第5話 予兆
(……邪魔ですね)
前方をゾロゾロと移動している貴族を中心としているのであろう一団を前に、シキは煩わしく思いつつ、ある程度距離を置いて移動していた。
進行方向が同じビストロ方面である以上、逆方向に歩いて離れるというわけにも行かず、ましてやお得意様のグラウスを無視することも出来ない為、微妙な距離を取りながら歩いていた。
いくら街道が幅広いといってもガチガチに馬車を護衛している大所帯ともなれば、おいそれと通り越すこともできず、恐らくは明日のビストロ到着までシキは気を遣い続けなければならないのだろう。
階級社会は身分による絶対的な格差があり、平民どころか世捨て人のシキが貴族相手に敵うはずなどない。
(そもそもここって国境からそれなりに近かったような……)
何故こんな所に貴族が居るのかと気になり、立ち止まって影から地図を取り出す。
今朝まで居た迷宮都市を含めた一大都市ビストロを始めとしたこの近隣の土地を治めているのはフェルベゴール公爵家だ。街道を西に進めばエルメフィリア王国の国境に辿り着き、古くから友好関係にある両国において、今向かっているビストロは交易の要所として重要視されている。
シキがまだ貴族であった頃はビストロにあるカーディナル魔導学院ではエルメフィリア王国の貴族も受け入れられており、ガルガスタン帝国と有事が起きた際に共同歩調を取るはずだった。そう、国内の政戦がなければ5年おきにある防共同盟の更新が円滑に行われるはずだったのだ。
穏健派のアービスト家だった彼は身勝手な行動を取ってはいたが、実家が対帝国政策の中核を担ってきただけに、マルデリア王国の王室との親交が深く、両王国の間を取り持っている立場にあった。その関係を利用して、マルデリア王国内の各地で学ばせて貰った記憶がある。
その関係の良さと言えば、エルメフィリア王国の王権が政戦によって衰退しなければ、シキは今頃、マルデリア王国の王女と結婚していたことだろう。尤も、実際は実家と王室のパイプを強め、アービスト家がエルメフィリア王室の手綱を握っていることを主張する為に、リリアーヌ第1王女と結婚することになったのだが。
それはともかくとして、このベルフェゴール公爵領はエルメフィリア王国の政戦から最も近い場所と言える。シキは内情を知っていただけに、ゴタゴタに巻き込まれればここ一帯が面倒なことになると薄々予感していた。
(まあ、祖国が滅んだところで困るような物でもないか)
シキは祖国の政戦が元で最愛の人を亡くし、実家は滅亡している。
その原因が政戦による物とよく知っており、あの事件を企てたのが一体誰で、それに纏わることも知っている。しかし、それ以上にリリアーヌを守れなかった自分が何よりも許せずにいる。
復讐の念に駆られず、無関心に近い感情を抱いているのは、守る価値がなくなった事が大きい。全ての真相を知った上で、彼は価値無しと判断してしまったのだ。
と、ふとした時に腕が痛み、思わず地図から手を放して左肩を押さえる。
無いはずの左腕が痛むことは日常的な事だ。
まるで左腕が焼かれるような酷い感覚はシキを過去に縛り付ける元凶だ。しかし、それがあるからこそあの惨劇を今もなお鮮明に思い出せるという物だ。
だが、その痛みを和らげることはなく、痛みを忘れる為に日常的に迷宮へ潜り、身を危険に晒さなければ痛みを忘れることなどできない。詰まるところ、生と死の狭間に居なければ、過去に引き摺られて生きることさえままならない情けない男というわけだ。
それを証拠に、地上に居る限り、酒以外に失った腕の痛みを和らげる方法はなく、ただ、命の危うさ以上が彼の痛みを和らげる麻薬なのだ。
自身でも最悪の日々を送っていると自覚しているが、それ以上に出会った女性が素晴らしい人物であったと思う時が多い。
愛する人物すら守れない弱者は死ぬことすら許されず、ただ、惰性のような日々を送ることしか許されない。愛する人は「生きろ」と告げた。それはシキにとって呪いだ。理想と夢に生き、策謀によって死んでいったただ1人の少女と、愛と忠節に生きる騎士が残した絆にして、唯一の道だ。
(……やはり、一度はリリィの側に行かなければ生きていけぬほど、私は弱いようです)
地図を影の中に戻し、じっと痛みをこらえる。
この痛みも、彼女との絆の1つなのだろう。
天真爛漫な彼女の笑顔に惚れ、無茶な要望に笑い、夢物語に忠誠を誓った。今思えば子供の空想と無茶振りに振り回されただけの日々だったのかも知れないが、それでも共に歩もうと思えるほどに惚れ込んだ思いは今も色褪せることなど無い。
過去に囚われた愚かな者と罵る者が居たとしても、彼は「それが人生を語るに当たる全てであった」と笑うことだろう。それ程までに恋い焦がれ、夢を見ていたのだから、何も悔いることはない。今はただ、その夢から覚め、尽くすばかりで、恋い焦がれるだけの愚かな人形に過ぎないと痛感するだけの時間を過ごすだけなのだ。
(全く、痛みを忘れる方法が迷宮に潜るか、酒に溺れるかなど、お笑いぐさも良いところか)
耐えがたい痛みは如何せん、傷口その物がない。いくら苦しがろうが、いくら痛かろうが、物理的にそれを和らげる方法はなく、気を紛らわす為に地上に居る時は飲んだくれる事が多い。
しかし、今は旅路の途中、日のある内から酒を飲んで夜盗や魔物に襲われては笑い物だ。なにより、痛みを忘れるまで飲むのならば普通に旅をすることさえ出来ないだろう。故に、今は我慢するほか無い。
(嫌な一日だ)
気を紛らわす為に木製の水筒を取り出し、水を口に含む。
そして、痛みを抑えて再び歩き出す頃には前方の集団とは随分と距離が離れてしまい、曇っていた気分も少しは晴れるという物だ。
場所はいくらか前に移り、シキが煩わしく思っている馬車の一団。
先頭を進むのはアーデルハイド配下の部隊、側面、背後はエルメフィリア王国の騎士らで固められている。
出迎えという意味合いで先導する役割を担っているアーデルハイドは自分の配下を先頭に立たせ、道先案内人の役割を担わせている。
その面々は男ばかりのエルメフィリア王国とは逆で、女ばかりで構成されていた。
普段はリーベル商会の会頭として活躍しているアーデルハイドの配下は、ただの侍従としての役割に留まらず、戦闘訓練を積んだ立派な武装集団だ。先頭の2人を除けば全員メイド服姿だが、剣や槍で武装した物々しい格好は異彩を放っていると言ってもいい。
「……」
尤も、メイド部隊以上に異色なのが先頭の2人だ。
一方は身の丈ほどある大剣を背負った、長い赤髪の少女。もう一方はしなやかな肢体から察するに、どう考えても女性であるはずの執事服を着た銀髪の女性だ。
甲冑を着込み、その大剣は大男が持ち上げられるかどうかという程の大きさで、武装の総重量は騎士らより遙かに重いであろう、赤髪の少女は不意に周囲をキョロキョロと警戒し出す。
「ルイス、何か居ますか?」
侍従をまとめる立場にある執事服姿のアイリスは鼻の利くルイスに語りかける。
「魔力が濃い」
地上における魔力濃度の分布図というのは、世界各地に点在する魔力の源泉を中心として、源泉から離れれば離れるほど魔力濃度が薄くなる。無論、管理者の居ない迷宮とは違い、地上は精霊によって管理されている為、迷宮ほど危険ではない。
街道は場所によってはある程度魔力の濃い場所を通ることもあるが、程度が知れており、遭遇する魔物も大したことはない。とは言え、野犬などの生易しい次元ではない為、冒険者が派遣され、日頃から街道の安全はある程度確保されている。
「……確かに」
基本的に魔力の濃度が変動するなどそう易々とある事ではない。
しかし、つい先日、各地の鉱山から魔石が消滅した大事があっただけに、あまりいい予感はしない。
魔力の濃度など、瘴気が発生するような異常濃度にでもならない限り、中々気付きにくい物だ。何せ、空気中には魔力などいくらでも存在しているし、本来人間が感知しにくい魔力を感じ取るには一種の才能が必要になる。
「魔物が潜んでても可笑しくない」
戦闘訓練を積んだメイド服の侍従と違い、別の格好をしているルイスとアイリスは冒険者上がりの実力者だ。訓練の次元で終わっている者と違い、彼女らは実戦を積み上げてアーデルハイドに召し抱えられた人物で、ルイスが背負っている大剣やアイリスが腰に携えている剣は迷宮で発見された魔剣と呼ばれる類いの代物だ。
