐ進めば行き着くという場所ではなく、街道上にある横道に入って行き着くような場所だ。
迷宮都市付近の平原を越え、森の中へと続く街道を進み、ようやく本街道へと出ることができた。
本街道では商隊から個人の商人、他には冒険者を多く見かけることがある。
しかし、シキが目にした馬車は貴族が乗るような豪勢かつ大きな馬車だった。護衛に付いているのはしっかりと武装している兵士であり、商隊とその護衛の冒険者という光景ではない。随分と物々しい雰囲気で、進行方向がビストロである為、そのまま進めばその一団の背後に付くことはまず間違いないだろう。
身形だけならばその一団に加わったところでなんら見劣りしない見事な甲冑を身に着けている彼だが、何かあったことを臭わせる物々しさは「関わってはいけない」と思わせる物があった。
(何かあったんだろうな)
6年間の多くを迷宮で過ごしてきた隠者のシキだが、それまでは大貴族だっただけに、国が多くの問題を抱えていることをよく知っている。乱世と平和に波があるとすれば、今は乱世の波があると言える。尤も、それは6年前の情報で有り、実際の所は情報を集めていない彼が知るはずもないため、何処かの国で何かしらがあったという酷くいい加減な予測になる。
シキの予想は間違った物ではなかった。
事の始まりは3ヶ月前に起きたエルメフィリア王国とガルガスタン帝国の戦争にある。
このメルドラル地方において覇権を握ろうと乗り出したガルガスタン帝国がエルメフィリア王国へと宣戦布告し、燻っていた火種が一気に燃え広がった。
かつて人間を滅ぼそうと大陸北部から侵攻したたった1人で退け、魔族を滅ぼしかけたとまで言われる大英雄「勇者」を召喚した魔法を使い、帝国は勇者を召喚、それに対抗するようにエルメフィリア王国のみならず、その戦争で危機感を覚えた隣国のマルデリア王国も勇者召喚を行った。
連鎖的に起こった出来事はまさしく火種が引火して行くのと同じで、エルメフィリア王国とガルガスタン帝国の戦争はエルメフィリア王国の大敗北に始まった。しかし、その直後に北で燻っていた魔族が南下を開始し、帝国はその対処の為に王国侵攻の足取りは止まり、北部の領土を占領するに留まった。
エルメフィリア王国は長年の政戦により国内は分断されており、此度の戦争の敗因には国を守護してきた大貴族が滅亡していたことが大きな要因としてあげられた。
アービスト公爵家、6年前に起きたノル事件を切っ掛けに次々と家の者が死に絶えた名門貴族だ。王国の守護者とも呼ばれたその一族は武勇に優れ、国王派閥筆頭で有り、有事となれば国の剣となり、盾となる国の柱だった。
そんな家が滅亡した事により、王室の発言力は大きく衰退し、有事に国をまとめ上げるだけの力も実力も、そして兵を率いる将すら居らず、大敗北を喫した。そして、長年続いていた政戦は国を半分に割った。
長年争ってきたビレンツ公爵家とアルトワルツ公爵家の勢力に分かれ、王族を担ぎ上げては内戦を始めたのだ。
政戦はどの時代にもある事、そう言ってしまえばそれまでだが、他国と戦争をしている時にまで内輪揉めをする危機意識の低さは驚きを通り越して尊敬の念すら抱かせるだろう。
(こんな時にお爺様は一体何処に……)
エルメフィリア王国と国境を接しているマルデリア王国フェルベゴール領の令嬢、アーデルハイド・フェルベゴールは胃が痛かった。
今のガルガスタン帝国は魔族の相手に時間を掛けている為、幾分かの猶予はあるのだが、このまま隣国に内戦を続けられると、帝国の覇道の前に踏みつぶされることになる。その為、マルデリア王国は隣国のごたごたに頭を突っ込みざるを得なくなった。
それは良い。いや、厳密には懇意であった穏健派のアービスト家が滅んだ時点で問題はあったのだが、帝国が動き出した以上、手をこまねいている暇など無い。
マルデリア王国は国境を接している東部の派閥アルトワルツ家と接触を図り、いち早く内乱に終止符を打とうとした。
それに当たってアルトワルツ公を始めとする主要な面々との会談を用意する必要があった。
