◆ 3日目
薄暗いオフィス。
部屋の明かりは落とされて、手元を照らすデスクライトがぽつりぽつりと疲れた顔を浮かび上がらせていた。
「お先」
うちの一つが消える。
「お疲れ様でした」
画面から目を離さずに、目の前の女性――リコはまさに疲れた声を上げた。
三日目だ。
流石にこれはおかしいと感じる。
ただの夢じゃない。
俺は、眠るたびに彼女の生活を覗き見ている――のではないか。
まだ、半信半疑だが。
でも、そう思わせるほどにはリアルだった。曖昧な所がひとつもない。
今日は少し距離が近い。手を伸ばせば、彼女の肩に触れられそうだった。俺は振り返ってみる。動けはしないが、振り返ることはできるようだ。
並んだ窓にデスクライトが反射して、彼女の背中を浮かび上がらせている。その背中を窓越しに見つめる俺の顔――え?
自分の顔が、見えたと思ったんだが……
気のせいだったのか、もうガラスには彼女の背中しか映っていない。
その背中の向こうを意識して覗き込んだ。
ライトアップされたタワーや特徴的な形のビル。都会に不似合いな公園など、見慣れた景色が夜色に染まっていた。角度は違うが、俺もよく見る景色だった。
あれ。あのビル、工事なんかしてたっけ?
白っぽいパネルかネットに覆われ、足場が組まれている。記憶にないが、注意して見ていたわけでもないしな。
ぎしりと椅子の軋む音に彼女を振り返る。
彼女は長く息を吐きながら大きく伸びをしていた。
時計と手元の書類を見比べて、暫し考え込む。キリがいいんだろう。でも、もう少しやっておきたい。解る気がした。
でも、おれが同僚ならやめとけって言うだろうな。もう二十二時を回っている。次に手を出せば電車が無くなるかもしれない。
そんな意志を込めて見つめたからか、彼女はディスプレイに目を移した瞬間こちらを振り返った。
不安げな視線が辺りを彷徨う。
硬い顔をしてひとつ頭を振ると、彼女は帰り支度を始めたのだった。
見慣れたホームで電車を待つ。
なんだよ。俺も使ってる駅じゃねーか。
やっぱり、彼女は実在してるのか?
そっと視線を戻すと、彼女の頭がかくんと揺れた。
随分お疲れのようだ。
鞄からミント味のタブレットを出して口に放り込む。が。しばらくするとまた頭が揺れて、今度は少しよろけた。
っぶね。
思わず手を出すが、俺の手はするりと彼女をすり抜けた。何とか踏みとどまった彼女は慌てて恥ずかしそうに辺りを見回すと、そっと俯いた。
なんだかもどかしい。
俺は無意識に見えない手を握ったり開いたりしていた。
何とか乗り過ごさずに降りた駅は、うちの最寄駅よりもうひとつ向こうの駅だった。あまり行ったことはない。
駅がひとつ違うだけで、何となく街の雰囲気も違う。気のせいか、降りる女性の数が多い気がした。
駅前のコンビニで遅い夕食を調達して、彼女は家に向かう。
早く帰りたいのは解るけど、ひとつ向こうの、交通量の多い明るい通りを行けばいいのに、と思うのは余計なお世話だろうか。
小さくただいまと呟いて部屋に入ると、彼女は鞄を投げ出してベッドに倒れ込んだ。
ヘッドボードというんだったか、枕元の棚には昨日貰っていた熊が小さめの時計と並んでちょこんと座っており、彼女をお疲れさまと見つめていた。
同じ並びに文庫本が数冊あって、俺が好んで読んでいる作家のものも混じっていた。
微動だにしない彼女に寝てしまったのかと思ったが、しばらくするとおもむろに立ち上がり、上着を脱ぐとバスルームに向かった。
ほんのりと期待してしまった俺をどうしてくれる!
彼女に付き従った視点は洗面所に入る時に瞬いて、次に見えたのは良く知っているはずの天井だった。
混乱の後にやってくる落胆。
俺は自分のベッドの上で目を覚ましていた。
欠伸を隠そうともせずホームに立つ。
寝た気がしない。
具合が悪いと言って午前中サボってしまおうか。そんな囁きが頭の中で聞こえてくる。
まぁ、サボったって仕事が減る訳じゃない。積み上がるだけだ。
人混みに流されながら乗り込んだ車両で、なんとなく彼女を探してみる。似たような背格好の女性はいるが、人が多すぎてよく判らない。車両が違えば見つけられる気がしない。
やはり、夢は夢か。良く知った場所が出てくるのは、思えば当たり前かもしれない。
いつもの駅で降りて、いつもの道を歩く。途中のコンビニでコーヒーと栄養ドリンクを買い、眠気を無理矢理押しやった。
ああ、やっぱり工事なんてやってない。ちょっと、考えすぎかな。
夢の中では工事中だったビルを見上げて、俺は頭を振った。
今日は早く帰ろう。早く帰って、ゆっくり寝るんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます