シキの幻肢痛

綾織吟

第1章 隻腕の青年と慌ただしい世界

第0話 業火の中で

 少年は自由を愛する優しい騎士だった。

 国の大貴族として生まれ、将来は国を担う一人となり得たであろう少年は気高くあろうとした。

「リリィ、リリィ!! 気を確かに!!」

 燃えさかる屋敷の中、少年は左腕を失いながらも残った右手で血塗れの少女を抱きかかえ、必死に呼びかける。

 たった一人の少女を守れずして何が騎士だ。

「クルスト……貴方は、生きて……」

 少年は強かった、少年は優しかった。僅か14という若さで誰もを圧倒するだけの力を持っていた。さぞ力を誇ったことだろう、さぞ満たされたことだろう。

 妻となった女性に剣を捧げ、忠節の騎士として誰もが認めるだけの力、器量を持っていた。

 だがどうだ、今まさに、たった一人の少女すら守れなかった罪深き騎士が居るではないか。

「なにを……」

 屋敷に火を放ち、警護の兵士も、使用人も、それら全てを皆殺しにした刺客を何十人と切り伏せ、返り血塗れになった少年には少女を救うだけの力など残されていなかった。

 利き腕ではないにしても片腕を失い、大量の血を流した彼は自分の命をつなぎ止めるだけが精一杯で、救わなければならない人をただ、看取ることしかできなかった。

「さっきから、寒いの……温めて、くれる?」

「ええ……ええ……」

 涙が止まらなかった。

 自身の無力さ、辛さ、悲しさ、何も守れなかった無意味な力は今まで自身が築いてきた物全てを崩壊させた。

 今はただ、愛した人を右腕で抱きしめることしかできなかった。

「ありがとう」

「私は、殿下に永遠の忠節を誓った身です。愛しき貴方を守れなかった私をお恨みください」

 酷い顔をしているだろう。胸が今にも張り裂けそうなほどに苦しい思いをしている。こんなにも近くに居るというのに、救える力が無いだなんて、己の無力さがあまりにも憎かった。

「だめよ……愛を誓ってくれなきゃ」

「永遠の愛と忠誠を誓います、リリアーヌ」

「さようなら、愛しき騎士」

 少女は最後の力を振り絞り、少年の身体を引き寄せてその唇を奪った。

 そして、徐々にその力が抜けていき、少女から光と温かさが失われ、腕はだらりと垂れ、二度と目を覚まさなくなった。

 この世で最も大切な人を失い、自身が今まで築き上げてきた物全てが崩れ去って行くような、辛く、苦しく、悲しい、あまりにも残酷な現実を前に、魂は悲鳴を上げる。

「リリアーヌ、貴方の居ない世界など……」

 無力さを呪え、自身の強さなどまやかしだ。

 何が忠節の騎士か、最優の騎士であろうと、最強の騎士であろうと、守るべき人を誰一人として守れなかった者など無価値、無意味だ。

 力を得た末に何を為したというのか、ただ失っただけではないか、己の無力さを知り、唯々空っぽな心を引き摺って、主を失った騎士として生きていかなければならない。

 彼女の「生きろ」という言葉は呪縛のように魂に刻まれ、軋み始める心はこの時間に囚われ始める。


―――これは、主を失った忠節の騎士の物語

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