明かりを点けて欲しいの 後



 震えるまぶたは、ゆっくりと持ち上がり──‥‥そして、見開かれる。


「カハッ」


 ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ──。


 鮮血が、酸素マスクを濡らした。

 咳き込むたびに、血が、溢れだす──。


「かなでくん……かなでくん! なんで、なんでこうなるの!!!!」

「遠坂くん!」


 駆け込んで来たのは、さっきの看護師さんだった。


「あなたは……栞ちゃんね。ちょっと離れてて!」


 とても、心が痛かった。奏くんの側にいちゃ駄目なんだって、言われた気がした。

 そうだ、奏くんが私の存在を許しても、周りはそうじゃ無かった。私は居てはいけないんだ。消えたい。……早く消えてしまいたい。

 強く強く、心臓を穿つらぬかれた。立っているのもしんどくて、その場で座りこんでしまう。


 看護師さんは酸素マスクを取り外すと、枕元に設置された機械で血を取り除き始めた。口の中に入れられたチューブから吐き出される血液は止まらず、管を通ってガラス状の瓶の中に勢い良く溜まっていく。

 後から駆けつけた二人目の看護師さんは、状況をすぐ様把握すると、首に下げた端末を取り出し何処かへ連絡をする。


「先生、急変です。515号室の遠坂奏くん、喀血かっけつ多量で四百〜六百ml。気道閉塞あり、酸素濃度七十五%まで下がっています」


 瞬く間に変わる状況。呼び出された医師や集まる人々で奏くんは見えなくなってしまった。


「BAE(選択的気管支動脈塞栓術)の準備してて」


 あぁ、いっちゃう。奏くんが、連れて行かれちゃうの…………。

 置いて、行かないで。


「いやっ、いゃ! いやぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ」


 私は、必死だった。奏くんと、一緒に居たかった。

 頭が可笑しくなりそうだった。

 ずっと、泣いていた。


 手術は四時間ほどで終わっただろうか。

 医者は無事に終わった、と言ったのに、奏くんは二日経っても目を覚まさない。

 私はガラス越しに奏くんをずっと見守り続けた。

 不安で眠れなかった。

 けど、限界を過ぎるといつの間にか眠っていた。



 目が覚めると、そこは真っ暗だった。

 一筋の、光さえ通らない黒の世界。


 ここはどこ……。

 手を這わすと、シーツの手触りを感じ取れた。私は横になっているらしい。


「どうしたの、栞?」

「お母さん? 何も見えないの。電気を点けて」

「………………………………………………」


 長い、沈黙だった。嫌な予感がした。


「暗いの。何も見えないの。電気を点けて」


 母の、抑えるような泣く声が聞こえた。

 ああ、そういう事なんだ。

 

「もう、終わりなんだね」


 それは唐突だった。

 光が見えなくなると、余命は二・三日だっただろうか。

 私の目は、神経に感染したウイルスに完全に占領された訳だ。

 もうじき脳へと辿り着いて、私の思考は淀んでいくのだろう。


「ごめんね、お母さん。私、幸せだったよ。お母さんの子供で良かった。いっぱい迷惑かけちゃったね。私が死んだら、良い人見つけて……幸せになって欲しいなぁ」


 苦しい程の抱擁だった。お母さんの子供で良かったと、何度も伝えられずにはいられない。


 それから、私は身嗜みだしなみを整えるためにお風呂に入って、髪をかして、化粧をしてもらった。

 いつ死んでも良いように、準備を続けた。

 唯一の心残りがあるとすれば、もう一度彼に触れたかった。


 ──でも、信じている。

 誰も知らない二人だけの秘密。もし、もう一度出会えたら、私達は必ず約束を果たすのだ。


「栞!」


 あぁ、ごめんね──‥‥お母さん。


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