長くは離れられない事を理由に、会談の場所は王都ではなく、エルメフィリア王国に比較的近く、尚且つ大都市であるビストロに決まった。そして、アルトワルツ公らを向かい入れるに当たって、フェルベゴール家の令嬢であるアーデルハイドに白羽の矢が立った。
「浮かない顔だね」
艶やかな長い金髪に琥珀色の瞳をした少女に対して、銀髪に琥珀色の瞳をした優男が穏やかに語りかける。
「いえ、すみません、殿下」
馬車の中にはアーデルハイドともう1人、エルメフィリア王国第1王子のルキウス・エルメフィリアが居た。第1王子と言えば聞こえは良いが、既に実質的な権力は失われており、今では担ぎ上げる為の神輿に過ぎない。
現在、エルメフィリア王国国王エドワード2世は娘のシビル第2王女と共に王都で軟禁状態に有り、ルキウスとエステル第2王女はアルトワルツ公に担がれ、ビレンツ公は親類のエレーヌ第4王女を担ぎ出している。
「いいんだ、溜め息をつきたくもなるだろう。我が国は誰が見ても末期だよ、2つの派閥で勇者を召喚して、本来は魔族を打ち倒す為の力を同族殺しに使おうとしている」
ルキウスはアルトワルツ公らが別の馬車に乗っていることを良いことに、遠い目をしながら語る。
「アーデルハイド嬢とてリーベル商会の会頭としてお忙しいはず、煩わしいと感じているのでは?」
アーデルハイド・フェルベゴールがただの公爵令嬢であるのならば、平然としていたのだろうが、彼女はリーベル商会と言う祖父が立ち上げた商会を受け継いだ身だ。そのため、普段から商会に時間を取られている多忙な立場にあるのだ。
「その……お恥ずかしながら、今は魔石が急に枯渇した状態でして」
フェルベゴール家が押さえていた鉱山から急に魔石が消失した。その鉱山は王国でも随一の魔石生産量を誇る一大鉱脈で、現在王国中は大混乱状態にある。これから冬が訪れるという時期になってこんな天変地異が起きたせいで、冬に凍える心配をしなければならない。
「聞いてはいるよ、問題は多いみたいだ。我が国でも同じ問題があるというのに、僕たち貴族は戦争のことばかり考えている」
平時であれば次期国王などと呼ばれていた人物なのだろうが、今は衰退しきった王権に価値など薄く、こうして旗印に担がれているだけだ。尤も、王位継承権の問題で言えば、彼は第2位だったのだが、現在は彼の姉に当たる人物が他界し、王位継承権は繰り上がって第1位にある。
「殿下は魔石が消えたことをどうお考えになりますか?」
「時期が時期だからね、魔族が攻め入ってきた事を考えれば、もしかすると魔族が原因を知っているかも知れない。とは言え、戦争で死ぬ人の数より、凍えて死ぬ人の方が心配だよ」
暖を取る為に消費する薪と魔石の金額を比較すれば、コストパフォーマンスが良い魔石に軍配が上がる。そもそも、今まで魔石に頼り切っていたにも関わらず、魔石が急に無くなったからといって薪の需要が高まれば、需要と供給の形に従って値段は上昇する。一般人には手痛い出費となり、冬を越せない者が出てくる。
「魔族ですか……」
魔族とは異形の種、人間より強靱な肉体を持った強力な種族で、このメルドラル地方の北に存在する。500年ほど前に大きな戦争があり、一度は飲み込まれ掛けたものの、勇者の活躍によって北へ追いやった。それが勇者を信仰しているオーガスタ教に残る伝承だ。
人間からすれば魔族は未知の生命体と言うほか無く、大魔法で天変地異を引き起こすことができないとも言い切れない。
事実、戦争が起きる500年前の大陸中央部はまだ人が住める環境で有り、戦争の影響で人間は大陸中央部を失い、現在は魔物の巣窟と化している。これに関しては魔物の大魔法が原因という説が有力だ。
「もし、何らかの魔法による物であれば、アーデルハイド嬢の祖父ならばご存じなのでは?」
「このような事例は聞いたことがありませんので、いくら祖父でも……それに、今どこに居るのかよく分かりませんので」
彼女の祖父は高名な魔導士なのだ。リーベル商会を立ち上げ、国の経済に大きく貢献する一方で魔導でも国を牽引してきた人物で、自分勝手なところを除けば尊敬できる方だ。
「分からない? カーディナル魔導学院で学院長をやっておられると聞いたが」
その言葉に頭を痛くしたのか、アーデルハイドはぐっと目頭を押さえた。