尤も、現役時代からの獲物というわけではなく、アーデルハイドに召し抱えられてから貸し与えられた物だ。
しかし、魔剣を扱えるだけの技量を持っていることの証明でも有り、その実力は並みの騎士と比較するまでもない。
「ルイスの鼻が利かないのは拙いですね」
無表情な彼女だが、この一団の中で最も勘が鋭いと言っていい。しかし、魔力濃度が上がれば上がるほど、魔物を感知する感度が下がる。
何せ魔物は知的生命体などではなく、動き回る魔力の塊である為、生命特有の気配を持っておらず、魔力濃度が高ければ非常に高いステルス性を発揮する。その為、もし周囲の魔力以下の反応しか示さない魔物が潜んでいた場合、目視以外で確かめる方法は存在しない。
「森は魔力が豊かな証拠、そこが怖い」
ビストロは周囲の自然が豊かな環境に存在する都市だ。自然豊かと言うことは精霊が管理している土地が多く、恵みが多いと言うことでもある。
森、山、川、湖など、恵みの種類は多いが、大小様々な魔力の源泉が近くにあり、現在通過している場所も魔力の源泉から遠くない場所にある。それは、魔物が出現しやすい場所から近いと言うことであり、特に森は見晴らしが悪い為、気付きにくい。
ルイスは周囲の森を見渡して警戒に当たるが、光の多くを遮ってしまう森の中はほとんど手付かずの為か、草花がうっそうとしており、風や野鳥のさえずりによって音は絶え間なく流れてくる。
「この数なら困ることは無いと思うけれど」
魔物に理性があるわけではない為、相手の数が多いから襲わないという考えはない。魔物は実態のある生命体なら人間だろうが家畜だろうが、何でも喰らってしまう化け物だ。魔力を補給し続けなければ、いずれは自然消滅してしまう魔物の行動原理は非常に簡単な物で、人間や動物を見かければ迷わず襲う、ただそれだけだ。
不思議なことに共食いはしない為、魔物が大量に発生した場合、村や都市に押し寄せることがある。それ故、迷宮都市は常に魔物の危険に晒されている形になっているのだが、他の都市も実感がないだけで、魔物は地上にも溢れている。
「少数なら困ることはない。街を襲う規模なら危険」
何も魔物からこちらが丸見えというわけではない。露骨に魔法を使っておびき寄せでもしない限り、魔物はこちらを認識できないのだ。しかし、一度見つかれば連鎖的に次から次へと襲い来る。
悠長に戦闘している間に、次の魔物が、そしてまた次の、と言う風に周囲に居た感知できただけの魔物が襲いかかってくるのだ。もし、街を襲えるだけの数が居て、その魔物の索敵網に引っ掛かった場合、全滅すら有り得る。
「野鳥がさえずっている間はまだ安心できると思うけれど、不穏ですね」
冒険者の間では「野鳥の声が途絶えた時に魔物が現れる」と言われている。それは魔物に食われたか、危険を感じて飛び去ったかのどちらかだが、少なくとも鳥の知覚できる範囲で何かしらの異変があった事を示す。
「それ、迷信」
「え、それ本当ですか?」
「私は襲われてる」
「それは鳥が気付かなかっただけじゃないですか?」
「そうとも言う」
あくまで鳥も自分が感じ取れる範囲で行動しているのであって、万能の警報器であるわけではない。しかし、天性の感覚や、経験は嘘をつかない。特に、魔物は理性ある生命体ではない為、駆け引きと言うことは存在せず、感じ取った直感は大凡当たっている。
と、そんな時、2人はその異変にいち早く気付いた。
先ほどまで鳴いていた野鳥の一部がピタリとさえずりを止め、微かな魔力の変動が不穏な空気を招き入れる。
「馬車を止めて、魔物よ!!」
と、アイリスがそう言い放つと、一行は緊張感に包まれる。
護衛に当たっていた馬車の盾になるようにして騎士らは隊列を組み、アイリスらの侍従部隊も武器を構えて身構える。
ルイスは背負っていた大剣を抜き放ち、小柄な体格からは考えられないほどの腕力で身の丈ほどある剣を構える。
アイリスは右手で腰に携えた魔剣を抜き放ち、左手には何処に仕込んでいたのか、魔石を削って造られた投げナイフを持ち、じっと森を睨む。
そして、数秒の静寂の後、森から魔物が姿を現した。
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