六年越しも、「僕は」「私は」恋してる。

夏乃翠

赤い瞳 前



 桜は、嫌いだ。


 窓の外を真っ赤な花弁はなびらが落ちてゆく。

 お花見とか言って木の下で群がる人々は、まるで血をすすのよう。花弁いのちには目もくれず、わらわらとその心は汚らしい。結局のところ、彼らはそれを見ていない。真っ当な人のふりをしてゴミ同士で集まり、ちっぽけな存在意義を酒とともに満たしたいだけ。

 私がこの世界で孤立しているように、桜もまたさらし者にされているのなら、好きにはなれない。これが同族嫌悪というやつか。


「残念ですが、……てば三ヶ月でしょうか」

「そんなッ! 先生お願いですッ。栞はまだ十四歳なんです‥! どうか‥どうか娘を助け……ッあぁああ!」


 やかましい。何を生に縋る必要があろうか。

 ただ無に還るだけ、それだけだろう。

 期待するから悲しくなるのであって、諦めてしまえば何も辛いことはない。そうやって幼い頃から諦めることを身につけ、私をむしばむものとは共生してきた。


「研究機関で新薬の研究が進んでいます。それに賭けるしか無いでしょう」


 賭けるなんて確率めいたものほど信用なら無い。今までの人生で嫌というほど学び、希望を何度も打ち砕かれてきた。私が、ではなく、私の母が、である。

 私としてはもう期待するのは飽き飽きだった。そろそろ死なせてはくれないだろうか。


 もし、新薬の開発に成功するとしてそれは何十年後の話だろう。果たして地球外で何処かの生命体を脅かしていたウイルスに人が勝利するのはいつになる?

 そもそも人類はこの危機に勝てるのかさえ危ぶまれている。私は第一世代の罹患者りかんしゃであるが、通称WJC(世界共同研究センター)から臨床試験のモニターとして投与される新薬は未だに有効的な効き目が表れていない。

 よって、日本の出生率は十年前の2045年を機に、二十%下落しているのが現状だ。日に日に人口は減るばかりで、例え子が生まれても四割が感染し大人になる前に死んでゆく。

 それほどまでに宙から落ちてきた新種の地球外ウイルスは強く、このままでは人類滅亡も近いだろう。


 ついでに、私の寿命も三ヶ月……か。


 まぁ、でも、お陰でというか、反面に人類は窮地に追い込まれる事で科学技術をさらに進歩させていた。

 今では街中の半数をロボットが出歩き、ロボットの社会進出はますます進んでいる。サラリーマンの服装をしたロボットもいれば、家庭従事用ロボット(メイドロイド)もいるし、私の体の中にもチップが埋め込まれており、今もAI管理のもと医療機関と生体情報の共有やグローバルなアシスタントをしてくれている。


 このチップの埋め込みは何も私にだけ特別に、という訳ではなく、日本国民であれば十八歳の成人を迎えると同時に強制的に施工される。

 強制的なのには理由があり、健康管理を行うことで貴重な人名を無駄に死なせない為だ。

 チップは私のように成人以前の埋め込みも可能で、日帰りの手術で施工できる手軽さが普及した要因だろう。

 始めは反対派も少なからずいて、日本国民全員に埋め込みが終了したのは五年前。それからというものチップが読み取るバイタルサイン(身体兆候)を各個人所有のAIを通して医療機関と連携するようになって日本人の病気や自殺による死亡率は年々減っている。

 何故そこまでの結果を得られたのか。

 常時の健康管理に加え、人類の約四十八%の仕事がロボットと代替りしたことにより、人の心・体に豊かさが生まれたことも大きい。


 健康の定義は1948年、世界保健機関(WHO)により宣言されたにも関わらず、これまで人類はその権利をなかなか得ることができないでいた。

 その定義は意外にもハードルが高く、《健康とはただ疾病や傷害がないだけでなく,肉体的,精神的ならびに社会的に完全に快適な状態であること》とある。


 そう、何が言いたいかというと、皮肉にも地球外生命体、通称〖アネモネラ〗ウイルスは人類を滅亡の危険に晒すと同時に時代を促進させ、罹患者以外の人類には健康を与えてくれたのだ。

 学者達の間では時代を五十年以上も早めたとさえ言われている。

まぁ、罹患者にとってはただただ皮肉な物語なんだけどね。


 今では仕事はしたい人がする時代である。

 人の役目はロボットでは判断できない決断の実行を多く占めている。あとは伝統産業や、大事な職業として人と人のカウンセリング分野などは重要視されているだろうか。

 人の心の細かな機微には流石のロボットも厳しいらしい。だがそれも時間の問題かもしれない。



 ふぅ…………。

 延々と科学の進歩に思いを馳せてはみたけれど、医者と母親の話はまだ終わりそうになかった。

 いや、話というより、一方的な懇願か……。医者の渋りきった顔が居た堪れない。

 それでも母は私の為に願うことを止めず、ズキンと胸に痛みが走る。

 私の唯一の幸せは母の子として生まれたこと。こんな忌子いみこを愛してくれたことに感謝しかなかった。


 お母さん、私はもうとっくに気付いてるんだよ。いや、気付かされたかな。


 ある時、ふとテレビを観ていた時の事だ、世界共同研究センターの研究者が放ったあの言葉は忘れられない。


 『どれだけ科学が進歩しても、地球外で形成された組織に対して地球内の物質で対抗しているのだから必要な材料が揃わないんだ。アネモネラを構成している物体ですら未知で私達は未だにあれがなんなのかさえ分からない。患者を救うには宇宙規模で取り組まなければいけない。どうか、私達に力を貸してほしい』だったか。


 そんな言葉を聞いてしまった私は、研究者の情熱に燃える目とは真逆に、冷静に、「成すすべ無いじゃん」と思った。

 そして、それは今も変わらない。いや、より諦めが深まったかも。

 だって、未だに研究成果は得られていないのだから…………。



「もういいよ。私ちょっと外の空気吸ってくる」

「栞ッ! ごめん、ごめんなさい……っ。こんなお母さんでこめんね…………」


 はたから見れば、落ち込んでいるように見えるのだろうか。私としては全くそういう事は無く、ただこの場にいることが嫌なだけだった。

 親が苦しむ姿を見るのは子としても辛いから……。私はいつも、逃げている。


 生まれなければ良かった、のかも知れない。

 幼い頃から母親を傷つけ、苦しめてきた。誕生しなければ、今ごろ母は楽しく生きていたに違いない。

 そう思うのだけれど、あの人はそういった面を見せずにただただ私の身を心配し、愛してくれるものだから……どちらが良かったのかはっきりとは言えない。

 とはいえ、生まれなければ苦労させる事は間違いなく無かった。そして、私が死んだ後に苦しめる事も無かっただろう。


 その事実が有るから、私は私の事が大嫌いだ。



 診察室を出た私は、人気の少ない屋上へと向かっていた。

 いつもの椅子に腰を掛けると、一枚の紙を取り出す。そこには、遺言書と書かれている。勿論、書いたのは私だ。

 けれど、さっぱり書き方が分からない。こういう時、本当にグローバルアシスタントが役に立つ。


「Waking up assistant. ID Poco」と起動コマンドを発すると、ポコンと脳内に電子音が響いた。

「遺言書の書き方を教えて」

『遺言書の書き方を検索しました。最適化された情報を読み上げます』

「ナイス~ポコ。君は本当に役に立つなぁ」


 因みにポコは私専用のAIであり、AI産業大手から買い取ったとあって非常に優秀な子である。

 質問すれば大抵のことは教えてくれるし、会話の相手にもなってくれる。それに、長い付き合いから蓄積された情報によって私の一番の理解者だろう。


 そう、この時までは──。

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