第6話 戦闘開始
エルメフィリア王国及びアーデルハイド一行が魔物の存在に気付く直前のこと、シキは地面に手を付けて、魔物の気配を薄々感じ取っていた。
徐々に魔力の濃度が変化していったことを感じ取り、地面に手を当てて周囲の魔力を確認する。
シキを含め、高い頻度で迷宮に潜る者は自然と魔物には敏感になる。
ダグザを始めとした上層で魔物を狩り続けている冒険者らは、周囲の魔力濃度を感じ取ることには長けていないが、十分に視界の確保できない迷宮の中で、どれだけの魔物が何処に居るかなどと言う大体の情報は感覚で身につく。それこそ、日常的に魔物を倒している事を考えれば、他の都市に居る冒険者より、感覚は敏感になるし、暗闇にも順応しやすい。
シキは地図すらない迷宮でどの深さまで潜っているかを大気中の魔力濃度で判断しており、それでいて魔物にも敏感な感覚を備えている。尤も、これは天性の感覚などでは無く、6年間も迷宮に潜り続けたからこそ身についた特技であり、一日に顔を合わす人間の数より、魔物の数の方が圧倒的に多いという寂しい人生を送ってきた結果とも言える。
魔物においては迷宮都市に居る探検家や冒険者の右に出るものは居ない。彼らはいち早く魔物の接近に気付き、戦うか、あるいは逃げるかしている。
(……この先の森に居ますね)
とはいえ、正確な数字まで分かるはずなどなく、いつでも襲いかかってきても対処できるように準備しておくぐらいしかやることがない。
普段は極めて短距離の感覚で強力かつ大量の魔物が居る為、普段と感じ取る感覚は違うが、大量の魔物が居れば嫌でも気付くという物だった。
戦闘の邪魔になるからと外套を影に放り込み、魔剣を抜き放つ。
魔物を倒すことを生業としている訳ではないが、探検家という仕事の都合上、魔物を倒さないで生きていけるほど生易しい世界ではない。下層まで潜れば強力な魔物に追いかけ回されながら、宝探しをしなければならないし、中層で経路の下調べをじっくりするにも大量の魔物を排除しなければならない。しかも、今のように広々とした場所で満足に戦えれば良いのかも知れないが、普段は狭い通路や、多少開けた部屋である為、攻撃手段は限られている。
そんな日常的な光景と比べれば、非常に恵まれた環境で戦えるのだ。
「さて……」
ゾロゾロと現れたのはゴブリンやレッドキャップと言った人型の魔物を中心とした下位の魔物だ。それに続いて、迷宮の中層以下でよく見かけるハイエナのような魔物、さらには大部屋ぐらいでしか見ることのないトロールまで居た。
「些か多い気もしますが、大して強力な相手が居るわけでもなく……」
一歩、二歩、シキはその片腕で白銀の魔剣を振るい、群がりつつあるゴブリンの首をはね飛ばした。
魔物と遭遇することなど、迷宮に居れば日常茶飯事の出来事、むしろ魔物に遭遇しない方が心配になるほどの遭遇率だ。そんな場所に年中籠もっているようなシキの感覚は異常を通り越して、気が狂っているとしか思えない。
「揺らげ、貫け、汝の影は杭と成す」
呪文をそう唱えれば彼の周囲に居る魔物の影から刃が伸びる。まるで鋭い槍のように、次々と魔物の足下から影が突き上がり、串刺しとなる。
それにより、ゴブリンやハイエナと言った魔物は消滅するが、肥え太り、4mほどあるトロール相手には一撃浴びせたところでびくともせず、串刺しになりながらも動こうとする。
しかし、その巨体から攻撃が繰り出されることは無く……
「杭は咲き誇る花となる」
と、続けて一言、すると串刺しになっていた魔物は揃って体内からはじけるように、影の刃がズタズタに引き裂いた。
修復限界を迎えた魔物は光の粒子へとなり、霧散し、その場に小ぶりな魔石を落とす。
半透明な魔石から、紅く濁った魔石などなど、純度や大きさにはバラつきがあった。それは魔物の強さや、倒されるまでに消費してきた魔力によって個体差が出てくる為、鉱山から採掘できる魔石と比べれば、大きさも質も整わない不均一な物だ。
シキの影は大きく揺らぎ、周辺に散らばった魔石まで影が伸び、影の中へと引きずり込む。
極々僅かな戦闘ではあったが、今倒した魔物は全体からすればほんの一部に過ぎない。魔物は一度戦闘を開始してしまえば、それに釣られて次々に姿を現す物だ。それだけに、悠長に構えていると魔物に包囲されてしまうことは目に見えている。
尤も、集団戦の場合は一塊になって順々に処理していくのが一般的だ。その一方、シキは魔物相手に殲滅戦をする時は決まって下層へ潜る為の下調べをしている時で有り、魔物を倒して回りながら下見をする。
それ故、次の魔物が現れるまで悠長に待っているのではなく、次の魔物が居る場所まで移動するのが癖になっていた。
「しかし、少々多すぎやしませんかね」
次々と森から現れてくる魔物を見て、迷宮以上の敵の数を思わせる。無論、一日中戦っていれば敵の数など数える気にもならなくなる物だが、一気に大量の敵が押し寄せれば多いと感じることも無理はないだろう。
