◆ 6日目

 もしも、それ・・がきっかけだったというなら。

 それが始まりだというのなら、夢は順を追ってはいないということかもしれない。全部過去の出来事かもしれないし、いくつかは――

 組まれた足場が頭を過ぎる。

 まだ、間に合う?

 バクバクいう心臓をTシャツの上から押さえ込んだ。

 彼女はやっぱり実在していて、これから、事故に……?

 ブレーキ音、金属の焼ける匂い、それらがフラッシュバックして心臓がその一度で止まるんじゃないかと思うほど高く鳴った。


 胸を押さえたまま飛び起きる。乱れた呼吸を落ち着かせながら、まずは冷静にならないとと頭を振った。

 汗を流すついでに、黙って頭から滝行みたいにシャワーを浴び続ける。温度を冷たいと感じるくらいに落としたら、一度頭の中が空っぽになったような気がした。




 整理しよう。

 メモとボールペンを手元に用意して、定位置に座り込む。俺は一度も彼女に会ったことが無いと思っていた。でも、今日見た夢と同じだろう場面は確かに現実でもあったのだ。本当に彼女かどうかは残念ながら確かめようがないが、あの日から彼女の夢を見ているという事実だけははっきりしている。

 一番上に『コンビニ』と書きつける。少しずれた位置に今度は見た順に夢の内容を箇条書きにしていった。はっきりしていた夢とはいえ、細部まで思い出すのは無理かもしれない。


 『シャワー』

 『居酒屋』

 『残業』

 『事故』

 『コンビニ』


 何か時系列のヒントになるようなものは無いだろうか。取敢えず、と下の方に『事故』と書いた。これが最後なのは確定だ。

 ビルの覆いはまだされていない。でも足場を組んでいたのだから、今日明日中には覆われてしまうだろう。『事故』の時にも、多分、覆われていた。気を付けては見ていなかったが、あのビルの前は通っているはずだ。


 あとは居酒屋を出たところで火事があったっけ。

 『野次馬、しちゃう!?』派手な彼女の声が聞こえた気がした。

 火事……繁華街……

 あれは、二日前の火事ではないだろうか。あの居酒屋も火事の現場からそう遠くなかったはずだ。

 仮、としながら『居酒屋』を真ん中あたりに置く。あの時貰っていた熊の縫いぐるみは残業から帰った彼女の部屋に飾られていた。『残業』は『居酒屋』と『事故』の間。

 『シャワー』の夢で部屋を見渡した時は、縫いぐるみ系は見当たらなかった気がする。と、いうことは。


 『コンビニ』

 『シャワー』

 『居酒屋』(仮)

  ・

  ・

 『残業』

 『事故』


 間違って、ない、よな?

 穴だらけかもしれないが、きちんと繋がってしまうことにざわりとした。

 まだ半信半疑だ。いや、3対7くらいで信じる気持ちの方が強いかもしれない。

 ちらりとテレビの時計表示に目をやると、いつも家を出る時間に近付きつつあった。

 深呼吸をひとつして、仕事へ行くべく立ち上がる。


 俺は彼女を助けたいのだろうか。助けたいのとは、違うような気もする。あんなことが起こって欲しくない、というのか……もしかしたら、ただ彼女に出会いたいだけなのかもしれない。


 …・…・…・…


 その日の帰りまでに、例のビルは白っぽいグレーのネットで完全に覆われてしまっていた。着実にカウントダウンされているようで、気ばかり焦ってしまう。

 ただ一つ言えることは、今日は事故当日ではないということだけ。彼女があの残業をするのは今日かもしれないけど。

 ――ヒントが無さすぎる。

 工事の予定表にはひと月くらい先までの日付が記してあった。ひと月も気を張っていられる気がしない。毎日定時にあがるなんて無理な話だし、かといって何もせずに日が過ぎるのも気持ち悪い。

 俺は一縷の希望にすがるように、初めてあの夢を見ますようにと願いながらベッドに潜り込んだのだった。




 上司らしい、頭の薄くなった男の机の前で、彼女と他数人が佇んでいる。

 はっとして、辺りを見渡した。何か日付の判る物がないだろうかと思ったのだ。ぐるりと振り返って見ても、何か書き込まれたカレンダーはあるものの、今日が何日かまでは判断が付かなかった。月は確実に今月だったのだけれど。


「……というわけで、悪いが彼の分を手分けしてやってほしい」

「……わかりました……けど、こちらが優先ということになりますよね?」


 中の1人が不安そうな声をあげたので、俺は視線を戻す。

 彼女達は上司からなにやら資料の束とファイルを幾つか渡されている。


「そうだな。今手がけている方は、こちらでなんとか期限を延ばしてもらうよう尽力するつもりだが……しばらく残業してもらうことになるな」

「わかりました」


 それぞれが、心持ち肩を落として自分の席に戻ると、彼女は小さく息を吐いた。


「事故じゃねぇ。仕方ないけど……終わったら、課長にがっつり奢ってもらわなくちゃね!」

「……そうね」


 彼女の隣の席の女性が小声で言ってにっと笑ったのに答えて、彼女も小さく口元を弛めたようだった。

 彼女が恐らく連日残業することになった理由だろうか。と、すると事故の日付のヒントにはならないか……

 俺も肩を落として気を弛めた。振り返ると例のビルはまだ足場も組まれていない状態だった。


「悪いんだけど……今日は先約入っちゃってるから、あんまり遅くまではできないかも。その代わり、明日からはしっかりやるから」


 その声に彼女へと目をやる。彼女が周囲に手を合わせているのが見えた。


「えー? デートかぁ? 許せんな」

「違う違う。一年越しで会う友達なの」

「明日人数分コーヒー差し入れ、決定な」

「ぅ……わ、わかった」


 その周辺だけ小さな笑いが起きる。

 居酒屋に行く日なのかもしれないな。間がいいのか悪いのか。これで明日は無理をしてでも残るのだろう。

 無駄だと解っていて、俺は彼女の頭に手を伸ばした。ぽんぽんと手を置くふりをして、すり抜ける手に自嘲した。

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