容姿としては非常に整っており、16歳という若さに相応しく、とても可愛らしい外見をしているのだが、悩みを抱えた彼女の姿は胃痛を抱えた文官のそれに近い。
「恐らくは迷宮都市と思うのですが、学院の方で講義がない時にはよくそちらに行かれているようでして」
学院長というのは肩書きで、やることは少ない。彼女の祖父は定期的にある講義で教壇に立つ程度で、それ以外の仕事は基本的に少なく、頻繁にとまではいかないが、彼女の祖父は一定の頻度で迷宮都市に足を運んでいた。
「迷宮都市と言うと、随分と危険だとは聞くが」
危険というのは、迷宮から溢れ出てくる魔物のことなどではなく、治安的な意味合いでだ。出稼ぎなどで人が集まるような場所である為、貧困層が多いというわけではないのだが、犯罪率は取り締まる物が誰一人としていないため、非常に高い。危険性だけで言えばスラム街より危険だ。
「世間の汚点をかき集めた場所です。業腹ながら、鉱山の魔石が枯渇した今、纏まった数の魔石を唯一提供できる存在です」
「平民に生命線を牛耳られたという訳か」
貴族からすれば不愉快極まる事だろう。今まで自身らが主導で動かしていた鉱山が軒並みストップした挙げ句、掘っ立て小屋が建ち並ぶ社会不適合者の集合体に経済の一端を握られ、このまま魔石の問題が改善しなければそれこそ、社会不適合者の気分次第で国が滅びかねない。
「農民によって食事が、職人によって道具が、そして商人によってそれらを循環させているわけですから、民が居るからこそ貴族の生活が成り立っていると言えます。ただ……」
貴族や王族の仕事が箱庭を管理することであるならば、民の仕事は箱庭を満たす事だ。人の上に立つ存在と言うのは、下に居る人の働きによって維持されている立場で、それを忘れて暴君のように振る舞うことなど許されない。
「犯罪者のような者達によって成り立っていると考えたくない、それは誰もが思う所さ」
しかし、下に居る者が犯罪者集団であると思いたくないのは当然のことだ。もちろん、迷宮都市の中心たる冒険者らは荒くれ者の中でも、ずば抜けて柄の悪い連中の集まりだが、しっかりと働いている真っ当な連中ばかりだ。この2人が良く思っていないのは単純に先入観に他ならない。
「どうにか魔石を入手することができれば良いのですが……はっ、申し訳ございません。すっかり愚痴ばかり零してしまって」
ふと我に返ったアーデルハイドは一国の王子相手に愚痴を零し続けていた。
「気にすることはないさ、こうして人の愚痴を聞く事など余りない機会だからね」
貴族の会話は基本的に相手の腹を探り続けるような物だ。そこから人の本音を聞く事などそうそう出来た物ではなく、ましてや愚痴を聞く事など無い。ルキウスはある意味珍しい体験をしているのかも知れない。
「お恥ずかしい限りです」
アーデルハイドは醜態を晒したにも関わらず、寛大なルキウスの対応に顔を真っ赤にして畏まった。
「とは言え、僕では愚痴を聞くぐらいしかできない。あの人のように知識豊富であったというわけではないからね」
ルキウスは遠い目をしながら話す。
「あの人、というのは?」
「姉上の婿殿さ」
「クルスト様ですか……」
ノル事件、そう名付けられた騒動で故人となった彼の人物は、リリアーヌ第1王女と並んでエルメフィリア王国を担う人物であった事で知られていた。
ノル事件より少し前に婿入りした為、エルメフィリアが死亡時の姓になるが、旧姓の方が圧倒的に通りは良い。アービスト家の嫡男として生まれ、放浪貴族と呼ばれながらも、女王の夫となった。彼の知識は非常に豊かであり、同じく故人となった姉リリアーヌに良く振り回されていた。
クルストの名は国内に留まらず、マルデリア王国でも知られており、貴族らしからぬ振る舞いと知識への執着心、その他豊富な知識に武術への才能等々、変わり者という意味では有名だ。
「あの方の様な聡明な人物なら良い案を思いつくと思いたいよ」
そんな時、外から「馬車を止めて、魔物よ!!」と声が響いた。
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