ゴブリン、レットキャップ、コボルト、ハイエナもどき、トロール、地上ではまずこれだけの魔物を見ることなど中々無い為、ある意味では面白い体験をしているのかも知れないが、このまま行けばもっと強力な魔物と出会す可能性すらある。
(時期をずらしておけばこんな事にはならなかったんでしょうね)
気分転換には良いと思ってしまったが、グラウスの話を受けてしまったばっかりに、こうして迷宮に居る時と同じように、大量の魔物を相手にしなければならないと言うことは、わざわざ迷宮都市を出た意味が無いのではないだろうか、そう思わせるだけの出来事に嫌気すら差す。
「誇り高く吠えよ、影より来たりて隷属せよ、我は扉を開く愚者」
詠唱と共に影から4つほど魔石が吐き出される。その魔石は闇が溢れ出るようにして黒い球体となり、影がその球体を包み込む。
その影は大柄の狼の形へと変わり、4つの魔石は4匹の黒い毛並みの狼へと変貌する。
大気中の魔力を凝縮させ、魔石が造られ、それを核として魔物が出現する。ならば、魔石を核として意図的に魔物を生み出すことは理論上可能だ。
シキが今行ったのは魔石を核とした使い魔の召喚だ。構造その物は魔物と同じで、彼の命令に従順である事を除けば、魔物と何ら変わらない。迷宮の中ではこんな物を召喚したところで手狭な迷宮が余計に狭くなって思うように立ち回れないが、こう言った広い場所なら話は別だ。
そして、狼は次々に集まってくる魔物へと襲いかかり、恐るべき速度で魔物をかみ砕き、核となる魔石を飲み込んで行く。
始めに核となる魔石と、身体を構成するだけの魔力は必要とされるが、その後は狼が魔物を補食し続ける限り自然消滅することはない。何せ、魔物も狼も身体を構成しているのは同じ魔力で有り、魔物が生命維持の為に生命体を捕食し続けなければならないように、狼も魔力となる物を捕食し続けていれば消滅することはないのだ。
魔石を喰らい続ければ、狼の核となっている魔石も肥大化し、それに合わせて身体も大きくなり、そしてより強力になり、そして燃費が悪化する。
魔導士としてシキが未熟なのか、あるいはどうにもならないのかは定かではないが、一定の大きさになれば巨大化は止まるのだが、元の大きさを維持したまま戦い続けると言うことはどうにもできないようだ。
迷宮で発見した古代の文献を元に編み出した魔法だが、最も得意とする魔法でやったとしても、粗雑になってしまう部分があるのは勉強不足による物だ。
4匹の狼が食欲旺盛と言わんばかりに次々と魔物を喰らっている間にもシキは魔剣を振るい、魔物を倒して行く。
(地上はこんなにも危険な場所だっただろうか……)
と、年を追うごとに世情に疎く、そして世捨て人に磨きが掛かっているシキは迷宮に居るような感覚で敵を倒して行く。無論、鉱山から魔石が突如として消え去っていることを他人事と思い、半ば聞き流しているような彼が、今起きている異常事態を認識しているはずなど無く、迷宮都市で鈍りきった世情の感覚を忘れ去っていた。
シキが魔物を切り捨てたり、狼が魔物を補食したりしている前方、魔物の大軍に囲まれている一行は苦戦を強いられていた。
魔物との戦闘において最も重要なのは処理能力だ。一度魔物の索敵網に引っ掛かれば、次から次へと魔物が押し寄せてくる。つまり、増援以上の数を減らし続けなければ、状況は悪化の一途を辿り、体力や魔力に限度のある人間側が最終的に捕食されて全滅する。
馬車の外では叫び声が行き交い、指揮系統が混乱していないまでも、外の様子が窺いにくい馬車の中からでも苦戦していることが分かった。
前方の馬車に乗っているアーデルハイドとルキウスは大人しく馬車の中で床に伏せ、戦闘が終わるまでじっとしていたが、後方の馬車では、不安を煽っている人物が一人居た。
「なあ、終わらないのか?」
その馬車に乗っている面々はギュンター・アルトワルツ公爵を始めとして、その娘に当たるレスティア・アルトワルツ、ルキウスの異母兄弟のエステル第3王女、そして茶髪の少年だ。
少年の顔立ちはメルドラル地方においては珍しく、周りと比べて明らかに落ち着きがなく、外で起きている戦闘に対して過敏に反応していた。
「落ち着いてくださいませ、アキヒサ様」
余裕たっぷりに、とは行かないが、少なくとも目の前に居るこの少年よりは落ち着いた様子の青髪の少女がレスティア・アルトワルツ、先ほどからイライラを募らせている勇者アキヒサ・ミツルギのお目付役に任じられた公爵令嬢だ。
「そう言うがな、戦闘が始まって随分経つじゃないか」
御劔明久、彼は2ヶ月ほど前にこの世界に召喚された一般的な高校生だ。ガルガスタン帝国に大敗を喫し、国が2分された後に召喚された彼は「国を統一し、悪しき帝国を打ち倒すことのできる英雄」と、耳障りのいい話を聞かされて、見事に国の旗印として担ぎ上げられた。かつて魔族侵攻の危機から救った勇者を信仰するオーガスタ教からすれば聖人どころか、信仰の象徴である為、夢見がちな高校生を旗印にするのは非常に容易い事だった。
「慌てたところで状況は好転しませんぞ、そうカリカリされますと、殿下も不安に思われてしまいます」
そう言うアルトワルツ公だが、状況が芳しくないことは理解していた。
先ほどから、この少年が落ち着かないせいで、エステル第3王女が不安に駆られているのだ。
気の小さな少女は、先ほどからアキヒサが喋る度にその金色の髪を揺らしている。翡翠色の瞳には不安の色が明確にあり、おどおどとしている様子だ。
アルトワルツ公は大筋だけで言えば大凡、思い通りに事が運んでいる策士と言える。しかし、細部において誤算が生じ、決め手に欠けているというのが現状で、最近の誤算はこの勇者だ。
勇者召喚を行うところまでは巧く事が運んでいた。しかし、召喚された少年に問題があった。正確には伝承を鵜呑みにしていたのが誤算だったのかも知れないが、外れくじをした思いになった事は確かだ。
何せ、伝承で伝えられている、オーガスタ教の言う勇者とやらは「武勇に優れ、数多の魔法を使いこなし、兵士を奮い立たせる英雄」と言う物だ。事実、かつてあったと言われる魔族侵攻に際して、先陣を切る英雄であった。ならば、勇者召喚を行えば絵に描いたような英雄が召喚される物だと期待してしまうのが普通だ。
しかし現実はどうだろうか、この御劔明久、旗印として担ぎ上げるのは恐ろしく容易だったが、対応していて感じたことは「権力と金に溺れた愚かな貴族」という、不思議とこの貴族社会では既視感のある人物だったのだ。
もっと英雄のように毅然と振る舞っているような人柄をしているか、並外れた戦闘能力を持つ勇猛果敢な戦士であったのならば、まだ納得できるだろうが、ここに居るのは勇者の肩書きを持った小童だ。
勇者召喚により、強力な力を施されたらしいが、聞けば剣すら握ったことのない平和ぼけした一般人だと言うではないか、少年は初陣で大活躍するなどと意気込んではいたが、早々に戦死することが目に見えているアルトワルツ公はそんな少年を見す見す死なせ、派閥の勢いを削ぐことなどできるはずもない。
「だが、こんな街道で現れるモンスターなんてたかが知れてるはずだろ?」
そんなことを教えたつもりはないが、アキヒサは知っているかのような口ぶりで話す。
確かに、こんな街道に出現してくる魔物は冒険者を巡回させていれば問題ないような次元だ。
「なにやら、異変が起きているのかも知れませんな」
事実、襲われてからそれなりの時間が経過するが、アーデルハイド配下の侍従とアルトワルツ公配下の兵士を含めれば40人ほどの大所帯になるはずだ。だと言うのに、未だに片付かないと言うことは、かなり大規模な魔物に襲われていることを意味する。
「異変たって……」
「殿下、ご安心くださいな、すぐに騎士共が魔物を倒します故」
アルトワルツ公とアキヒサは全く別のことで業を煮やしている一方で、レスティアは先ほどから怯えているエステルに声を掛ける。
「は、はい」
エステルは現在生きている3人の王女の中で最も気弱な人物だ。普段はおっとりとしている優しい人物だが、隣に居るアキヒサ・ミツルギの言葉によってすっかり不安になってしまっていた。
悪循環、悪い方向に進んでいることはまず間違いない。
「アキヒサ様も、勇者である自覚がおありでしたら堂々と構えてくださいな」
気が強い、というよりはハッキリと物を言う彼女はアキヒサにそう言い放った。
この場に居る者が不安に駆られていないとでも言うのか、などと本来であれば言いたいところだが、残念なことにそれを言ってしまえば自信の弱さを認めてしまうことになる。
護衛されている立場なのだから、護衛している者を信じてやらなければならない。そうでなければ命を賭して守ってくれている者達に申し訳が立たないのだ。
しかし、その直後、何かが馬車に激突したのか、激しい音と共に馬車が揺れる。
強がって居たレスティアもさすがに今の衝撃にはビクリと反応するが、残念ながらここ以上の安全地帯が存在しないこともまた事実なのだ。
「これでもか?」
「……そうです」
ここに居るのは勇者という肩書きを持った元一般人と、王侯貴族、剣術や魔法を多少なりとも嗜んではいるが、それでも戦闘を耐え抜くだけの訓練を受けているわけではない、温室育ちの面々だ。
「騎士らを信じられよ、今はただ、それだけです」
そう、ここに居るのは身分こそ高いが、自分一人では何にもできない人物らばかりだ。人を動かすだけの力はあっても、個人では人を倒す力を持たない者ばかり、今はただ、外に居る騎士らが奮闘し、襲い来る魔物をことごとく倒すことを祈ることしかできないのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます